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ブラジル編撮影日記
■『大地のサウダージ(郷愁)』

(1)23/Janvier (Jeudi)
予感はあった。24時間飛び続けたボーイング747が、積乱雲を掻きわけるかのように機体を揺らし、サンパウロ空港に向けて降下し始めた時から…。エルニーニョ現象の翌年は、南米の天気は安定しない。6年前、やはりエルニーニョの翌年、アルゼンチン、ウルグアイに赴いた時、悪天候に散々悩まされた時の記憶が脳裏を過った。

空港を後に市内へ向かう。13年振りのブラジルは、どんよりとした鉛色の雲が低く垂れ込めていた。「このところ天気が安定していなくて。ベロ・オリゾンテ〜ヴィットリア間の列車の運行はまだはっきりしていません」コオディネーターのリーナ嬢の言葉がズシンと響く。この路線は今回のロケで最も重要な路線だ。もし駄目になるとけっこう苦しい。何とかなるだろうか…。いや、何とかしなければ。所々に見覚えのある風景を眺めながら自分に言い聞かせる。

昼食後、ウォーミング・アップにと、機材を持って街に出掛ける。最初は移民博物館のロケハン。ここには19世紀から20世紀前半に、移民を運んだ蒸気機関車が保存されている。撮影する価値があるかどうか、許可の関係で早急に判断しなければならない。観光用ということで、あまり価値はないと思っていたのだが、館長の日系人ミドリ・ヒグチさんから聞いた移民たちのロマンと苦労が入り交じった開拓時代の話と、手入れの行き届いた蒸気機関車を見ていると気持ちが傾いて来た。そして何よりも駅の壁に貼ってあった日本の移民募集のポスターに書かれた『さあ行こう、一家をあげて南米へ』という文句を読んだ時、この大地に国家を築いた移民の歴史は無視出来ないという想いにかられ、撮影をお願いすることにした。果たして、この大地は移民たちが夢見た『約束の地』だったのだろうか、ロケが終わるまでにその辺りを感じられれば、番組がより深いものになるのだが…。

強い風が灰色の雲を吹き飛ばし。青空が見え始めた。中心街にあるビルの展望台に昇り町の俯瞰を撮影する。「この国はどう?」案内の女性が微笑みながら聞いてきた。風になびく長い黒髪、陽射しに輝く小麦色の肌、彫の深い顔立ち。多分、幾つもの民族の血が混じっているのだろう。そのエキゾチックな美貌に圧倒されそうになる。「うん、すごくフレンドリーな気がする」僕の答えに彼女は頷き、町を見下ろした。陽射しを照り返す通りを、人々が行き交っているのが見える。パウリスタ通りだ。通りに降りると、様々な肌の色をした市民が行き交う。貧富の格差をはじめ、この国の経済は決して明るいものではない。でも、人々の表情に暗さは感じられない。彼等は自らを、誇りをこめてパウリスタと呼ぶのだという。

「おい、何を撮ってんだ!」カメラを向けた老人が、突然声をかけてきた。ポルトガル語はラテン語系の言葉だ。耳を済ませ、知っているスペイン語、イタリア語、フランス語の単語を連想すると、何とか大意は理解出来ることがある。最初は怒っているのかと思ったが、よく聞くと「俺なんか撮るより、この国には沢山きれいなものがある。それをちゃんと撮りなさい」と言っているようだ。「ハイ、分かりました。オブリガード!!」そう答えると老人は僕の肩を叩き、ウィンクして去って行った。何だか、楽しいロケになりそうな気配がしてきた。夕食後、遠くで雷鳴が聞こえたような気がした。でも、今夜は気付かないことにしよう。

ディレクター狩野喜彦

■『大地のサウダージ(郷愁)』

(2)24/Janvier (Vendredi)
AM6:30、ホテルを出発。サンパウロから約2時間半でロケバスはピンダモニャンガーバに到着した。空は雲が切れはじめ薄日が射し始めていた。

町の俯瞰を撮るため、辺りで一番高い9階建てのビルの屋上へ。エレベーターが故障中で階段を昇ることに。一段昇るごとに身体がロケモードに入って行くのを感ずる。

上から見下ろすと、町は大地という海にポツンと浮かんだ島のように見える。その姿は、自然発生的に生まれたヨーロッパの町とは異なり、開拓者たちが大地を切り開き、築いたものだということを実感させてくれる。
駅は観光列車の起点でもあるため、ポルトガル風のタイルが飾られた、なかなか品の良い建物だ。11時発のピラクアマという山間の村まで一時間かけて走るローカル線の出発を待つ。列車は木製の電気機関車と古い客車が一両。なかなか味のある風貌だ。乗客たちは沿線に暮らす人々で、車掌は乗客達とは顔馴染み。それぞれがどの駅で降りるのかすべて知っているのだという。そういえば、列車は線路工夫のお弁当も運んでいた。

