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オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ドイツ編撮影日記
「アムステルダム撮影日誌」

撮影初日とは、なんとなく慌しいものだ。大抵は、飛行機で到着した大都市から始まるということもあるのだが、今回は少し違っていた。出発地点はアムステルダム。首都にしてはゆったりとした雰囲気に包まれている。広い道路を行く車より、狭い運河を行く船こそが、この街のペースメーカーだからだろう。船上の撮影では、ゆらりゆらり流れる街を、仕事を忘れ眺めてしまった。

最初の乗車は、アムステルダムからチーズで有名なゴーダを経由し、ロッテルダムへ向かう列車。一時間に上下一本ずつ運行している。朝9時21分、定刻に出発。「オランダ鉄道って意外と時間に正確だ」との感想を持った。しかし、その後この感想は「オランダ鉄道の朝の列車は、時間に正確だ」に改められることになる。数本の列車が折返し運行しているため、少しずつ溜まった遅れが夕方には3、40分になっていたりする。(たまたま、このルートだけかもしれないが)それでも、大都会のせかせかとした生活とは無縁に思えるこの国の人たちにとっては、その程度の遅れは許容範囲なのだろう。

撮影5日め、ロッテルダムから国境を越えベルギーのアントワープへ向かう列車に乗るべく駅に着き、構内の発着掲示板を見上げる。あれれ、昼間だというのにそうとうな遅れがでている模様。どこかで停電があり列車が途中で止まっていて、いつ来るのか全くわからないというのだ。辺りを見回すと人々の反応は、「なんてことなの!どうしたらいいの?!」とい うよりは、「そりゃ、困ったなぁ。どうしようかなぁ」といった感じ。駅員に尋ねる姿はあっても、どこかの国のように詰問することはない。

とりあえずホームへ行ってみた。そこで駅員に、次の駅までの各駅停車に乗れといわれ、素直に従う。次のドルドレヒト駅で、今度は、ここで振替輸送のバスに乗れといわれた。えっ、バス?!それは、ちょっと困る。我々は、ただ目的地まで着けばいいってわけじゃないのだから…。どうしても列車じゃなきゃ。駅を後にする人々を眺めながら、ホームに取り残された。さあ、どうしようか…。少しすると、列車が来るという。慌てて指定のホームへ移動。そこには、最初の乗車予定の一時間後のアントワープ行が滑りこんできた。かくして、無事撮影続行。

後日、その日のダイヤ混乱の理由を車掌に聞いてみた。答えは、「船のマストが橋にぶつかり、送電が止まった」とのこと。さすが、水運の国オランダらしい理由だ。

ディレクター 森重直子

アムステルダム 運河沿いの景色
旅の出発点 アムステルダム中央駅
ロッテルダム駅 本当は乗車予定ではなかった列車
「ブリュッセル」

グラン・プラスとは、どうも相性が悪い。グラン・プラスにしてみれば、そっちのタイミングが悪いということになるのだろうが。

ベルギーの首都、ブリュッセルの旧市街。グラン・プラスは、かの文豪ヴィクトル・ユーゴーが「素晴らしく大きい広場」、ジャン・コクトーが「絢爛たる劇場」と賞賛した美しい広場だ。ブリュッセルを訪れるからには、このゴシックやバロック建築が立ち並ぶ華麗広場を撮影しないわけにはいかない。どんな時間帯にどんな角度から撮影しようか、といろいろ考えていたわけである。市庁舎の向かいにある「王の家」のバルコニー、広場を見下ろせる場所からの撮影の許可も取っておいた。

日曜日の夜、ブリュッセル到着。さっそくグラン・プラスへ。その中央に立てば、ライトアップされた輝く建物に四方から取り囲まれる…はずだった。しかし、そこには大きな特設ステージが!!これでは広場の三方しか見えない。聳える塔を持つ市庁舎も、ステージが邪魔になり全景を撮るのが難しい。しかも許可取りを済ませていた「王の家」は、ステージの真後ろ。建物が見えないということは、建物からも何も見えない。今やグラン・プラスの主役は、完全にその不粋な鉄骨のステージである。昼間の撮影を予定していた翌日も状況変わらず。

