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smaSTATION!!緊急特別企画 取材の鬼「山崎豊子」「華麗なる一族」のギモン

現在、TBS系で放送中の木村拓哉さん主演作「華麗なる一族」。ことし1月に放送が始まって以来、平均視聴率23%を叩き出しているこのドラマも明日、いよいよ最終回を迎えます。このドラマの原作者は、これまで幾多の名作を生み出してきた稀代の女流作家・山崎豊子さんです。山崎さんが、「取材の鬼」と呼ばれるゆえんとは…。というわけで今夜は、作家・山崎豊子に迫ると共に、いよいよ怒涛のクライマックスを迎える「華麗なる一族」を特集。数々の気になる疑問を徹底検証しました!

取材の鬼・山崎豊子さんが「華麗なる一族」を書き上げるまで

小説家・山崎豊子さんは、1945年、毎日新聞社の記者として学芸部に勤務するかたわら、当時先輩記者であった井上靖さんのすすめで27歳の時に小説を書き始めました。1958年「花のれん」にて第39回直木賞を受賞。その後、「華麗なる一族」をはじめ「白い巨塔」「不毛地帯」「大地の子」「沈まぬ太陽」など、社会の闇を鋭くえぐった長編作品を次々と発表していきます。山崎さんがこれまで書き上げた小説は、24作品。その数は50年というキャリアを考えれば、決して多くありません。そのわけは、山崎さんがあまりにも取材に時間をかけ過ぎてしまうためでした。中でも「大地の子」では、取材範囲が中国広域に渡ったため、取材開始から書き上げるまで8年もの歳月を要したのです。 山崎作品の多くは「社会の醜悪を暴露し、人の世の不合理を除く」といったテーマのため、その取材過程において様々な壁にぶち当たります。その中で、金融界の聖域といわれた銀行をテーマとした「華麗なる一族」は、もっとも取材が困難であった作品のひとつ。山崎さんは、作品を書き始める前に金融の基礎勉強に半年を費やし、300人以上もの銀行関係者に話を聞いて回ったのです。

実は「華麗なる一族」は1974年、山村聰さんの主演でドラマ化され、同じ年、万俵鉄平役に仲代達也さんを起用し映画化もされました。この映画「華麗なる一族」には、若き日の北大路欣也さんも一之瀬四々彦(よしひこ)役で出演。ドラマ、映画共に大ヒットを記録し、「華麗なる一族」という言葉はその年の流行語に・・・。さらに映画は、中国にも進出。資本主義の闇の構造を描いた教科書的作品として大絶賛を受け、動員観客数3000万人という大ヒットと記録したのです。 山崎さんはこの「華麗なる一族」をいかに書き上げたのでしょうか。実は、山崎さんは最初から銀行を舞台にした日本の金融再編の話を書こうと決めていたわけではなかったそうです。山崎さんが小説を書く上で、まず一番最初に行うのは、『人物設定』。「華麗なる一族」で最初に人物像を考えたのは『万俵大介』でした。性格、容姿はもちろん、咳払いの仕方、コーヒーの飲み方、箸の持ち方まで、徹底した人物像作りから入るのです。こうしてその人物像が明確になっていくことで、「子供を犠牲にしても自分の野望を成し遂げようとする万俵大介とそんな父親に立ち向かう万俵鉄平のドラマ」という人間ドラマの骨子となるテーマを作り上げたのでした。

山崎さん 「私は社会派とかいわれるが、テーマとか問題性のために書いてるのではなく常に人間が先にある・・その人間に問題意識を持たせている」。

それでは、山崎さんが考えた『華麗なる一族』の人物設定を見てみましょう。

万俵一族の長男・万俵鉄平
阪神特殊鋼の専務として高炉建設にすべてをかけるが、阪神銀行の頭取である父親には融資上の圧迫を受け、追い詰められていく。それは、鉄平が自分の子供ではないのではないか、という疑惑のためであった。

