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タイ撮影日誌1 タイの9月は雨期です。雲が厚く、低く、重い感じで、毎日、雨が降ります。まあ、日本のように一日中降りっぱなし、ということは希です…。そして、暖かいから、人間は濡れても大丈夫ですが…。撮影の大敵であります。朝ごうごうと叩きつけるような雨の音を聞きながら目覚めると、果たして今日は撮影できるのか、できなかったらどうなるのか、と、心を痛めながら出動準備をするのでありました。雨が上がった直後というのが、また、すごいんですよ。気温がぐんぐん上昇して、完全にスチームバス状態。全身から、本当に汗が、その、よく「滝のように」とか言いますけど、まさしくそれです。目は汗がしみて開けられない状態になり、ズボンはぺったり脚に貼り付いて歩けなくなり、そして、しばらくたつと「合宿の匂い」が立ちこめてきたりします。うわー。 この時期、バンコクの日の出は、6時を過ぎてから。意外と遅い気がします。暑さと日の出の時刻は関係ないだろ!ボケ!とか、赤道に近いんだから季節差がないのが当然、というツッコミがあるとは思いますが、ついそんな気がしてしまうんですよ。はい。だから、フアランポーン駅の午前5時は、まだ真っ暗です。で、真っ暗だから人がいない、というわけではなく。真っ暗だけど人がギッシリ、というわけでもない、微妙に中途半端な賑わいです。というのは、フアランポーン駅は到着列車も出発列車も、朝が多いのですよ。寝台列車なんかが、朝、到着するんですね。だから、出迎えに来ている人もいるわけです。 さて、今回の「世界の車窓から」タイ編は、まずは、北本線に乗車します。この路線は、何というか、ある意味タイにとってのハートランドを行く旅になるのではないかという気がします。古都アユタヤ(「無敵」という意味だそうです)の、あまりにも有名な遺跡がありますし、タイ族による最初の独立王国、スコタイの素晴らしい遺跡群もあります。他にもロッブリーは、6世紀から存在した都市だそうで、一時首都が置かれていたこともあるということです。一方の北部、終点のチェンマイは、13世紀のランナー王国の首都で、タイに併合されたのは1774年、と、こちらはまた、別の発見もありそうです。 タイの歴史的、文化的な中心を担ってきた、その大地を鉄道で駆け抜けるような旅になるのではないかしらん。何か、線路沿いに無造作に遺跡があったりもするらしく、期待は大きいのですが。はて。
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タイ撮影日誌2 バンコクからアユタヤを結ぶ路線は、タイ国鉄として最初に建設された部分で、1894年に運行を開始したところです。旧首都へ。そこに何か、特別な思い入れがあったのでしょうか。チェンマイまで鉄道が到達したのは、その32年後。それにしても、タイの鉄道って、どういう立場なのかなあ。まあ、チェンマイまで、飛行機でも数千円で行けるのに、鉄道を使うというのは、それは、やっぱり安いからなんでしょうけどね。運賃だけだとバンコク〜チェンマイって140バーツ(420円)で行けるようですから。その運賃って東京〜三鷹くらいかな?もちろん、急行などになると、料金が加算されていきます。 そんなわけで、今回はもっぱら三等に乗車している私たち。でも、結構快適です。窓が開いていれば、車内の暑さもそれほどではないし、リクライニングしない対面シート(少し前までは日本にもありましたよね)も悪くないです。揺れは、なかなか激しいものがありますけど。列車からの風景は、もっぱら水田です。こうして見ると、タイは広いですねえ。日本の1.4倍だということですが。 乗客は、やっぱり何というか、観光という感じの人はほとんどいません。商売その他、用があるから移動するわけで、風景なんぞにウツツを抜かしている場合じゃない、というような雰囲気の人が多いです。大きな荷物を持った人(これまた、少し前の日本でも珍しくない光景でしたが)も大勢いますし。床にずらーっと置かれたその荷物から、いもいわれぬかぐわしい魚醤的芳香が車中にただよっていたりもします。これはちょっと嫌です。そうそう。タイの人たちは、座席の上にあぐらをかいて座る人が非常に多いです。元々、裸足にサンダルという足回りなので、ひょい、とそのまま。 ところで、突然ですが、遺跡というのは、遺跡になってからの方がいいんですかねえ。いや、例えばアユタヤに来てみて、そりゃあ、この街の全盛期はどれほどすごかったか、それも非常に興味をそそるところですが。これらの寺院がピカピカで現役で、街に活気が溢れ、様々な民族の人々が行き交うというのも、想像すると素敵ですけどねえ。しかし、まあ、この崩れかけた赤茶色のレンガの遺跡になっている「よさ」というのもあるわけで。首を落とされた仏像がずらーっと並んでいるから、インパクトがあったりするわけじゃないですか。それとも、これって、単に私たちがワビサビ文化圏の出身だから、そう感じるだけ?