火曜日、ブリュッセルのホテルをチェックアウトし、列車内の撮影をしながらナミュールへ。到着後、車を飛ばしてブリュッセルへ戻る。片道一時間ほど。ステージが片付いている可能性は低いとは思っていたが、グラン・プラスに近付くにつれスピーカーの大きな声と人々の喝采が聞こえてきた。なんと、アテネオリンピックの聖火が、たった今到着したところだという。なんというタイミング!一観光客だったら、こんなラッキーなことはないだろう。が、こちらはそうはいかない。今や、グラン・プラスの主役は、観衆に囲まれたステージ以外の何物でもない。

木曜日、ルクセンブルクの撮影を終え、ベルギーのリエージュへ列車で到着。そこから急行列車に飛び乗りブリュッセルへ。片道1時間10分。この日の夕方にはドイツへ入らなくてはならないので、これが最後のチャンスだ。イベントから2日、さすがに平常に戻っているだろうと思った(というより祈った)のだが、甘かった。広場は撤収作業の真最中。解体されるステージの横には、大きなトラックが3台。今度は、こちらが主役ですか。

どうも、グラン・プラスとは相性が悪い。

ディレクター 森重直子

ブリュッセル中央駅
街角のアイドル小便小僧
夜のグランプラス
「ルクセンブルク到着」

小さい頃から「日本は小さい」と刷り込まれて来た。中国の26分の1しかないとか、カリフォルニアにすっぽり入ってしまう、とか教えられてきたものだ。でも、ヨーロッパに来るとそうでもないなと思う。今回最初に訪れたオランダの国土は、九州くらいだという。ベルギーは、九州より少し小さく、四国よりちょっと大きい。そして、次に訪れたルクセンブルクに至っては、面積2586平方キロメートルで神奈川県くらいという。なんだ、日本ってけっこう大きいじゃない。

ルクセンブルク駅に降り立ったのは、6月22日の黄昏時。建国記念日を翌日に控え、その小さな国は、大きなイベントで賑わっていた。ホテルのチェックインも後回しに、町へ繰り出すことにした。

路地に入ると早速パレードに出会った。楽団を従えた警察の一団(だと思う)に続いて災害救助犬と消防団(たぶん)、沿道の見物人にパンや焼菓子を配りながら進むベーカリーの組合(のような感じ)、さまざまな種類の犬を連れた愛犬団体(きっと)、子供のスイミングクラブ(これはプラカードがあったからホント)等々、一国の記念行事というよりは、商店街のお祭りみたい。でも、パレードの行き着く先、アルム広場の式典会場には大公殿下も列席されているという。やっぱり国家の一大行事なのだ。

ハイライトは、日付が変わる頃に始まる花火だ。これは、本当にみごとだった。広場を埋めつくした大観衆の頭上、クラッシック音楽に乗り、時に激しく時に静かに光の大輪が夜空を彩る。この花火目当ての国民と観光客で、建国記念日前夜には、ルクセンブルク市の人口は普段の倍にも膨れ上がるというのも納得だ。

1時近くに花火が終わり、長い一日もこれで終わり。後は、駅前のホテルにチェックインし、遅い夕食を取り寝るだけ…と思っていたのだが、こここからが大変だった。一斉に動き出す観衆の中、カメラマンの杉下さんの後ろを歩いていたはずの私だったが、気がつくと人の波に流されていた。おーい!みんな、どこー??かわいそうに、三脚をかついで私の後ろにいた森さんも道連れである。疲れたし、お腹も空いた。案内板によると、駅までは大きな橋を渡ってまっすぐ行けばいいらしいが、その橋は花火の打上げで閉鎖中。地図もなくホテルの場所もわからず、見知らぬ土地で(この年で)迷子だよ、トホホ…。かなり情けない気持ちで、勘だけを頼りに夜中の雑踏を歩き始めるしかなかった。

