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「アルゼンチン撮影日誌1」

(1日目)
時差ボケも殆ど感じず、10時から、ブエノスアイレスの撮影を開始する。まずはラ・プラタ川へ。スペイン語で銀の川という意味を持つ広大な水面、これが海ではなく川だとはとても信じられない。でも水を口に含んでみれば確かに真水だ。
河畔のレストランで、最もアルゼンチンらしい食事アサード(焼肉)を頬張る。かつて第一次大戦から二次大戦にかけて、ヨーロッパの食糧難を救い、この国の経済を支えてきたのがこの牛肉だと思うと、感慨深いものを感ずる。午後は片側6車線の道路が走る7月9日通りへ。その堂々とした町並を撮影していると、ふとヨーロッパにいるような錯覚に捕われる。『パリに負けない風格のある町を』かつて祖国を捨て、新大陸に渡って来た移民たちは、そんな想いを胸に、歴史を築いて来たのだった。

一旦ホテルに戻り、旅支度を整え、18時にコンスティトゥシオン駅に向かう。いよいよ19時35分発のカルメン・デ・パタゴネス行きの夜行列車に乗り込み、本格的な撮影の開始だ。
1885年に建てられ、1907年に改装がなされたというこの駅の内装は、中々立派で、歴史を感じさせられる。最近この国では、鉄道は長距離バスに押され気味だと聞いていたが、駅は混み合っており、鉄道はまだまだ根強い人気を持っているのがわかる。
20時過ぎ、列車は定刻を30分程遅れて出発。カルメン・デ・パタゴネスまでは、955キロの長旅だ。乗客たちを撮影して行くと、まず目についたのがマテ茶を、持参した専用の容器で飲む人々。この国の人々は何はともあれ、このお茶がなければ始まらないらしい。陽が暮れた頃、軽快なギターの伴奏に乗って歌声が聞こえて来た。何事かと思って撮影に向かうと、乗客たちが合唱している。みんなこの列車に乗り合わせただけだが、見事なハーモニーだ。この国では、旅行に出掛けるときは、必ず誰かがギターを持って行くという。カラオケよりずっと風情があって粋だと思う。

21時を回ってから食堂車が営業を始めた。今夜のメニューはローストチキンとミラネッサというチーズを乗せた牛カツ。ちょっと暗くて撮影には大変だが、楽しい時間が流れて行く。夕食後客車で何やら不思議な発光体を発見。何かと思えば光が点滅するオモチャ。子供たちに大人気だ。その幻想的な光は、大人でも見ていて飽きない。これ、もしかしたら日本でも流行るのでは、等と思っているうちに夜も更け始めた。
 
ディレクター 狩野 喜彦
コンスティトゥシオン駅
駅の案内板
カルメン・デ・パタゴネスに向かう
「アルゼンチン撮影日誌2」

(2日目)
月明りの中、列車は真夜中を走り抜けて行く。と書き始めると、何やらロマンティックな旅のようだが、実際は全然違う。列車は揺れるし、窓の隙間から冷たい風と埃が入り込み、寒いやら喉がいがらっぽいやらで、少しも眠れない。気がつけば東の空が明るくなり始め、カメラマンの橋添君とビデオエンジニアの鈴木君が、撮影の準備を始めていた。5時30分、ポカーンとした頭と身体に気合いを入れ、撮影を始める。毛布を被って寝ている人、じっと明けて行く空を見つめる人、母親に甘える子供…。また今日が始まって行く。

サンドウィッチとコーヒーで簡単な朝食をすませ、各車両を巡り、乗客たちの表情を撮影する。子供たちの元気な声が響く車両があったので覗いてみると、40人位の制服を来た少年少女の一団がいた。聞けばブエノスアイレスの少年団の一行で、これから沿線にある州立公園でキャンプだという。はしゃぎまくる幼年の団員と、それをたしなめる年長の団員。夜行列車で社会を学び、キャンプで自然を学ぶ。なかなかいい光景だ。列車はトルンキスト駅で彼らを降ろし、日本の国土の1.4倍もある大平原パンパを走り続け、バイア・ブランカに到着。客車の台数を減らし、機関車を付け替え再び走り始めた。

昼食後、車内でギターを手にした乗客たちが集まり歌と演奏が始まった。一車両の乗客全員が手拍子で歌い始める。やがてサックス吹きも登場して、踊り始める人も…。ともすれば退屈な列車の旅も楽しいひとときに変って行く。

