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ペルー編撮影日誌
『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』

(1) 
10/fevrier(Lundi)
ブラジル、サンパウロからペルー、リマへ移動。飛行機が1時間遅れ、到着は12時過ぎに。
通関で一悶着、撮影許可の書類をみせるが、係官の女性が手続きに慣れておらずデポジットを払えという。すったもんだのすえ、責任者が現われ、何とか通過。コオデーネイターの山口氏と合流しまずは打ち合わせを兼ねて昼食へ。

今回のロケで最も当てにしていたプーノ〜アレキパ間の列車が動いていないこと、プーノ〜クスコ間も不定期だということを知らされる。正直の所ショックだ。でも愚痴っても仕方ない。気を取り直して、外務省に出向き記者証を発行してもらい、銀行で両替を済ませる。町の人々はインデイヘナの血が混じった人が多く、みんな胴長短足で、日本人としては親近感が持てる。町全体が何となくざわついた感じがするのは、政情が不安定だからだろうか…。陽気なブラジルとの落差が大きく、ちょっとしたカルチュア・ショックだ。

11/fevrier(mardi)
12時半、二時間遅れでプーノ行きの飛行機がテイク・オフ。これから撮影する予定の列車はこんな事が無いことを祈る。ところで、この国の国内便で使用されている飛行機はボーイング727、かつて“空の貴婦人”と呼ばれた名機だ。確か日本ではもう10年以上前に引退したはずだ。飛行機にも興味がある僕としてはこの727に乗れるのはとても興味深い体験だ。機内はけっこうガタがきているが、整備は万全らしく短い滑走であっという間に空へと舞い上がった。南米ではついこの間まで戦前の名機DC-3ダコダが飛んでいたくらいだから、727はまだ若い娘の部類かも知れない。

飛行機はアレキパを経由してフリアカへ。5000メートルを越すアンデスの山々には雲がかかっている。14時フリアカにランディング。標高は3875メートル。飛行機を降りた途端に空気が薄いことを感ずる。タクシーで、チチカカ湖畔のプーノへ。途中、湖畔に列車の走行撮影の良いポイントを見つける。しかし、列車は走るのか…。ホテルにチェックイン後、山口氏は駅に列車の運行状況を調べに、我々は丁度佳境を迎えた『カンデラリアの聖母祭』を撮影に。町を楽団と共に踊りながら練り歩く人々の、色鮮やかな衣裳が美しい。天気が悪いのが残念だ。夜になると雨が降り始めたが踊りは深夜まで続いていた。

それにしても、空気が薄く息苦しい。高山病対策は、一に身体を動かさないこと。二に飲酒、喫煙を控えることだというが、全部破ってしまった。この先大丈夫だろうか…。

ディレクター狩野喜彦

踊りながら通りを歩く祭りの行列
踊りながら通りを歩く祭りの行列
聖母像とともに歩く人々
聖母像とともに歩く人々
『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』

(2)
12/fevrier (Mercredi)
酸素の濃度が低いせいで、断続的な浅い睡眠だった。それでも昨日よりもいくらか呼吸が楽になった。前日のリサーチで、クスコ行きの観光列車が発車するとの情報を得たので、早速途中のラ・ラヤの峠まで乗車することにする。列車は乗客の予約が30人以上入った日は運行するとのことだ。

7時10分プーノ駅に到着。列車は7両編成でインカクラスと呼ばれる1st クラス(朝、昼食付き80US$)とバックパッカー車(14US$)に分かれている。列車に乗り込むフランス人の団体客を撮影していると、鉄道員がやって来て「今日は乗務員の制服が正式のものではないので、撮影は困る」とのこと。そこで、乗務員がらみのシーンは、後日終点まで乗車する日にまわし、風景と乗客の表情を撮るということで許可をもらう。

8時01分、南米の列車としては異例の定刻通りの出発。さすが、ペルー鉄道御自慢の観光列車だ。町を出ると、朝の陽光を照り返すチチカカが車窓に飛び込んでくる。特に最後尾の展望車からの眺めは最高だ。フランス人の観光客たちも、みんな遠足の子供のように目を輝かながら車窓に魅入っていた。