ディレクター 森重直子
ルクセンブルク中央駅
ルクセンブルク大公館
ルクセンブルクから北へ向かう列車
「夏はどこ?」

オランダ、ベルギー、ルクセンブルクを抜け、ついにドイツへやってきた。撮影開始10日目のことだ。

日本を後にしたのは6月半ば。蒸し暑い日が続く、ああ、これからあの不快な梅雨が始まるのね、という時だった。そんな時季に初夏のヨーロッパ巡りとは、なんという幸運!カラリと晴れた青空のもと、初夏の日ざしを浴び、時折吹き抜けるさわやかな風を感じながらの撮影の日々。そう信じて疑わなかった。私は、楽観主義者なのだ。ポジティブなのだ。お気楽なのだ。単純なのだ…。だから、夏物の衣類ばかりをスーツケースにつめた。そして到着したアムステルダムのエアポート。一歩外に出ると、今にも崩れそうな雨模様。春先のような寒さだった。夏はどこ?!

撮影初日のアムステルダムこそ晴天に恵まれたものの、その後はずっと「夏はどこ?」が続いている。昨年の猛暑のニュースがうそのように、今年のヨーロッパは天候不順。例年なら、日光浴日和がつづいてもいい季節だというのに、春のように不安定な天気が続いている。空を見上げると、雲の流れのなんと早いこと。お日様が顔を出したと思ったのも束の間、一天にわかに掻き曇りポツリポツリ、そのうちザーッ。ひどい時には、これが一時間のうちに三回転ほどするのだ。
列車に乗車する時も、車内の乗客を撮影している時は晴れ、窓から景色を撮影している時は曇り、運転席へ移動すると雨、駅についてまた晴れ。外で列車の走る姿を撮影している時も、三脚立てて晴れ、列車の通過時は曇り、撤収すると雨。こんな具合である。番組の中でこれらの要素を組み合わせた時に、とても同じ日に撮影したものとは思えないかもしれない。でもホントなのだ。これぞドキュメンタリー。

日々ありったけの重ね着で寒さを凌ぐ私に、杉下カメラマンが「そろそろ買ったらどうですか」とジャケットの購入を勧める。でも、撮影中はなかなか買い物などしている時間はないのだ。それに、ちょっとくやしい。だって、この先輝く太陽が燦々と降り注ぐこれぞ夏!がやって来るかもしれないのだから。いや、来てくれなくちゃ。だから、せめて次の町までがまんしよう。そこで、まだ寒かったら買いに行こう。そう言いながらもう旅程の三分の一が過ぎてしまった。そして、今日も思わず口にしてしまうこの台詞…。いったい夏はどこへ行ってしまったの?!

ディレクター 森重直子
オランダの風車 なんて寒々しい
ルクセンブルクを走る列車 この時も天気は三回転
ライン川沿いを走る いつもこんな天気だったら…
「ドイツの時刻表」

ドイツへ入国し、最初に到着したケルン中央駅。ここでドイツ側スタッフが我々を待っていてくれた。撮影を終え車に乗り込む。ふむふむ、今度の車両はフォルクス・ワーゲンか。ふと座席を見ると、ビニール袋に入った箱の様なものが置いてある。座るのに邪魔なので、どかそうと持ち上げると、これが予想外に重い。なんだこりゃ?後で後部の荷物と一緒の場所にでも積んでもらおうと、そっと床に下ろした。