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タイ撮影日誌3 タイで食べるタイ料理は東京よりも断然美味しく感じます。基本的な材料が揃っているからかもしれませんが。辛さ、甘さ、酸っぱさ、そして、バジルやレモングラスやコブミカンやパクチーや干しエビや、ライムや、その他何が入っているのか詳しくは判りませんけど、全ての味や香りが、ずっと鮮烈で、複雑に感じられます。そして、あの気候!あの暑さの中で労働した後に食べるには、何だかあの塩分、糖分、ビタミンC含有量と、食欲を増進させる辛さの組み合わせが非常に合理的に思えたりもするし。 関係ないけど、タイの人は、食べ物をよく混ぜますね。例えばゴハンに何かのオカズがかかっているようなものだと、一口食べる度にしばらく混ぜていました。麺の具でさえも、スープをよりよく絡ませるためでしょうか、混ぜる混ぜる。日本人だと、せっかちだからか、ゴハンの上にオカズをポンと乗せたら、そのまま口に運んでパクリという感じじゃないですか。丼ものを食べる時も、別にぐちゃぐちゃに混ぜないですよねえ。むしろぐちゃぐちゃ的食感を嫌う傾向が強いと思います。 さて、そんなわけで、旅で最も大切な要素のひとつ、食事ですが。今回は各駅停車に乗っていたので、食堂車がありません。数時間乗り続けているので、食事は重大問題です。少し大きな駅には、それぞれ食堂や、屋台や、お弁当屋さんがあります。まあ、停車時間との兼ね合いですが。そして、各駅停車だからかどうか、車内販売も盛んです。時として、乗客よりも、売り手の方が大勢いたりすることすらあります。売っているのは、お弁当、お菓子、フルーツ、タピオカ、焼き鳥、フライドチキン、飲み物など。地域によっても違います。 そういえば、バンコクでは日本食ブームなんだそうですよ。日本食、まず、「低カロリーでヘルシー」。加えて、「緑茶には様々な健康的効能がある」。さらに、辛いもの好きなタイの嗜好を刺激してやまない「ワサビの新鮮な辛さ」、ということだそうです。ここで注目してしまうのは、やはり、「低カロリーでヘルシー」という部分ですよねー。アメリカ人が、そういうことを言うのには驚かないけど、まことに失礼ながら、その、タイでも「カロリー」とか、「ヘルシー」とか、さらに付け加えれば、暗に「太るのは悪」「成人病に注意」「腹一杯食べてはいけない」「肉より魚」というようなことを意識する時代に突入していることは、少々感慨深いものがありました。
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タイ撮影日誌4 タイ北部は、ランナータイ王国だったのですって!いえ、私には新鮮だったのですけど。もしかして常識ですか?何でも、スコータイに王国が誕生したのと、ほぼ同じ時期にランナータイは建国され、チェンマイは1296年に首都に定められて以来、ずーっと北部の中心都市として栄えてきたということです。「ランナー」とは、「100万の水田」というような意味らしく、要するに昔から米がたくさん採れたのでしょうね。「加賀百万石」と似てるかな。似てないか。そういえば、スコータイは「幸福の夜明け」という意味の古代インド語だということですし。タイには、「名は実態(希望?)を表す」系のネーミングが、実は多いのかもしれませんね。いろいろと調べると楽しいかも。 興味深いのは、そんなわけで、北部タイというのは、アユタヤ系であるところの現タイ国とは、元々は別な国なわけじゃないですか!だから、昔は結構戦争もしていたし。ということは、別の文化?別の言語?別の民族?という疑問も湧いてくるわけですが、どうなんでしょうか…。いつか調べてみたいと思います。夏休みの課題にでも…。 さて。