阪神銀行の頭取で、万俵財閥の長である万俵大介
その風貌で周囲を威圧し、ビジネス面では冷徹な手腕を発揮する。一方、家庭内においては、正妻と愛人を同居させるという、身勝手で横暴な一面を併せ持ち、このことは家族以外知る者はいない。

こうしたふたりの人物像から万俵家にまつわるキャラクターが作り出されていきました。

万俵大介の妻・寧子(やすこ)
公家華族から莫大な支度金で万俵家に嫁ぐ。純日本風の顔立ちで性格は内気で控えめ。

万俵大介の愛人・高須相子(あいこ)
元々は大介の子供たちの家庭教師であったがその後、大介の愛人となり、万俵家の閨閥作りを仕切る、影の権力者。

次男・銀平
父と同じ慶応大学出身で阪神銀行の貸付課長。ニヒルで感情を表に出さない性格が、熱血漢の兄・鉄平とは正反対。

鉄平の妻・早苗
政界の実力者であり、次期総裁候補の大川一郎の娘。鉄平との結婚も閨閥結婚だったが、早苗は鉄平の人柄に惹かれている。

長女・一子(いちこ)
大蔵省とのパイプを強くするために閨閥結婚をさせられるも、家庭を顧みない夫との仲は冷え切っている。

一子の夫・美馬中(みまあたる)
大蔵省主計局次長で、未来の事務次官候補のエリートキャリア官僚。

次女・二子(つぎこ)
お嬢様育ちだが、心の奥に鉄平と似た意思の強さを持っている。兄・鉄平の阪神特殊製鋼を守るために、自らも閨閥結婚を受け入れようとする。

銀平の妻・万樹子(まきこ)
大介の野望『小が大を食う』銀行合併を実現するための家柄的な条件を満たしていたため、銀平の嫁に選ばれ、万俵家に嫁いでくる。

このように人物設定と人間ドラマのテーマが明確になった上で、山崎さんが次に考えたのは「どんな舞台設定にするか?」ということでした。

山崎さん 「最初は、万俵大介を新日鉄のようなマンモス製鉄の社長にしようと思ったんです。それで3ヵ月ほど、鉄を調べんですが、調べれば調べるほど万俵大介と結びつかない。ふと銀行ならと思って、取材を始めたら、万俵大介にピッタリ重なったんです」。

こうして「華麗なる一族」の舞台は『銀行』に決まったのです。


『華麗なる一族』のギモン徹底解明!

疑問その1『財閥って何?』

銀行だけでなく製鉄など、数々の企業を一手に担う万俵財閥。この『財閥』とは、一体何なのでしょうか。一般に『財閥』とは、第二次大戦以前の日本において発達をとげた経営形態で、親族以外を排除し、その一族のみで経営する企業の集合体のことを指します。中でも有名なのは、三井・三菱・住友・安田の「4大財閥」。これら4大財閥は後に政財界に強大な影響力を持つまでに成長しました。では、財閥はどのようにして出来たのでしょうか。三菱財閥を例にとって見てみましょう。三菱財閥の歴史は、坂本竜馬に次ぐ土佐藩のナンバー2だった岩崎弥太郎が明治期の動乱で巨万の利益を得たことにはじまります。弥太郎はその資金を元手に土佐藩所有の船三隻を買い受け、三菱商会を設立。海運業を展開します。1877年の西南戦争では、軍需品の輸送を一手に引き受け、またしても莫大な利益を得ることになりました。三菱商会は大久保利通、大隈重信といった明治政府の要人の後ろ盾を武器に、更に事業を展開。 炭鉱、鉱山、銀行、造船、地所などの発展に力を注ぎ、その後、三菱造船、三菱製紙、三菱商事、三菱銀行、三菱電機と次々に分割化。三菱本社を中心とした多角的経営体、『三菱財閥』が完成するのです。三菱財閥の総資産は、現在の価値に換算して推定120兆円にも及んだといいます。しかし、財閥が存在したのは第二次大戦以前の話。戦後、連合国最高司令部・GHQによって解体されます。これが『財閥解体』です。従って、『華麗なる一族』の舞台となった1960年代には財閥というものは存在しないのですが、事業に成功した金持ちの家柄を指して使用する「財閥」という言葉は、その後も実際に使われていたのです。