ホテルまでの移動中、あいさつと一通りの雑談が終わったところでコーディネーターのブリュンデルさんが助手席からこう言った。「頼まれた時刻表、買っておきました。」我々の撮影では、実際に乗車する列車の時刻だけでなく、沿線から列車の走る姿を撮影するためにその路線すべての時刻表が必要となる。そのため現地のコーディネーターには、事前に時刻表の入手を依頼しておくのだ。「ありがとうございます」と答えながら、時刻表を手渡されるのを待っていた。一向にその気配がない。「で、時刻表は…?」「そこに置いてあります。」そこって?まさか…!果たして、重い箱の正体は、ドイツ鉄道の時刻表だった。

その時刻表は、箱に入っていた。A4サイズより少し小さく厚みは約15センチ。中にはエリア別に分かれた時刻表がAからHまで8册と、補足1冊。以前撮影で訪れた時は、たしか2册くらいだったような気がする。それとも、その時は必要な部分しか買わなかったのだろうか。現在は、ドイツ全土の時刻表というと、この箱入りセットしかないらしい。エリア別になっているので、長距離を走る列車の場合、複数の時刻表にまたがっていたりする。頭が痛い。

これでは、時刻表片手に気ままな鉄道の旅…というのは、はっきり言って難しい。だから、普通の旅行者は買わない。では、普通の旅行者はどうしているかというと、主要な駅では、そこからの発着だけをまとめたポケットサイズの時刻表が無料で手に入るし、ローカル線ではその部分だけまとめた折りたたみ式時刻表が置いてあるので、別に困ることはない。それに、駅には親切なインフォメーションもある。

それでも、鉄道旅行にはやっぱり時刻表だよナという方は、主要駅の切符売り場でこのセットは買うことができる。ただし、持ち歩きのために、専用バッグをひとつ用意することをお勧めする。それも、できればキャスター付きを。何せこの時刻表、一式5キロの重さがあるのだ。

ディレクター 森重直子
折りたたみ版とポケット版
ページをめくりながら待っていた列車
DBの時刻表
「ヴェルニゲローデ再訪」

ドイツの中央にあるハルツ山地の麓の町、ヴェルニゲローデへやって来た。ここからハルツ山地の最高峰、ブロッケン山へ登る蒸気機関車を取材するためだ。実は、このハルツ狭軌鉄道は、1990年にも取材をしている。そして、その時私はアシスタント・ディレクターとして撮影にも同行している。まさか、もう一度来ることになるとは思わなかった。前回訪れた時は、ベルリンの壁が壊され、東西ドイツ統一が目前という激動の時だった。かつて東ドイツだった町々には、資本主義の高波が押しよせ、ざっぱんと海面を打つその直前といったところ。自由な雰囲気が広がりつつも、町の中はまだまだ色彩乏しく、そして物資も乏しかった。
今回、再びこの地を訪れることになり、過去の記憶を手繰り寄せてみたのだが、情けないことにあまりよく覚えていない。ADというお気軽な立場だったせいだろうか。覚えているのは、食事の時間は決して楽しみになることはなかったということだ。おいしいものを食べた記憶はない。今でもよく覚えているのは、スタッフのひとりが、テーブルに運ばれた魚のグリルを悲しそうに見つめながら「おい、おまえ、どうしてこんなになっちゃったんだ…」と話し掛けていたことだ。

ヴェルニゲローデのメイン通りには、以前と変わらず美しい木組みの建物が並んでいるが、素っ気無いほど素朴だったその通りが、今では賑やかなショッピング街となっている。かつて泊まった雨風凌いで寝られればよし風のホテルは姿を消し、リゾート地にふさわしい設備の整ったハネムーンにもフルムーンにもぴったりというホテルが登場。町を歩いてみても、過去の記憶は呼び覚まされない。初めて訪れる町のようだ。