そのランナータイ王国も、上座仏教の一大拠点だったらしく、1477年には、「第8回世界仏教会議」という、国際会議が開かれたそうです。何か、すごいじゃないですか。ちょっと、わくわくしますね。いったい、誰が出席していたのかしら。それから、「第8回」というところも、注目じゃないですか?第1-7回についても、知りたいなあ。しかし、16世紀に入ると、お決まりの後継者争いとか、いろいろあって、国力は衰退。隣のビルマがちょっかいを出してくる、ということになります。以上、中途半端な歴史的お勉強コーナーでした。他にも、今回学んだこと。 ○タイの人たちは、元々北の方(今の中国のどこか)からきたらしい。 ○タイの文字は、スリランカの文字を発展させたものらしい。 それにしても遠かったです。ピサヌロークから10時間ですからねー。ピサヌロークまで、既に10時間近くかかっていたような気がするし。でも、面白かったです。雨あり、洪水あり、遺跡あり、サルあり、の盛りだくさん。どうして、こんなに時間がかかるかというと、もちろん、理由のひとつは単線だからです。逆方向の列車と交差する都合上、駅で30分待ちというようなことが、度々あります。でも、各駅停車なのだけど、後ろから抜かれたという記憶はあんまりないのは何故だろう。
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タイ撮影日誌5 北本線に続いては、メークロン線に乗車します。メークロン線というのは、バンコクのトンブリ地区から、南西方向に、サムット・ソンクラーム(水上マーケットで有名なダムノン・サドアクのやや近く)まで走っているローカル線です。バンコクの普通の通勤列車、という感じの鉄道です。この鉄道、初めはザビエルさんという、ポルトガル人が興したようですけどね。後に国営化されました。1904年に開業したというから、相当古いですよねえ。東京近郊だと、中央線の新宿・立川間が1889年開通らしいので、その差僅かに15年…。ふーむ。いえ、どうしてそんなことが気になるかというとですね、中央線の周辺は相当栄えているじゃないですか。駅前なんてどこも立派なものです。ところがメークロン線、駅前が栄えていません。いや、それは言い過ぎかもしれないですけど、でも、栄えてないよなあ。日本のように、どんどん郊外住宅ができて、駅前商店街ができて、スーパーができて、銀行ができて、という展開をしなかったんですねえ。日本が特殊なのかなあ。 そして、メークロン線は、川によって分断されています。終点メークロン駅まで行くには、途中、渡し舟で川を渡らなければなりません。私の勝手な想像ですが、鉄橋を作るのが大変すぎるので、これで妥協したのでありましょう。それなのに!何と!この線を複線化、電化、高速鉄道化するという計画もあるそうなのですよ。だから、このローカル丸出しな雰囲気も、20年後には全く無くなって、それこそ駅前商店街になっているのやもしれませぬ。 「駅前」ならぬ「線路上商店街」とでも呼ぶべきものは、あったりします。これにはビックリ!それにしても、タイの鉄道の敷地というのは、どういう扱いなんでしょうねえ。タイでは、駅は通り道。駅を渡って向こう側に行きます。それは、「連絡通路」ということではなくて、単に線路を突っ切る、或いは、停車している列車のドアから入って、反対側から抜けて行く、というような通り方です。他にも、線路を道路のように歩く人々が、ぞろぞろいるのはもちろん、線路上に店まで出ているというのは、どういうことなんでしょうか?鉄道と契約があって、その線路上の土地一日幾らの賃貸契約があるのでしょうか?それとも、その土地の元々の所有者一族で、鉄道が敷かれた時に子々孫々まで、その土地で商売する権利を保障するという一筆があるのでしょうか。考えすぎかな?