しばらく走ってから、バックパッカー車を覗くと、そこでもみんなガイドブックや地図を手に通り過ぎて行く風景を楽しんでいた。そんな中で、スイスからやってきたという若いカップルに声をかけられた。聞けば男性はテレビのカメラマンで、僕たちのハイヴィジョンカメラに興味があるとのことだった。しばし話し込んだ所で、女性の方から「この国の印象は?」と訪ねられた。

「風景も人々も、なかなか興味深いけれども、とにかく空気が薄いのが大変だ」と答えると、「スイスも標高4000メートルの山国だから、私たちは平気よ」とウィンクしながら笑った。なる程、人間の順応力はたいしたものだ。早く、僕たちも慣れると良いのだが…。

展望車に戻りしばし風景を撮影。ペルーの季節は雨季と乾季の二つ、今は雨季で、鮮やかな新緑と、大地に出来た水溜まりに反射する青空と雲が印象的だ。最初は雨季の天気が心配だったが、こうしてみると空は晴れていても、あたりが褐色の乾季よりも良かったようだ。その後、峠を目指して蛇行運転が始まった運転席へ。前方に真っ白な雪を被った峰が迫ってくる。標高がどんどん上がり、ますます息苦しくなってくる。13時過ぎ、4319メートルの峠の駅ラ・ラヤに到着。運転手や乗客に別れを告げ、列車の走りを撮影するポイントを探す。心臓バクバク、呼吸ゼーゼー、駅からおよそ150メートルの所に雪山をバックにした絶好の場所を発見、カメラを構えると同時に、列車が汽笛を鳴らし、カメラの前を通り過ぎて行った。最高のカットだ。でも、心臓も肺も悲鳴を上げている。さて、この先、身体はもつのだろうか…。

ディレクター狩野喜彦

展望車内
展望車内
展望車のデッキからの眺め
展望車のデッキからの眺め
『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』

(3)
13/fevrier(Jeudi)
6時30分、ホテル出発。朝日を撮影するためチチカカ湖とプーノを見下ろす丘に登る。残念ながら空はブルゥ・グレイの雲に覆われており、朝日は顔を出さなかった。朝食後チチカカに浮かぶトドラと呼ばれる葦の一種を積み重ねた浮島へ行く。標高3800メートルの湖と水上に暮す人々。これまで、色々な紀行番組で見た光景だが、実際に浮島の上に立って、人々の暮らしに接してみると人間の生活力の強さに改めて感嘆させられる。

午後は沿線のプカラという村に向かい、この村に伝わる牛の焼き物を作る母子を撮影。焼き物は魔よけとして、屋根の上に飾るのだそうだ。ちなみに村の名前プカラとは城塞のことで、村を見下ろす丘の上にはかつての遺跡があった。

アンデスの高地に暮す人々の生活に触れながら、ふと、呼吸が大分楽になったのを感ずる。どうやら、僕たちの身体も高原の民に近付いて来たようだ。

15/fevrier(Samedi)
6時30分、ホテルチェックアウト、駅に向かう。今日はクスコ行きの観光列車に乗り込みクスコまで、約10時間の旅だ。駅に乗り付けた観光バスから乗客達が降りてくる。彼らを撮影しながらその言葉に耳を澄ます。「ボンジュール」「グーテンモルゲン」フランス語とドイツ語だ。結構年とった人たちが多いのに、その顔は遠足に向かう子供のようだ。出発前の様子を一通り撮った後、ロケバスでチチカカ湖に沿って走る線路を見下ろせる場所に向かい、列車の走りを撮る。湖水が照り返す朝の陽光を浴びて走る列車。なかなかのシーンだ。でも、その美しいシーンに酔いしれている暇はない。急いでロケバスに乗り込み、列車を追いこし、フリアカ駅で列車に乗る。何といっても、ペルー唯一の長距離列車、気合いを入れて撮影しなければ。

フリアカ駅を出発するとすぐに、列車は線路際にびっしりと並んだ露天の間を擦り抜けて行く。乗客たちはその活気溢れる表情に驚きの声を上げる。観光客にとってはなかなか興味深いペルーの人々の生の表情だ。