そんな中、変わらないのはハルツ狭軌鉄道の機関車たち。鉄道自体は東ドイツ鉄道のローカル線から、観光鉄道へと変わっているが、1950年代生まれの機関車たちは、当時のまま今も健在。生まれて半世紀を越えてなお現役でがんばっている。以前取材したときから14年。黒い車体に、赤い車輪というのも当時のままだ。日々、出発前の操車場で丁寧な点検を受け、油をさしてもらい、ピカピカに磨き上げられているからだろう。なんだか以前より光沢が増し、きれいになった気さえする。そこではっとした。それに引き換え私は…。14年という歳月は、確実に流れている。…タメイキ…。ああ、いつまでも変わらぬ若さを保つその秘密、ぜひ教えて欲しいものだ。
ディレクター 森重直子
ハルツの機関車たち
油をさす
ブロッケン山頂近く
「夏だ!アイスだ!」

ドイツ人はアイスクリーム好きだ。あちこちの町を旅しながら気がついた。ただそれだけのハナシなのだが…

夏の到来は、アイスクリームの季節の到来。これは、どこでも見られる光景。でも、なぜか、ここドイツではアイス片手に通りや広場を歩く姿をやたらと目にする気がする。子供や家族連れはもちろん、大人だけのことも多い。背広姿の男性が二人連れ立ってアイスクリームを頬張りながら目の前を足早に通りすぎる。からっと晴れた青空の日はもちろんだが、どんより肌寒い曇り空の日でもそうだ。見ている方が、寒々してくる。ジェラートタイプも人気だが、オーソドックスなアイスキャンディータイプも多い。コーディネターに「ドイツの人って、ホント、アイスが好きですね」といっても、「そうですかぁ?」の返事。彼女にとってはあたりまえの光景なのだ。6月だ=夏だ=アイスだ、という方程式があるに違いない。

ある日、インターシティに乗車していると、ドイツ語の車内放送が入った。停車駅の案内かと思ったら、次の駅からアイスクリーム売りが乗って来るという案内だった。そして乗り込んできたのは、行楽地で見かけるような、アイスキャンディ入りの箱をたすきがけにしたお姉さん。通路を歩くと、あちこちから声がかかる。私がいた車両では、強面のおじさん、そしてテーブルいっぱいに書類を広げて仕事に没頭していたおばさんがお買い上げ。外は雨。うむ、やっぱり。私の中で「ドイツ人はアイス好き」の定説はますます固めあげられて行く。

アイス好きは、ドイツに限らずヨーロッパでは珍しくないことかも知れない。イタリアも多そうだ。それに、消費量でいえば、きっとアメリカの方が上だ。でも、アメリカの街角では、こんなにたくさんアイスクリーム屋は見かけない。世界国別ビール消費量のデータは見たことがあるが、アイスの国別消費量のトップ3はどこなのだろう?個人消費量でダントツなのは?路上消費量になると?車窓撮影旅行の道中でも、こうして、鉄道以外のことも考えているわけである。

ディレクター 森重直子
ハーメルンのカフェ
ハーメルン郊外の麦畑
ブレーメン
「夏だ!工事だ!」

夏のヨーロッパから連想する言葉を3つあげよ。そう聞かれたら、答えは「工事」「遠足」「野外コンサート」だ。(次点「アイスクリーム」)

後ろから説明すると、まず「コンサート」。今回旅したのは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ドイツ。ヨーロッパの中でも北に近く、冬が長く夏が短い。そのため、夏の間は少しでも屋外で過ごそうという気持ちが強いのだろう。少しくらい天気が悪くても通りのカフェはいつでもいっぱい。そして週末ともなれば、野外コンサートが多く催される。あちこちの町の広場で、イベントの準備が進められていた。何があるのかと聞くと、答えは決まって「コンサート」だった。

次に「遠足」。夏休みが近づき、通常の授業もほとんど終わる頃になると、遠足や課外授業にでかける学校が多いようだ。夏休みに入って、キャンプや修学旅行というのもあるようだが、ともかく列車の中で幼稚園児から大学まで、学生の団体によく会う。撮影の前半では、静かだった車内に子供達が乗り込んでくると、「おっ!ラッキー。撮影に行きましょう。」とアプローチ。何年生?どこへ行くの?何をするの?と、子供達の表情を楽しみながら撮影をしていた。そのうち、団体が乗り込んでくると、またですか?どうします?撮ります?とカメラマンの杉下さんは、目で訴えかけてくるように…。それでも、子供達の楽しそうな様子は、見ているこちらにも楽しいものだ。