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タイ撮影日誌6 とうとう今回の旅のメインイベント、南本線に乗車です。今さらですが、タイの主な鉄道路線は、北、南、西、東、東北。そして、東北から東に分岐した路線、と、かなり単純にバンコクから放射状に各方向に伸びているというレイアウトです。東北線はラオス、東はカンボジア、西はミャンマーとの国境に達しています。かつては、国境に達しているだけではなく、ミャンマーにもカンボジアにも線路が続いていたのですが、今は、途切れています。いつか再びつながって、鉄道大旅行ができるといいな。 というわけで、南本線。マレー半島を縦断して、先端のシンガポールまで…。とりあえずの目標は、ホアヒン。実は、私は聞いたことのない地名だったのですけど、王室の海辺のリゾート地なのです。その昔の王室ライフの雰囲気をちょっと感じるには、マルカタイヤワン宮殿という場所があります。この宮殿を作ったラーマ6世は、どうも体調が悪かったみたいですね。医者に「海辺の気候のいい所に行け」と薦められ、今よりもっと北の海岸に離宮を建てました。が、居心地が悪かったそうです。そこで、ホアヒン方面に着目。「もっと快適で海の風が吹き抜けるような宮殿にしてやるー!」と、自分でいろいろとアイデアを出して作った建物なのだそうです。しかし、そうした甲斐もなく、ラーマ6世は2年後に亡くなってしまいました。1925年のことです。バンコク〜ホアヒン間の鉄道の開通は1911年で、それがホアヒンの発展に大きく寄与しました。1922〜3年には、豪華ホテルも建設されています。 まあ、それはともかく。タイで海辺と云えば、思いつくのはパタヤ、プーケット、サムイ島で、ホアヒン…?と思いつつ、バンコクからホアヒン行で4時間20分。例によって各駅停車です。実は、ホアヒンのひとつ手前にチャアムというビーチがあって、バンコクから乗った人の多くは、そっちで降りてしまいました。やっぱり、ホアヒンは高いらしいんですよ。王室ブランドがついているわけだし、やや高級なリゾートとして売ろうというマーケティングのようです。だから庶民はチャアム。 ホアヒンの駅には、王室専用の待合室というのも設けられています。当然、ここでの疑問は「今どき、しかし、列車で王族はここに来るのか?」ということだったりしますが。王室専用列車というのもあるのかしら。現在も王族がホアヒンに逗留している時は、軍を始め、いろいろと警備も神経質になるようです。
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タイ撮影日誌7 クラ地峡、というのですよ。この細長く伸びた半島の細い部分のことですけど。英語だとIsthmus of Kra。このisthmusという単語は、何だか格好よくないですか。ラテン語系だと思うけど。で、ここの最狭部(幅僅か64km!)付近に運河を通すという計画があったそうです。ここに運河があれば、船は難所と云われるマラッカ海峡を通る必要もなくなるし。近道だし。ということは、今日に至るシンガポールの繁栄もなかったかもしれません。代りにプラチャップ・キリ・カーンとかチュンポンあたりが、大貿易港として栄えていたとか?タイの国土の一番“狭い”ところは、バン・ワン・ドゥアンという町の付近のようで、駅のホームの端っこに、その旨が小さく表示がされておりました。 南に来ているからなのか、太陽は強烈。手元の温度計では、気温は40度です。コントラストがやや強すぎて、緑が黒っぽく映ってしまいます。逆に光が当たっている部分は、明るすぎて真っ白です。風景全体が、それぞれの色で発光しているみたいな、色の濃い世界です。遠くに見える海は青く光り、植えられたばかりの苗は淡い緑に光り、大きなヤシの木は深い緑で、光沢のある葉がキラキラ光っています。幾つもの川や水田の水が、さらにキラキラ感を加えています。やっぱり多いのは水田で、その向こうに岩山があるというのが、代表的な景観です。 どんな岩山なのか、近くでじっくりチェックする必要があると思い、カオ・サム・ロイ・ヨー国立公園にも寄りました。朝6時にホテルを出て、何も食べずに公園まで行き、レンジャーに引率されて、いきなり登山!?朝とは言え、当然気温も湿度も日本の真夏ですから、ふらふらになります。石灰岩のゴツゴツした岩山は、水墨画向きかもしれません。お寺と組み合わせれば、大変によろしいかも。石灰岩って、どうして、まるで研いだように、鋭利な表面になるんでしょうね。うっかり角に引っかけたりすると、ズボンやリュックがキレイに裂けます。 国立公園から駅へと車を飛ばして、列車を待つ僅かな時間に、駅で買ったお弁当を掻っ込みます。ホアヒンから、終点ランスアンまでは6時間。長い一日。テープもたくさん回ることでしょう。 もし、時刻表でこの旅程をチェックしようという方が、いらっしゃいましたら。実は、英語版の時刻表には出ていない列車というのが、幾つかありまして、ランスアン行もその一本なのです。三等車の旅を楽しみたい方には、タイ語の時刻表をオススメします。