疑問その2『閨閥(けいばつ)結婚って本当にあったの?』

ドラマ「華麗なる一族」にたびたび登場する「閨閥結婚」という言葉。閨閥とは、政財界における影響力を強めるために、一族の子供を、メリットのある相手と政略結婚させ、その結果として構築された、血縁によるネットワークのことです。万俵大介の長女・一子は、未来の大蔵省トップ候補である美馬中(みまあたる)と結婚します。阪神銀行と大蔵省とのつながりをより強固なものとするためです。鉄平もまた、当時、自らが選んだ婚約者がいながら、政界の実力者で次期首相候補とも言われた大川一郎の娘・早苗と結婚。そして、次男・銀平は大阪重工の社長令嬢である万樹子と結婚。『小が大を食う合併』実現のためには、阪神銀行の筆頭株主である「大阪重工」の全面的協力が必要だったのです。さらに、次女・二子も佐橋総理大臣の甥と政略結婚することに・・・。 実際、日本において、「閨閥結婚」というものは存在するのでしょうか?戦後、ある建設業者では、こんな閨閥づくりが実際に行われました。 この会社の社長には、3人の娘がいました。長女は通産省に勤める役人と結婚。そして、次女は、運輸省に勤める役人と結婚、さらに三女は外務省に勤める役人と結婚したのです。あらゆる利権が渦巻く建設業界で、通産省、運輸省、外務省というコネクションは絶大な力を発揮したのです。政界に目を移すと、その傾向はより一層強いものとなります。日本の歴代総理のほとんどが、世襲や閨閥による血縁的な繋がりによって、その地位にまで上り詰めているといっても過言ではありません。


疑問その3『“小が大を食う合併”って本当にあったの?』

阪神銀行頭取・万俵大介が企む「小が大を食う合併」。預金高業界9位の阪神銀行が、業界5位の大同銀行を飲み込もうという合併は、実際の銀行業界でもあったのでしょうか。ここで浮かぶキーワードは『金融再編』。別名「メガバンク構想」。これは主に、吸収合併することで巨大銀行を生み出そうとする構想です。銀行同士が合併することでどんなメリットが生まれるのでしょうか。実際に、日本で最初の都市銀行同士の合併が実現したのは1971年。預金高6位の第一銀行と預金高8位の日本勧業銀行が対等合併に合意。こうして、預金高で富士銀行を抜いて日本一、世界でも12位の「第一勧業銀行」が発足したのです。この合併が実現した前年の1970年には山崎さんはすでに「華麗なる一族」を連載し始めていました。つまり、山崎さんは銀行同士の合併を予見していたのです。その後も現実の世界では、銀行同士の合併は次々に起こりました。

山崎さん 「一番苦労したところは、銀行合併のところで、大が小を食うのでなくて、“小が大を食う”という、そこのところが一番私が考えたところで、大が小を食うのは当たり前で、当たり前のことを小説に書いてもドラマチックじゃありませんから、ドラマチックにするために小が大を食うということを発想しました。それを根底にして取材に行きますと、銀行の方は、『そんな滅茶苦茶な話、とても相手できない』と逃げられましたけども、どうしても小が大を食いたいものですから、一所懸命にやりました。そこが一番力を入れたところです」。


