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  reported by
大西洋平


ジャンプの瞬発力と、
クロスカントリーの持久力が要求されるノルディック複合。
勝者にはヨーロッパでは「King of Ski」の称号が与えられます。
その複合でアルベールビル・リレハンメルの連続金メダルを始め、
数々の栄光を掴み取ってきた日本チーム。
しかし、距離重視のルール改正をきっかけに成績が低迷。
苦難の時期が続きました。

そこから日本は長い時間をかけ、
じわりじわりと復活への道を歩んでいきました。

2009年2月世界選手権。
団体で日本チームは14年ぶりの頂点に立ちました。
複合王国・日本が復活の狼煙を上げた瞬間でした。

そして、このバンクーバー五輪。
日本は長野五輪以来、3大会ぶりのメダル獲得を目指します。
まずは、個人ノーマルヒル。
日本の完全復活を託された5人の選手たちが戦いました。

この競技で存在感を見せたのが小林範仁選手。

まずは前半のジャンプで、
本人も「今回で一番いい」と自画自賛のジャンプをみせ、12位につけます。
この時点で先頭との差は58秒差。
クロスカントリーに強い小林選手にとっては、十分、射程圏内のタイム差でした。



©IOC2010
選手が戦うジャンプ台。取材中の私の頭越しでスミマセン…


そして、後半。10kmのクロスカントリー。
強豪選手についていき、最後の最後ですっと前に出るのが小林選手の作戦。
その作戦通りに前半から先頭集団につけ、
じっくりと前を見ながらレースをしていきます。
8キロ過ぎ。下りですっと前に出た小林選手は、そのまま先頭に立ちます。
金メダルに手が届いたか!?取材中の私たちにも緊張感が走りました。
ただ、今回のコースは最後に大きな登り坂が待っています。
小林選手はその登り坂で力尽き、最終的には7位という順位でした。

試合後、
小林選手にスパートのタイミングについて聞いてみると、こう話してくれました。

「我慢をすれば接戦になったかもしれないけど、我慢をしての7位と、
攻めての7位なら攻めた方が自分らしい」

小林選手は、健闘は求めていませんでした。
金メダルをとるために、誰よりも早くゴールするために。
そのことだけを考え、滑っていました。

だからこそ、あのトップに立った瞬間に私たちは金メダルの可能性を感じ、
心の底から、小林選手を応援したのだと思います。

「日本の皆さんに興奮してもらえたなら満足です」

そう話す小林選手の試合後の表情から
興奮と笑顔が消えることはありませんでした。
自分らしさを貫き通しての7位入賞。
おめでとうございます!!



©IOC2010
こちらはクロスカントリーの会場。小林選手の笑顔には負けますが、笑顔でパチリ
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