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タイロケ日誌8 ディープ・サウス。北と南の違いって、一番大きいのは何なのだろう。 これが案外難しいです。まあ、このグローバルな21世紀に、そういうものが明白に見られると思うことが甘い考えなのでしょうが。南部って、ガイドブックを見ても、ページ数も少ないし。きっと色々な魅力が発見されるのを今や遅しと待っているのだろう、と、例によって楽観的な撮影隊です。 色々と資料を集めて、期待満々で行ってみると「?」というケースもありますからねぇ。「マングローブの密林」の予定が「エビの養殖場」に変わっていたり。他にも“ある種名所なんだけどぉ…”というケースもあります。「王様と私」のモデルになった王様が建てた天文台、と思われるものも数秒だけ見えました。列車の窓から「へえー」と見ている間に、どんどん行ってしまいます。 タイ南部の歴史というのも、なかなか面白そうですよ。この長く突き出した半島は、交易の中心として栄えたようで。スリヴィジャヤ帝国、なんていう、素敵な名前が出てきます。7世紀から13世紀にかけて、マレー半島からインドネシアの一部を治めていたらしい。7世紀より前には、タンブラリンガという国があったそうで、ナコン・シータマラートはそこの首都、リゴールだったと考えられているというのです。何か、今とは全然違う港や町並や人々の光景というのが、うう、見たいぞ。 そのナコン・シータマラートですが、この町では、久しぶりにお寺訪問です。南本線に乗ってから、あんまりお寺を見た覚えがないですもん。高さ77メートルの仏塔が一際目を引きます。ここは南部を代表する都市なんですけど、南本線から少し外れています。だから、ナコン・シータマラート行の列車って少ないんですよ。私たちは、バンコクからの寝台急行に、ランスアンから乗車です。この急行は、これまで乗った列車とは、かなり違っていて、例えば食堂車があります。車両も、お馴染みの三等、二等、二等寝台、エアコン付二等寝台、そして一等寝台(個室)という構成です。一等寝台には誰も乗っていませんでした。 南本線に戻って、さらに南下。南部最大の都市が、ハジャイです。ハジャイは、何というか、久しぶりに都会っぽい都会です。マレーシアから、国境を越えて、遊びに来る人が多いということです。そうそう。ハジャイ駅には、軍隊がパトロールしています。自動小銃を持って。いろいろと問題を抱えている南部だ、ということに気付かされます。
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マレーシア撮影日誌1 マレーシアにとうとう到達!イエーイ! ハジャイから、バタワース行の国際列車に乗ると、あっという間に国境です。今回の旅で初めて乗車したエアコン列車。涼しいのも快適だけど、それよりも「静けさ」ですね!普通の声で会話ができるのがすごい。ほら、列車の中で出会った人たちと、簡単に会話したりするんですけど、これがタイの三等車だったら、お互いに怒鳴り合わなければならないのです。国境駅には、およそ2時間の停車でした。入国手続きを行なって、残りの時間はカフェテリアで朝食。ふう。そして、国境から約1時間乗車して、最初の都会、アロースターで下車。とにかく、国境を越えたからには、マレーシアを早く見聞きしたいという気分です。 アロースター、まず驚いたのは、キレイです!道路は広く、車は整然。道の両側には、広い芝生や歩道が整備されています。タイの大混雑な雰囲気とは大違いです。勝手に想像するに、多分マレーシアの方が人口が少ないのだろう、と。そして、規律がもっと厳格なのではないか、と。或いは、アロースターが特殊なのか。タイとマレーシア、どっちが好きかは、まあ、趣味の分れるところでありましょう。 