さて、問題は「工事」。これには泣かされた。厳しい冬は、屋外での作業には適さない。おのずと工事は夏に集中する。撮影を予定していた駅や大聖堂が工事中という状況が続出。アムステルダム中央駅、アントワープ中央駅、リエージュ・ギユマン駅、フランクフルト中央駅、ハーメルン駅、リューベック中央駅…これら、すべてが工事中。それも、かなり大規模に。これに足場の組まれた大聖堂を加えたら、もう数えきれないかもしれない。しかし、この工事があるからこそ、伝統ある建造物が維持保存されていくのだろう。すばらしいことだ。それでもやっぱり、今回それらの全景を映像におさめられなかったのは残念至極。それでは、数年後にでも再訪しますか。でも、きっとその時には新たな修復工事が始まっているに違いない。
ディレクター 森重直子
ハーメルン駅
アルスフェルトのマルクト広場
リューベック中央駅
「旅の終わり、バルト海」

バルト海に近いバート・ドーベラン。今回の撮影はこの地が最後になる。海辺のキュールングス・ボルンまで、蒸気機関車の引く列車で15キロ程の小さな旅。19世紀末に内陸の町から海岸の保養地まで、観光客を運ぶために作られた鉄道だ。最終目的地は、海。青い海と青い空。太陽が降り注ぐ夏の海岸!これがイメージなので、ここ数日続いている曇り空がちょっと心配だ。ここでは、今回唯一の空撮も予定している。ますます晴れてほしい。

空撮当日は、みんないつもより早く起きる。空模様が心配だからだ。朝の空は、不安的中の曇天だ。今回、近くに空撮が可能なヘリコプターがなかったので、少し離れた場所から飛んできてもらうことにした。そのため、決行か中止か早めの判断が必要になるのだ。この曇り空が続くようなら、時間を遅くした方がよいのではとも思ったが、電話でのパイロットのアドバイスは、多少の曇なら予定通り午前中の撮影決行。変わりやすい天気のもとでは、この判断はとても難しい。たとえ晴れても、風の状況もある。空撮の判断は、いつも賭けのようだ。しかし、今回はみごと勝利!ヘリコプターを待っている間に、青空が見えてきたのだ。パイロットの腕も最高で、満足のゆく結果となった。(この機関車の撮影で、本当に天気がよかったのは、空撮の時だけだ。それはそれで、困ったものだが。)

空撮を終え、再び地上に降り立った。まだ青空は続いている。ランチタイムではあったが、それどころではない。太陽が降り注いでいる間に、ビーチへ行かなくては!かくして、ビーチには、夏の日を楽しむ大勢の人々が集っていた。うれしい。しかし、ほっとすると今度は、ちょっと悲しくなってきた。こんな気持ちのいい夏の日、しかも目の前には青い海。なのに、我々は機材を持って走りまわらなくちゃならないなんて。何が嫌いって、みんながビーチでくつろいでいる間を歩き回りながら、仕事をすることだ。町の観光地や山の観光地だってこんなに嫌じゃない。でも、ビーチはダメ。なぜなら、あっちとこっちの違いがあまりにもハッキリしているからだ。裸足や水着があっち。服着て靴穿いて、重い荷物がこっち。もう少し晴天が続けば、30分くらいはビーチでゆっくりできたかもしれないが、大急ぎで撮影を終え、次のポイントへと移動。この後また俄に曇り始めた。変わりやすいこの夏の天候に、最後まで振り回された撮影だった。
ディレクター 森重直子
バード・ドーベランの町を走る
海沿いを走る
バルト海のリゾート
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