運転席を撮影後、再び客車の撮影を続けていると、あるグループが声をかけて来た。一人の女性が抱えた大きな包みを見ないかという。布を取ってもらうとガラスのケースの中にマリア像が入っていた。よく見ると青いマリア様の頭部が血を流したように赤く染まっている。これは誰かが細工したものではなく、自然に染まったとのことで『奇跡のマリア』だという。これから終点のカルメン・デ・パタゴネスの教会に奉納するそうだ。敬虔なカトリックの国ならではの光景だ。

風景が平原から、荒野に変り始め16時29分、終点カルメン・デ・パタゴネス駅に到着。駅前にはバスではなく乗り合いトラックが止まっていて、列車を降りた人々を乗せ町へ向かって行く。20時間半に及ぶ長い旅が終わった。気がつけば顔はもちろんのこと、全身埃と煤だらけ。まずはホテルにチェックインし熱いシャワーを浴びる。やっと人心地ついた。
 
ディレクター 狩野 喜彦
元気な少年団の男の子
バイア・ブランカ駅に停車
マリア様を抱えて
「アルゼンチン撮影日誌3」

(3日目)
時折、身体と意識に列車の揺れる感覚が甦り、何度か目を覚ます。気がつけば窓の外が明るくなり始めていた。9時、カルメン・デ・パタゴネスの町から撮影を始める。この町はブエノスアイレス州の南端に位置しており、町の南側を流れるリオ・ネグロ(黒い川)を渡ったビエドマからが、所謂パタゴニアになるらしい。1880年に建てられた教会を中心に、丘の上に築かれた町を撮影していく。開拓の歴史に彩られた街角は味わい深い。リオ・ネグロには大きな船が通過するとき、橋の一部が上昇するという鉄橋が架かっているのだが、現在は鉄道には使われておらず、線路の上を自動車が走って行く。かつてはブエノスアイレスから来た列車が、この橋を渡ってパタゴニアへと向かって行ったのだという。もし、列車が通過するシーンが撮影できたら素晴らしいカットになるのだが、残念だ。

昼食後は、大西洋に面した海岸へ。身体にぶつかってくる潮風、砂の色をした海、飛び散る波頭、厳しい風景に見えるが、土地の人々はパラソルを並べ日光浴を楽しんでいる。これが彼らにとっては「穏やかな日」というわけらしい。

17時過ぎ、ビエドマ郊外にある駅へ向かう。道に「TREN PATAGONICO」の看板があり、人々が流れて行く光景が、旅情をかきたてる。TREN PATAGONICOはここから西に向かい、アンデス山脈を挟んでチリと国境を接するバリローチェまで819キロを走る夜行列車だ。18時丁度、定刻通りの出発。さあ今夜も長い夜の始まりだ。家族連れ、バックパックの若者を始めとする旅人や、地元の人々が乗っている。出発からおよそ2時間、傾いた陽射しが車内に光の模様を描き始めた。列車は沈む夕陽を追いかけるように走って行く。窓の外の光景をじっと見つめる母親と少年のシルエットが印象的だ。緯度が高くなった分だけ夕暮れの時間が長くなっている。おかげで素敵なシーンが幾つも撮れた。

21時過ぎサン・アントニオ・オエスト駅に到着。列車は1時間ほど停車し食堂車の営業が始まった。6種類のオードブルに始まり、メイン・ディッシュも充実している。撮影を続けていると3人組の若者が声をかけて来た。聞けば「CIELOFINAL」というロックバンドのメンバーで、ブエノスアイレスから一緒だったという。しばしロック談義の後、彼らの席に同行するとDVDとCDをくれた。聴いてみると中々カッコいい!これは番組に使えそうだ。0時過ぎ寝台車に戻り、今日を終わる。
 
ディレクター 狩野 喜彦
リオ・ネグロに架かる鉄橋
ビエドマ駅にて
丸い車窓から夕陽が射込む
「アルゼンチン撮影日誌4」

(4日目)
6時47分、列車はインヘニエロ・ジャコバッチ駅を発車。昇り始めた太陽が映し出す風景は、昨日までの平原から、岩山が続く山岳地帯の風景へと変っていた。大きなカーブが幾つも続き、それに合わせて太陽も向きを変える。風に削られて不思議な形になった褐色の岩山や、テーブル・マウンテンが次々と姿を現す。遥かな昔、地球の営みが造り出した風景だ。そしてその前に広がる乾燥した草原には、牛や羊に混じって、時折野生のダチョウやリャマに似た動物が姿を現す。早起きは三文の徳というが、こんな光景に出会う度にそれは本当だと思う。