アロースターから、続いてはバタワースに向かって、夕方の列車に乗車します。バンコク〜バタワース間は、一日2本しか列車がなく、そのせいか、結構混んでいます。特にエコノミークラス(三等車の別名)は満席。しかし、ここでトラブルが発生。車内にはビデオ上映の設備があるのですが、係の人が各車両のテレビモニターの電源を入れたところで、いきなり真っ暗。何と停電です。電源車に問題があるようで、当然、冷房も切れてしまいました。こうなると、逆に窓が開かない車両は辛い。息苦しいです。暗闇のどこかで赤ん坊が泣き出しました。何だか、列車内、いやな雰囲気。うわ、これはまいったな。あーあ。真っ暗な車内では、こちらもお手上げです。撮影続行不可能。顔がお互い見えないと、会話も弾まず、何だか沈黙の列車になってしまいました。 暗闇を走り続けて、バタワースに到着。下車してペナン島へと脚を伸ばします。マレーシア西海岸は、番組的にはかなり辛い。バタワースからクアラルンプールまでは、一日1本しか列車がなくて、これがまた夜の9時半の発車ときています。数年前までは、一日4本走っていたということですが。 あー、もう、これでは「車窓」が真っ暗になってしまいます。
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マレーシア撮影日誌2 今更ですが、マレーシア、の「シア」っていったい?という疑問がありまして。そういえば、インドネシア、ミクロネシア、メラネシア、と、この付近に「〜ネシア」が集まっています。うーん、これって、中央アジアにたくさんある「〜スタン」みたいなものだろうか、と勝手に思っていたら違いました。「ネソス」という「島」を意味するギリシャ語なのだそうです。 だが、謎は謎を呼ぶ。だって、マレーシア、島ばかりじゃないし。それに、何故、「ネ」がなくなって「シア」だけ?(あれ、もしかしてロ・シアも?) いや、そもそも、何故ギリシャ語?だって、他はなってないじゃないですか。ハワイネシアとか。モルジブネシアとか。ニュージーランドネシアとか、名付けなかったわけでしょう? まさか、ネシアが付いているところは、ギリシャ人が命名したとか。(あれ、もしかしてギリ・シアなのか?) と、まあ、下手な考え休むに何とやらみたいなことなので、鉄道について書きましょう。 マレーシアの鉄道は、簡単に言うとY字型に通っています。つまり、シンガポールから北上して、二手に分かれ、一本は西海岸を南北に。もう一本は内陸から東北に。その分岐点が、ゲマスという町なのですが。ゲマス、何の特徴もない町でした。いや(何だか毎回、同じこと気にしているようですけど)、マレーシアの二大鉄道路線のジャンクションですよ!もう少し、何というか、栄えていてもいいと思うんですけど…ないです。これは、その、ここで乗り換える人が少ないからでしょうね。<クアラルンプール〜ゲマス〜シンガポール>も<コタバル〜ゲマス〜シンガポール>も直通列車がありますから。 そんなゲマス周辺で何か見所を探すとなると、近くにゴルフコースがあるくらいかなあ。あ、ゴルフコースの南に、高さ1276メートルのグヌン・レダンという山がありまして、この山にまつわる伝説というのがあるそうです。グヌン・レダンには、たいそう美しい妖精の姫がいたそうです。で、彼女と結婚したいと思う男性は、様々な難題をクリアしなくてはならないわけです。蚊の心臓をたくさん集めるとか、涙で桶をいっぱいにするとか。色々なバリエーションがあるらしい。映画にもなっているそうですよ。 で、私たちもこのゲマスから、マレーシアの東北の端、タイ国境の近くまで、通称ジャングル・トレインと呼ばれる鉄道に乗り換えます。楽しみ。
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マレーシア撮影日誌3 「ジャングル・トレイン」という呼び名とは裏腹に、ジャングルのない車窓の風景。やっぱり鉄道が通った以上は、どんどん開発されるのが当然なのでしょうか。 朝、ゲマス駅からの出発。昨夜は大雨でしたが、とりあえず、今朝は快晴。太陽が昇るとこが見られました。 ゲマス駅から、北に向かって出発。内陸部、山の間を走っていく車窓には、小さな村が点在し、線路の周りには、ゴム、ヤシ、バナナの木が続きます。左手には、2000メートルを超える山々があるのですが、雲が低くてほとんど見ることはできません。 