列車が走り出すと、無心に窓の外を眺めている少年が目についた。お父さんの話では、少年は大の列車好きで、毎週必ず2回この列車に乗るのが楽しみなのだという。窓の外を流れて行く風景をじっと見つめる少年の表情。おそらく彼にとって列車は自分を遠くに連れて行ってくれる夢の機械なのだろう。彼が大人になるまで、この国に鉄道が走っていてくれるといいのだが?。

一往復し、昼食を済ませ、列車の走りを撮影するポイントを探す。山間を抜ける大きなカーブと、川に沿って走るポイントを見つける。リーナ嬢には駅に行ってもらい、携帯電話で出発を確認する手はずを整え、畑の中で列車を待つ。空がどんどん暗くなり、雨足が激しくなってくる。そろそろ駅を出発だという頃にリーナ嬢から連絡が入る。何と、大雨で漏電の可能性があるので、送電をストップし、今日の運行は中止になったという。やれやれまいったな!!この列車の味のある走りは、何とか撮影したい。しかし、明日、明後日と列車は走らない。どうすればいいのか?。車の中で協議。リーナ嬢が名案を思い付く。本来は明後日、他の路線を撮影後、サンパウロに戻り飛行機でリオ・デ・ジャネイロに入る予定だが、それをやめてここに舞い戻り、翌日の朝6時発の列車の走りを撮る。その後、車でリオ・デ・ジャネイロに向かうという案だ。よし、これでひとまず問題解決、明日に期待しよう。

ディレクター狩野喜彦

『大地のサウダージ(郷愁)』

(3)25/Janvier(Samedi)
目を覚し、まず窓の外を見る。昨日電車をストップさせた雨は止んでいる。しかし、今日撮影予定の登山電車が目指すマンチケイラ山脈は厚い雲を纏い、その輪郭も見えない。朝食後、リーナ嬢が電車の確認の電話を入れたところ、今日は団体予約が入っているため必ず動くとのことで、8時過ぎ駅に向かう。

8時47分ホームに入って来た電車を撮影。一両の機関つきの電車で、観光用らしく、乗客が風景を楽しめるようにと窓が大きく作られている。9時を回った頃、観光バスで乗客たちが到着する。駅舎のなかで愉しそうに会話する何組もの家族たち。そんな中で、1人のお婆さんの姿が目についた。聞けばこの団体、このお婆さんを家長とする親族なのだという。今日は、ブラジル中に散った親族たちの親睦を深める旅行なのだ。お婆さんは、ポルトガルからやって来た移民の2世。親族は3世、4世、中には5世にあたる小さな子供もいる。白い肌、褐色の肌?、彼等の肌の色は様々で、移民の国ブラジルの歴史を感じさせてくれる。

9時30分、列車が出発。天気は相変わらずだが、それを吹き飛ばすような家族たちの笑顔が素敵だ。中でもお婆さんに甘える褐色の肌の少女の姿が印象的だった。電車は1時間程走ると、マンチケイラ山脈の山間を登り始め、低く垂れ込めた雲の中を走って行く。天気が悪いのが逆に幸いして幻想的な風景が続く。乗客たちは老いも若きも、みんな愉しそうにその風景を見ていた。この路線の勾配は11%もあり、ここを特殊な方法(スイッチバックやアプト式)を使わずに登る電車は世界でも珍しいという。

海抜1743メートルのカシッケの駅で約20分の休憩。天気が良ければホームからは美しい景観が見渡せるというが、天気は回復しない。それでも流れる雲と緑の樹木が織り成す墨絵のような風景はなかなか魅力的だ。ところでこの駅で売っている鱈のミンチフライは美味で有名ということで、みんな嬉しそうに頬ばっていた。ひとつ食べてみたが、塩味が程よく、カラッと揚げられていてなかなかの味だった。終点のカンポス・ド・ジョルドンに近付くと雲が切れ、太陽が顔を出した。この町は20世紀初頭から結核の療養地として知られており、町並みはスイスを思わせる。電車を降り、手を振りながら乗客たちと別れる。曾孫を抱いたお婆さんの笑顔が爽やかだ。このあと愉しい旅が続くことを祈る。

ディレクター狩野喜彦

ブラジル撮影日記・写真
『大地のサウダージ(郷愁)』

(4)26/Janvier(Dimanche)
スカッと快晴!とはいかないが、空は薄い雲がかかっただけの比較的良い天気だ(この程度の天気で良い天気と言わなければならないのが残念だが)。