7時45分、朝食の様子を撮りに食堂車へ。メニューはクロワッサンとカフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)、オレンジジュースのコンチネンタル・スタイル。乗客たちは疲れた様子もなく、朝食と窓の外の風景を楽しんでいた。途中の駅で、止まった列車の前に、大勢の人々が並んでいるのを見つけた。聞けば、医療機関が少ないこの一帯を巡回する病院列車で、住民たちの健康診断を行っているとのことだった。乗客たちの朝の表情を撮っていると、ハーモニカの音色が聞こえてきた。音色のする席に行ってみると、吹いているのは6、7歳くらいの少年だった。中々の腕前で周囲の乗客たちも周りに集まってきた。その内ギターを持った若者が、少年のハーモニカに伴奏をつけ始めた。これが結構いい感じのセッションで、乗客たちも手拍子で参加。本当にこの国の人々は音楽好きだと改めて感心。

暫く車内と風景の撮影を続けていると、遠くに所々雪を被ったアンデスの山並が見え始め、やがて湖の横を走り始めた。11時25分、出発からおよそ18時間半が過ぎ、終点バリローチェに到着した。顔馴染みになった乗客たちが手を振りながら、列車を後にして行く。短い間だったが知り合いになれて良かったと手を振り返す。昼食を済ませ小休止の後、町に撮影に出掛ける。この町はスイスからの移民が作ったとあってスイス風の建物が多い。湖畔に出ると、湖からの吹いてくる冷たい強風に吹き飛ばされそうになる。はえている木々を見るとみんな斜めに傾いでいて、枝も一方向にしかはえていない。なるほど、パタゴニアが「風の大地」と呼ばれていることを体感した。それにしても寒い!この一帯の気候を少し舐めていたようだ。18時20分、バリローチェ近郊で列車の走りを撮って、今日は終わり。
 
ディレクター 狩野 喜彦
インヘニエロ・ジャコバッチを出発して
サン・カルロス・バリローチェ駅
バリローチェ近郊
「アルゼンチン撮影日誌5」

(5日目)
揺れない大きなベッドで眠るのが、こんなに幸福なことだったとは…。
夜行列車の旅が続くと疲労がたまる。昨夜は夕食後すぐに洗濯もせず、大いびきで眠ってしまった。そして今朝は、まあ良い気分。9時30分ホテルを出発、トレン・イストリコ(歴史的列車)と呼ばれる蒸気機関車の撮影のため駅へ向かう。この機関車は1912年スコットランド製。かつて、今回撮影して来たブエノスアイレスからバリローチェまでのある区間を走り、パタゴニアの開拓に多大な貢献をしたようだ。現在は35キロ離れた山間の駅ペリト・モレノまで、ツアー客を乗せて走っている。格納庫の扉が開き、機関車がその姿を現した。生き物のように蒸気を吹き出し、ゆっくりと動く姿は、トレン・イストリコの名に相応しい。しばし機関士たちの準備を撮った後、ツアー客が集まり始めた駅の様子を撮る。一角に「Hasta que llegue el tren」という名前のレストランがあった。訳せば「列車が着くまで」となる。残念ながら営業は夜だけとのことだが、素敵なネーミングに心惹かれた。

11時30分過ぎ、蒸気機関車は、これまた当時のままの客車3両に大勢の乗客を乗せ走り始めた。楽しげな乗客たちの表情、真剣な機関士たちの仕事を撮り、一度下車し、山間を走る姿を撮って、再び乗車と、ペリト・モレノまで慌ただしい撮影が続く。ペリト・モレノ駅はロス・フンコス湖に面していて、乗客たちは湖畔を散策したり、岩山に登ったりと、自然の中での時間を楽しむ。帰りは車で先回りし、2カ所で機関車の走りを撮影する。険しい岩山を背景に走る蒸気機関車。その勇姿は開拓時代を彷彿させてくれた。

(6日目)
10時ホテル出発。まずオットー山の展望台からアンデスの雪山、ナウエル・ウアピ湖を撮影。昼食後、湖を走る遊覧船に乗る。太古の昔、氷河の浸食によって造られた湖の風景は中々見応えがある。ところで、これは風景とはあまり関係ないが、面白かったのはカモメ。デッキすれすれに舞い降りて来て、乗客たちが手にしたビスケットをくわえて飛び去るのだ。これには大人も子供も大喜びで、カモメがビスケットをくわえる瞬間を写真に撮る。聞けば、この船の名物だという。カモメの芸が終わると、厚い雲が流れ、雨が降り出す。そして雲の切れ間から射す陽光が雨を輝かせ、やがて空に虹を描く。壮大な自然のスペクタクルは撮影していて飽きなかった。今日は列車と離れた一日だったが、それなりに充実した日だった。
 