列車の中では、シャーマンによる安全祈願が行われ、乗客達の異国情緒をかきたてる。標高が高いということは、太陽に近いということ、混じり気のない強い陽射しを浴びて、列車は走り続ける。標高4319メートルのラ・ラヤの峠を過ぎると列車は下りはじめる。通り過ぎて行く風景が高原から田園へと変化していく。やがて、夕暮れが迫る頃、車窓にクスコの町が姿を現わした。列車を降り、深呼吸をする。わずか400メートル低いだけで酸素が濃い。

ディレクター狩野喜彦

チチカカ湖に浮かぶ浮島
チチカカ湖に浮かぶ浮島
浮島で暮らす人々
浮島で暮らす人々
線路沿いに並ぶ露天
線路沿いに並ぶ露天
『Padre Viento,Madre Sol(父なる風、母なる太陽)』

(4)
16/fevrier (Dimanche)
5時50分ホテル出発。6時発のマチュピチュ行き展望列車をロケバスで追いながら撮影して行く。列車はスイッチバックを繰り返しながらクスコの町を後に、アンデスの山懐を走って行く。幸い道路と線路が並んで走っている場所が多く、沢山のカットを稼ぐ。ただ、クスコは晴れていたが次第に雲が低くたれこめて来たのが少し残念だ。クスコからおよそ80キロ地点で展望列車を見送り、続いて6時15分発のバックパッカー列車の走りを撮る。

帰りがけ、途中のイスクチャカ(石橋の意)という町で駅を見つける。興味半分で行ってみると、線路際には食べ物の屋台が並び、人々が集まっている。訪ねてみると8時にクスコを出発するローカル列車を待っているのだという。それはラッキーというわけで撮影開始。野菜が入った袋を持つ女性。屋台で朝食を頬張る青年、チーズやトウモロコシを売る老婆。素朴な人々の表情を沢山撮る。そんな中で印象的だったのは太鼓を抱えた歌歌いの少年だ。最初は遊びで歌っているのかと思ったら、なかなかの歌唱力。
聞けば、れっきとしたプロだと胸を張った。やがて、列車が到着し人々を乗せ、去って行った。気が着けば、この駅のシーンは、この国に来てから初めての、地元の人々と鉄道の触れあいのシーンだった。

19/fevrier (Mercredi)
5時30分、ホテル出発駅へ。6時発のマチュピチュ行き展望列車に乗り込む。席は満席だ。この列車はペルー鉄道がその運営に最も力を入れている列車で、トレインホステスもエキゾチックな美人揃いだ。天窓を流れて行く、切り立つ岩山の風景は、とてもダイナミックで展望列車ならではのものだった。

20/fevrier (Jeudi)
7時。一番の登山バスでマチュピチュへ。しかしマチュピチュは垂れ込めた雲の中で5メートル先も見えないくらいだ。3時間程ロッジで天気待ちをしているとようやく雲が流れ始めた。早速カメラを回す。雲の衣裳を纏った空中都市の姿は幻想のようだ。

22/fevrier (Samedi)
6時15分ホテル出発。谷間で、ウルバンバ川に沿って走る列車を2つ撮影。その後トウモロコシ酒を作る農家、インカ時代の町並みをそのまま残すオリャンタイタンボの町を撮り、一旦クスコに戻り市場と坂道を撮影。午後2時ワロコンド村で、乳飲み豚の丸焼きレチョンを撮影。これは美味!!夕方ワロコンド村を通り過ぎる列車を撮影し、今回の南米ロケの全てを終わる。振りかえってみれば、ペルー鉄道の方針で、観光列車のみの撮影になってしまったが、沿線の村を幾つか撮影することで、アンデスの山中に暮す人々の姿をクローズアッップ出来たのではないだろうか…。Adios! Puebro de Peru .

ディレクター狩野喜彦

イスクチャカの駅にて
イスクチャカの駅にて
展望列車のトレインホステス
展望列車のトレインホステス
姿を現したマチュピチュの遺跡
姿を現したマチュピチュの遺跡
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