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■『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』
(1) 今回のロケで最も当てにしていたプーノ~アレキパ間の列車が動いていないこと、プーノ~クスコ間も不定期だということを知らされる。正直の所ショックだ。でも愚痴っても仕方ない。気を取り直して、外務省に出向き記者証を発行してもらい、銀行で両替を済ませる。町の人々はインデイヘナの血が混じった人が多く、みんな胴長短足で、日本人としては親近感が持てる。町全体が何となくざわついた感じがするのは、政情が不安定だからだろうか…。陽気なブラジルとの落差が大きく、ちょっとしたカルチュア・ショックだ。 11/fevrier(mardi) 飛行機はアレキパを経由してフリアカへ。5000メートルを越すアンデスの山々には雲がかかっている。14時フリアカにランディング。標高は3875メートル。飛行機を降りた途端に空気が薄いことを感ずる。タクシーで、チチカカ湖畔のプーノへ。途中、湖畔に列車の走行撮影の良いポイントを見つける。しかし、列車は走るのか…。ホテルにチェックイン後、山口氏は駅に列車の運行状況を調べに、我々は丁度佳境を迎えた『カンデラリアの聖母祭』を撮影に。町を楽団と共に踊りながら練り歩く人々の、色鮮やかな衣裳が美しい。天気が悪いのが残念だ。夜になると雨が降り始めたが踊りは深夜まで続いていた。 それにしても、空気が薄く息苦しい。高山病対策は、一に身体を動かさないこと。二に飲酒、喫煙を控えることだというが、全部破ってしまった。この先大丈夫だろうか…。
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■『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』
(2) 7時10分プーノ駅に到着。列車は7両編成でインカクラスと呼ばれる1st クラス(朝、昼食付き80US$)とバックパッカー車(14US$)に分かれている。列車に乗り込むフランス人の団体客を撮影していると、鉄道員がやって来て「今日は乗務員の制服が正式のものではないので、撮影は困る」とのこと。そこで、乗務員がらみのシーンは、後日終点まで乗車する日にまわし、風景と乗客の表情を撮るということで許可をもらう。 8時01分、南米の列車としては異例の定刻通りの出発。さすが、ペルー鉄道御自慢の観光列車だ。町を出ると、朝の陽光を照り返すチチカカが車窓に飛び込んでくる。特に最後尾の展望車からの眺めは最高だ。フランス人の観光客たちも、みんな遠足の子供のように目を輝かながら車窓に魅入っていた。 しばらく走ってから、バックパッカー車を覗くと、そこでもみんなガイドブックや地図を手に通り過ぎて行く風景を楽しんでいた。そんな中で、スイスからやってきたという若いカップルに声をかけられた。聞けば男性はテレビのカメラマンで、僕たちのハイヴィジョンカメラに興味があるとのことだった。しばし話し込んだ所で、女性の方から「この国の印象は?」と訪ねられた。 「風景も人々も、なかなか興味深いけれども、とにかく空気が薄いのが大変だ」と答えると、「スイスも標高4000メートルの山国だから、私たちは平気よ」とウィンクしながら笑った。なる程、人間の順応力はたいしたものだ。早く、僕たちも慣れると良いのだが…。 展望車に戻りしばし風景を撮影。ペルーの季節は雨季と乾季の二つ、今は雨季で、鮮やかな新緑と、大地に出来た水溜まりに反射する青空と雲が印象的だ。最初は雨季の天気が心配だったが、こうしてみると空は晴れていても、あたりが褐色の乾季よりも良かったようだ。その後、峠を目指して蛇行運転が始まった運転席へ。前方に真っ白な雪を被った峰が迫ってくる。標高がどんどん上がり、ますます息苦しくなってくる。13時過ぎ、4319メートルの峠の駅ラ・ラヤに到着。運転手や乗客に別れを告げ、列車の走りを撮影するポイントを探す。心臓バクバク、呼吸ゼーゼー、駅からおよそ150メートルの所に雪山をバックにした絶好の場所を発見、カメラを構えると同時に、列車が汽笛を鳴らし、カメラの前を通り過ぎて行った。最高のカットだ。でも、心臓も肺も悲鳴を上げている。さて、この先、身体はもつのだろうか…。
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■『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』
(3) 午後は沿線のプカラという村に向かい、この村に伝わる牛の焼き物を作る母子を撮影。焼き物は魔よけとして、屋根の上に飾るのだそうだ。ちなみに村の名前プカラとは城塞のことで、村を見下ろす丘の上にはかつての遺跡があった。 アンデスの高地に暮す人々の生活に触れながら、ふと、呼吸が大分楽になったのを感ずる。どうやら、僕たちの身体も高原の民に近付いて来たようだ。 15/fevrier(Samedi) フリアカ駅を出発するとすぐに、列車は線路際にびっしりと並んだ露天の間を擦り抜けて行く。乗客たちはその活気溢れる表情に驚きの声を上げる。観光客にとってはなかなか興味深いペルーの人々の生の表情だ。 列車の中では、シャーマンによる安全祈願が行われ、乗客達の異国情緒をかきたてる。標高が高いということは、太陽に近いということ、混じり気のない強い陽射しを浴びて、列車は走り続ける。標高4319メートルのラ・ラヤの峠を過ぎると列車は下りはじめる。通り過ぎて行く風景が高原から田園へと変化していく。やがて、夕暮れが迫る頃、車窓にクスコの町が姿を現わした。列車を降り、深呼吸をする。わずか400メートル低いだけで酸素が濃い。
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■『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』
(4) 帰りがけ、途中のイスクチャカ(石橋の意)という町で駅を見つける。興味半分で行ってみると、線路際には食べ物の屋台が並び、人々が集まっている。訪ねてみると8時にクスコを出発するローカル列車を待っているのだという。それはラッキーというわけで撮影開始。野菜が入った袋を持つ女性。屋台で朝食を頬張る青年、チーズやトウモロコシを売る老婆。素朴な人々の表情を沢山撮る。そんな中で印象的だったのは太鼓を抱えた歌歌いの少年だ。最初は遊びで歌っているのかと思ったら、なかなかの歌唱力。
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