ディレクター 狩野 喜彦
トレン・イストリコ
ペリト・モレノへ向う
湖のクルーズ
「アルゼンチン撮影日誌6」

(7日目)
8時出発。まずトレン・パタゴニコで通過したニリウアウ川周辺の風景を撮る。清流に糸を垂らす釣り人、キャンプの若者たち、小さな牧場で暮らす一家。ここでは自然と人間が調和しているように見える。日本ではあまり見かけなくなってしまった情景に、心温まると共に、少し寂しさを覚える。
11時15分、ロス・フンコス湖畔でトレン・パタゴニコの走行シーンを撮り、一路オールド・パタゴニア急行が走る町エル・マイテンの駅へ。1941年に枕木を使って建てられた小さな駅舎と鉄道博物館を撮影。19時過ぎ、始発駅のあるエスケルに到着。鉄道職員に挨拶、その後空撮のヘリコプターを依頼している、保安庁の司令官との打合せ。オールド・パタゴニア急行は今回のロケで最も重要な路線、弥が上にも気持ちが昂ってくる。

(8日目)
7時20分、朝陽が当り始めたエスケル駅から撮影を始める。トロチータと呼ばれる小振りな蒸気機関車を整備する機関士たち、ホームに集まった乗客や見物人を撮影して出発を待つ。9時36分、辺りに汽笛が響き、オールド・パタゴニア急行の旅が始まった。列車、風景、乗客たち…。全てを余すところなく撮影せねば、橋添君、鈴木君ともに気合いが入り、テープは次々と回って行く。

途中駅での給水時、橋添君が面白いものを見つけた。それは機関車の上に吊るされた大きな肉の塊だ。その後、機関室ではソーセージがパイプの上に置かれた。香ばしい匂いが漂うが一体どういうことか…?13時30分、レパ駅に到着。乗客たちに昼食が振る舞われる。メニューはホームの片隅で焼かれたソーセージとパン。ところで、あの肉の塊はどうなったかと機関車に向う。グッド・タイミング、機関士が肉を取り出す所だ。車体の中から見事に焼けた羊のリブが出て来た。聞けば1940年代から続く機関士伝統の昼食だという。お裾分けしてもらうと、これが超美味。それにしても良いアイディアだ。その後は列車を降り、車で先回りし、走行シーンを幾つか撮りながら、エル・マイテンへ。

19時32分、今度はエル・マイテン発の列車に乗り込み、先住民の音楽一家を撮影する。まだデビューしたばかりだという末娘が、10代の頃の広末涼子に似ていてびっくり。彼女の初々しい歌声と、沈む夕陽に輝くパタゴニアの風景…。うまく言い表せないが、これは『大地の歌』だ。20時53分、終点ニョルキンコに到着。14時間近くカメラを回し続けた今日を終わる。
 
ディレクター 狩野 喜彦
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レパ駅
音楽一家の女の子
「アルゼンチン撮影日誌7」

(9日目)
昨日、撮影が終わったニョルキンコは、小さな村でホテルが無いため、車で2時間程走った所にあるホテルに移動して、遅い夕食をとり、午前2時過ぎ床につく。朝起きて窓の外を見ると、驚いたことに、そこは目の前に岩山が聳えるリゾートホテルだった。休暇でゆっくり滞在したら楽しいだろうに、残念ながら9時には出発し、エル・マイテンへ。
町の佇まいを撮影していると、地元のテレビ局のディレクターに声をかけられ取材を受ける。カメラの前に立つのは何だか照れくさいが、地球の裏からやって来た同業者に向けられた暖かい眼差しに、インタビューの受け答えも滑らかに出来た。
駅前の屋台で簡単な昼食を済ませ、オールド・パタゴニア急行の走りを数カット撮った後、空撮を依頼している保安庁の基地へ。司令官のベテラン・パイロットと若いパイロットが操縦するヘリコプターに乗り込み、大地を走るトロチータを追いかける。空から見ると、荒野に敷かれたこの路線の工事がいかに難工事だったが理解出来る。人は何故この荒野に暮らし始めたのか…。答えは簡単には出てきそうもない。2人のパイロットのテクニックはかなりのもので、迫力のあるカットが撮影出来た。