疑問その4『高炉を造るってそんなに大変なことなの?』

万俵鉄平の夢・・・『高炉建設』。では、高炉とは一体何なのでしょうか。現実の世界でも、鉄平が経営する阪神特殊製鋼と同じ運命を辿った会社が存在しました。「山陽特殊製鋼」。ベアリング鋼という高性能な特殊鋼の製造技術を持っていた山陽特殊製鋼は、ある問題を抱えていました。それは、高炉を持っていないこと。そのため、1960年代当時、ベアリング鋼の材料である銑鉄(せんてつ)はすべて国営の富士製鉄からの供給に頼らざるを得なかったのです。この銑鉄を作るために必要なのが『高炉』なのです。『高炉』とは、摂氏2000度以上の高温で原料の鉄鉱石を還元し、銑鉄を大量に作り出す製鉄設備。大型のものでは高さ100メートルを超え、製鉄所のシンボルとなっています。1965年当時、日本で稼動していた容量2000m3を越える大型高炉は、僅か3基。国営の八幡製鉄と川崎製鉄、そして富士製鉄にしかありませんでした。高炉の建設には、当時の金額にして数百億、現在の金額に換算すると、数千億円という莫大な予算が必要となります。山陽特殊製鋼などの1特殊鋼メーカーが作れる代物ではなかったのです。また、高炉は建設するだけではなく、その維持費も莫大なものとなります。山陽特殊製鋼は巨大資本に翻弄されないための生き残り策として「高炉建設」に着手。しかし、高炉が完成する前に負債がかさみ、1965年、史上最悪の500億円もの負債を抱え、倒産してしまいました(註:その後1974年に会社更生に成功)。1970年に入ると、万博の開催や、新幹線開通、首都高の完成など日本の発展のために鉄は必要不可欠なものとなり、鉄鋼マンたちは「鉄は国家なり」をスローガンに難題の高炉建設にも積極的に取り組み、現在では、世界で稼動している超大型高炉10基のうち、実に8基が日本にあります。大型の高炉がなかった1955年当時、日本の鉄鋼生産量は1000万トン弱に過ぎませんでしたが、いまでは1億トンを越え、当時の10倍以上となっているのです。


疑問その5『山崎豊子作品には他にどんなものがあるの?』

現在、小説「華麗なる一族」もドラマ化決定以降132万部を売り上げ、累計253万部に到達しました。この「華麗なる一族」以外の山崎作品売り上げ総数ベスト3を見てみましょう。 第3位は1999年に発表された「沈まぬ太陽」、250万部。テーマは、「航空機墜落事故」。航空会社社員で、会社の労働組合委員長も務めた主人公、恩地元が受けた航空会社の不条理な内情と、人間の真実を描いた作品で、単独機の事故として史上最悪の死者を出した日航機墜落事故を主題に、人の生命に直結する航空会社の社会倫理を鋭く抉り出しています。

第2位は1991年に発表した「大地の子」、300万部。テーマは、「中国残留孤児の半生」。残留孤児である一心は、日本人であるがゆえに差別を受けながらも、中国の発展のため尽くそうと決心します。そして、偶然にも一心は日本の父と再会。数十年に及ぶ確執を越えて、喜び合う2人でしたが、一緒に日本へ帰ろうという提案に一心の心は揺れ動きます。1984年、山崎さんはこの作品のために実際に中国で取材を始めました。しかし、共産主義体制下での壁は厚く、5ヵ月経っても思うような取材をすることができませんでした。「帰国もやむなし」そんな空気に追いつめられていた山崎さんは、最終手段として当時中国のトップ、胡耀邦総書記に面会を申し込んだのです。何度となく断られたそうですが、苦労の末に面会が実現。そして、山崎さんに会った総書記は開口一番こう言い放ったそうです。『山崎先生は中日友好のために小説を書くそうですが、わが国もできるだけ協力しますよ』と。山崎さんは総書記の社交辞令ともとれる挨拶にこう返答しました。『いえ、スローガンで小説は書けません。書いた結果が日中友好のためになれば・・・』。この面会が実現した裏には、実は「華麗なる一族」の存在がありました。った・・・

山崎さん 「胡耀邦総書記にお目にかかれたのも華麗なる一族の作者、ということが元でございます。読んでおられましたし、映画もご覧になっておられました」。

結果8年と言う歳月をかけて、ついに山崎さんは『大地の子』を書き上げました。1995年には日中共同制作でドラマ化、最終回は20.3%という高視聴率を記録したのです。