さて、マレーシアに入ってからの、これまでの列車と比べると、とてもオンボロな今回の列車なのですが、それでも冷房車があります。冷房車、非冷房車、そして食堂車もあります。当然、冷房車が先に混んできます。途中の駅で、客は徐々に増えてきます。タマン・ネガラ国立公園から東海岸の島々に向かう外国人の旅行者、なども乗ってきました。タイ以来久しぶりの暑くてうるさい列車は、楽しいです。 ところがゲマスからおよそ5時間半、クアラ・リピスで事件発生。何故か、私たちの列車より9時間以上も前に通過しているはずの、急行列車が停まっています。9時間遅れって、どういうこと?と詳しく聞けば、この先のグアムサンの近くで昨夜遅く脱線事故があったとのこと。脱線?タイに続いてここでも脱線?と、それはいいとして、復旧の見通しは?何でも、脱線によって10キロほどの線路が破損し、昨夜から徹夜で工事しているということです。でも、10キロ?しかも山奥だし。何日もかかりそうな予感。このままロケ続行できるのか?という割には、ほとんどの乗客は特に焦る様子もないんですよねえ。慣れっこ?やきもきしながら待つこと2時間。急行列車の方から、発車するという知らせが入りました!突貫工事で10キロ直したんですね。やるな、マレーシア国鉄。知らせを受けて、大勢の乗客が急行列車に移動します。我々の分の席はありませんが、まあ、どうせ撮影しているから、関係ないし。これで何とか、旅を続けて行けます。 脱線現場付近では、工事を終えたばかりの人たちが、最初の列車の通過を見守っていました。乗客たちも、窓に張り付いて、心配そうに見ています。列車は最徐行。線路の下に敷かれた、真っ白な石のために、工事した箇所はすぐに判ります。まったく問題なく列車は通過することができました。再びスピードを上げて、グアムサンに向かいます。
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マレーシア撮影日誌4 クアラ・リピスを過ぎると、風景が変わり、岩山が次々と現れるようになります。切り立った石灰岩の崖。そこここに、穴が開いてます。そして、何故か木もいっぱい生えている。あんな岩の上にどうやって? こんな岩山のふもとに、グアムサンの駅があります。日没直後、まだ空が明るい間に到着することができました。グアとは「洞窟」という意味で、「ムサン」はジャコウネコのような動物のことらしい。 翌朝、グアムサンから7時の出発。 駅前の食堂では、鉄道の人たちを中心に朝食中。紫色(暗いので本当は何色なのかよく見えない)に色をつけたゴハンに、魚のフレークのようなものをかけ、さらにカレーをかけ、焼いたチキンを一切れのせる。ゴハンに色をつけるのには理由があって、元々はゴハンではなかったらしい。何かの木の実だったのだそうです。で、その色が、その紫チックな色だった、というわけで、それを再現しているのですね。 このグアムサン駅には、何故か大きな水槽があって、コイに似た魚が飼われていました。駅長の趣味か?ここから乗った客は、10名足らず。大変に心配な出発でしたが、途中から乗客が増えてきて、安心しました。 マレーシアの北東部、ケランタン州は、マレー文化の中心で、非常に保守的な地域なのだそうです。文化的にも政治的にも、他の州とは一線を画する存在らしい。マハティール元首相が、なかなかこの州だけには勝てなかったという話も聞きました。そんなわけで、ここには、マレーの伝統の一部である、凧揚げや、コマ競技、大太鼓祭りなどが脈々と生きているということです。ケランタン州の中心が、コタバルという町ですが、大手国際チェーンのホテルのレストランでも酒類がないという、徹底ぶりです。 ジャングル列車の終点は、トゥンパッ。海が近いのですが、残念ながら期待していたほど美しいビーチというわけには行きませんでした。タイ国境の近くまで戻って来たからか、全長40メートルという、巨大な涅槃仏像のある寺院があり、また、これまで見慣れたヤシやゴムではなく、水田が広がっています。そうそう。実は、この 東海岸線からタイ側にも線路はつながっているらしい。でも、現在は、残念ながら国境を越えて走る旅客鉄道はありません。 ジャングル列車の旅が終わり、残すは最後の、ゲマス〜シンガポール間だけになりました。二度目の国境越えが、このロケの最後のイベントになるのかな。
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