(10日目)
7時、ホテルを出発。保安庁の基地から、トレン・パタゴニコを空撮するため、ヘリコプターで一時間程移動してバリローチェに向う。途中アンデスの雪山上空を通過、富士山のような形をしたオソルノ山が遠くに見えた。そういえば、サン=テグジュペリの『夜間飛行/Vol de Nuit』は、このパタゴニアに郵便物を運ぶ飛行士の話だった。拙著『星の王子さまへの旅』には書けなかったが、王子さまの小さな星は、パタゴニア南部の風景がモデルとなっている。サン=テグジュペリはこの空を飛びながら何を感じ、何を考えたのだろう…。
トレン・パタゴニコはおよそ2時間遅れでやって来た。岩山の間を這うように走る列車の健気な姿は、郵便物を運ぶ飛行機に相通ずるものがある。風が強く、ヘリコプターは大きく揺れたが、鈴木君が作った耐震装置のおかげで、何とかいいカットが撮れた。

(11日目)
午前中の飛行機でブエノスアイレスに戻る。昼食後、タンゴ発祥地ボカ地区へ、カラフルに塗られた街角と通りで踊る若いタンゴダンサーを撮影。観光的なカットだが、ダンサーの踊りは、さすがにレベルが高くいいカットが撮れた。今回のロケも山場を過ぎ、少し気分が楽になる。
 
ディレクター 狩野 喜彦
オールド・パタゴニア急行
空より、トレン・パタゴニコ
ボカ地区
「アルゼンチン撮影日誌8」

(12日目)
10時半、雨に煙るコンスティトゥシオン駅に到着。駅前、構内を撮影後、11時35分発のマル・デル・プラタ行きの列車に乗車する。海辺のリゾート地へ向う列車だが、天気のせいか少し活気がない。それでも手品を披露する若者や、笑顔の子供たちに出会い、それなりの撮影が出来た。マル・デル・プラタは古くからのリゾート地だが、今日は雨に包まれ寂し気だ。そこで、この地に暮らした画家、フアン・カルロス・カスタニーノの美術館へ。彼の作品の中に列車を描いた作品を発見、少し気分が晴れる。

(13日目)
雨と強風の中で列車の走りを撮った後、ドローレスのカーニバルへ。この天気でカーニバルが出来るのかと心配したが、夜には雨も風も止みパレードが始まった。リオのカーニバルとは比べようもなく素朴だが、人々の想いが伝わってくるようで楽しい撮影だった。
(14日目)
チャスコムスに移動。市庁舎、教会、駅といった歴史的建築物を撮影後、エスタンシアと呼ばれる大牧場の観光ツアーに参加する。しかし、あまりにも表面的でガウチョの本当の姿に接することが出来ない。知り合ったガウチョに、後日撮影を頼み込みブエノスアイレスへ戻る。

(15日目)
8時過ぎ、飛行機でイグアスに到着。イグアスの滝へ向う列車を撮る為、国立公園内の始発駅へ向う。観光客を乗せて熱帯雨林の中を走る豆列車、これはこれで絵になる。列車を降りた後、遊歩道を20分程歩くと、轟音と共に『悪魔の喉笛』が姿を現した。絶え間なく落下する巨大な水の柱に圧倒される。
(16日目)
ヘリコプターで空からイグアスの滝を撮る。大小300もの滝が織りなす壮大な絵巻物は圧巻だ。その後、今度はボートで滝に迫る。もの凄い水しぶきにカメラの防水が心配だったが、何とか迫力のある映像が撮れた。深夜ブエノスアイレスに戻る。

(17日目)
午前中、丸の内線の車両が使われている地下鉄を撮る。漢字が残る車両にアルゼンチンの人々が乗っている様は少し不思議な気分だ。その後TBAという近郊列車に乗車。短い路線だが、都会に暮らす人々の生活が垣間見られた。
(18日目)
チャスコムス近郊に出向き、ガウチョたちの仕事を撮る。牛を追っているだけかと思ったら、背中に防虫剤を塗ったり、歯周病のチェックをしたりと、彼らの仕事は沢山ある。そしてこうした仕事が、この国の経済を支えてきたのだ。それにしても、彼らが馬で牛を追う姿は凛々しい。13時21分、パンパを走る列車を撮ってアルゼンチンの撮影を終える。
 
ディレクター 狩野 喜彦
イグアスの滝へ向う
イグアスの滝
アルゼンチン最後の撮影
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