そして第1位は1965年に発表した「白い巨塔」、441万部。舞台は大学病院。次期教授を狙う野心に燃える男・財前五郎、そして、患者を第一に考える研究一筋の男・里見脩二――このふたりの対照的な人物を通じ、派閥争いや誤診など、医学界の腐敗を鋭く追及した社会派小説です。この作品を書き上げるために山崎さんは医学界へ猛烈な取材を仕掛けました。が、当時、タブーだった大学病院の封建体質や医療過誤問題の告発は、医学界からの反発を呼び、さまざまな圧力に「断崖絶壁の苦しみ」を味わったそうです。

山崎さんが取材に執念を燃やしたのには、ある理由がありました。取材が困難を極め、山崎さんが思い悩んでいた時のこと、ある患者の父親からの一通の手紙が・・。「白い巨塔」の中の医療過誤裁判の結果がどうなるか、難病の床で気にしていた十七歳の息子が、遺言を残し亡くなったというのです。その遺言の表題にはこう書かれていたそうです。「誤診の悲しみと生きる苦痛」。山崎さんは、彼の遺言に報いるためにも書き抜かなければと決意したのです。

そんな山崎豊子さんがその身を削って書き上げ、木村拓哉が全身で演じきる「華麗なる一族」いよいよ最終章。果たして、万俵鉄平の運命は!?



新潮社 加藤新氏 「沈まぬ太陽」担当編集者
中途半端なところであきらめないというか、納得できないところがあれば、繰り返し繰り返しお聞きになりますし、粘り強いというのは間違いありません。

経済アナリスト 森永卓郎氏
(閨閥結婚はあるのかという問いに)どんな時代でも、親の都合で結婚させられて、それが一族の経済力の維持のために役立っているっていうのは、間違いないでしょうね。

元中国大使 中江要介氏
胡耀邦総書記の方は、いろいろ周りくどい言い方をする日本人のなかで、山崎さんほどなんでもかんでもズバズバ言う人は、珍しいと思ったんじゃないですか。

金融ジャーナリスト 須田慎一郎氏
銀行っていうのはあまり外部の取材にも応じなかったところですし、取引先に関しては「一切お答えできません」というのが昔からのスタンスですから、その中で、取引の内容を聞く、といのは相当難しかったと思います。

元文藝春秋編集長 岡崎満義氏 「大地の子」担当
普通の人だと取り扱わないような問題に火の玉のように飛び込んでいく方でした。あの突撃精神は、ちょっと(他の人には)ないですね。

元新潮社 高橋潔氏 「二つの祖国」担当編集者
何度でもその人が話してくれるまで頑張るわけです。過去のことを話したくない、といっておられた方でも、その熱意に負ける瞬間があるわけです。

脚本家 井上由美子氏 ドラマ「白い巨搭」脚本担当
読者としても、脚本を書いた立場としても同じことを感じたんですけど、作品自体が予言になっている。例えば、医療ミスの問題でも『白い巨塔』が書かれた時点では、一般人にはフィクションのようなものでしたけど、何十年も経ってから世の中が騒いでいる、というのを見ても、予言になっていて素晴らしいと思いました。

元住友金属工業 鹿島製鉄所副所長 鈴木峻氏
高炉は、いまのお金にして3000億から4000億、当時のお金にしても少なくとも500億のお金が必要なんです。山特の資本金は100億足らずだったと思うんですけど、出来るはずがないじゃないか、っていうのが当時の私たちの見方でした。

8.12連絡会(被災者家族の会) 事務局長 美谷島邦子氏
息子の仏壇にお参りをしてくださって、涙を流されて…。もうそれだけで十分だという感じでした。事故を絶対に繰り返さない、失った命を無駄にしない、という活動の後押しをしているんだ、と言ってくださって…。私たちにも協力できることはないかな、と思いました。



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