今日の撮影はカンピナス〜ジャグアリウナ間24キロを走る保存鉄道。この鉄道は、19世紀半ば、コーヒーを運搬するために敷かれた鉄道で、ブラジルでも有数の歴史を持っていたが、1960年代に当時の経済発展政策から次々と建設された高速道路にその地位を奪われ、見捨てられた存在になってしまった。1977年この地を訪れたフランス人パトリック・ロランジェ氏は、そんな鉄道の姿を痛ましく思い、鉄道保存協会設立を試み、彼の呼び掛けに集まった有志の手で甦った鉄道だ。現在この協会は17台の蒸気機関車を所有する程に成長し、その歴史的な価値はラテン・アメリカ1といわれている。

9時少し前に駅に到着。まず蒸気機関車の準備を撮影。パトリック氏の意志を受け継いだボランティアたちの手で運営されているだけあって、手入れが行き届いているのが良く分かる。
ホームの待合室で、顔にメークアップを施している二人の男を発見。近付いてみると、それはピエロの化粧。何でも列車の一両を借り切って開かれる誕生会のアトラクションに呼ばれたのだという。メークが終わると、1人が1メートル半ほどの高下駄を履き巨人になり太鼓を叩き、もう1人は次々と色々な芸を披露する。ホームに歓声と笑顔が溢れる。両親に手を引かれた4歳の誕生日を迎えた少年がちょっと照れくさそうにはにかみながら登場し、お友達が次々にプレゼントを手渡す。なかなか楽しい光景だ。

出発前、車掌さん(彼の本職は教師)が鉄道の歴史を乗客たち分かりやすく説明する。子供たちが真剣に聞いているのが微笑ましい。こうして鉄道を愛する気持ちが子供に伝えられていくのだ。

10時10分、誕生日の少年の家族が仕掛けた花火が鳴り、4両編成の列車が動き出す。さあ、これからが大変、カメラマンの橋添君大忙しの撮影だ。誕生会の車両ではピエロが芸を繰り出しながら、子供たちの顔にピエロメークをしていく。撮影する橋添君の顔にも赤や青の星が描かれ、みんなと打ち解けて行く。車内が爆笑につつまれる。少年にとっては忘れられない誕生日の思い出が出来たことだろう。

最後に列車を降りた少年がホームで飛ばすシャボン玉が、何故か印象深かった。

ディレクター狩野喜彦

保存鉄道でシャボン玉を吹く少年
保存鉄道でシャボン玉を吹く少年
出発を待つ保存鉄道の蒸気機関車
ブラジル・カンポ駅にて列車から手を振る乗客たち
ホームに現れた高下駄を履いたピエロ
ホームに現れた高下駄を履いたピエロ
『大地のサウダージ(郷愁)』

(5)27/Janvier (Lundi)
夜明け前、ホテルを出発し駅に向かう。駅にはまだ明かりが灯っていないのでカフェで眠気覚ましのコーヒーを飲み、駅の様子を窺っていると、顔馴染みになった車掌さんが朝食をとりに現れた。僕たちに気付くと「今日は、電車は必ず走るよ」と微笑んだ。

6時35分撮影ポイントに到着。静かに辺りが明るさを取り戻して行く。低い雲が山肌に巻き付くように流れ、小川が蛇行しながら流れて行く。なかなか情緒溢れる風景だ。10分後電車がその風景の中を、木製の車体を揺らし汽笛を鳴らしながら走り抜けた。「よし、OK!」という橋添カメラマンの声とともに、大急ぎで次のポイントへ。丘の上から線路を見下ろす、これまたなかなのポイントだ。小雨が降り始めたが気にしても仕方ない。電車がガタゴトと揺れながら愛嬌のある仕種で走って行った。車掌さんが窓から手を振ってくれているのが見えた。これでこの路線は何とかなるだろう。

朝食後、ロケバスで一路リオ・デ・ジャネイロへ。3時間程走ると市街地に入り、遥か先に切り立つ岩山が見え始めた。良く見ると頂上に手を広げたキリスト像が立っているのが分かる。リオ・デ・ジャネイロだ。ロケバスは町の間を縫うように走る高速道路を抜けて行く。港、高層建築、その間にポツポツと残るコロニアル建築、そしてそれらを見守るかのように聳えるコルコヴァードの丘のキリスト。圧倒される風景だ。

ホテルにチェックイン後、昼食をとり、標高710メートルのコルコヴァードの丘を登る電車の下見に出かける。この路線は1884に完成したという(勿論当時は蒸気機関車が客車を引っ張って登った)。こんな所に鉄道を敷いた当時の国王ペドーロ2世の熱意に敬服する。電車を降りると、エレベーターとエスカレーターのおかげでキリストの足下にある展望台まで簡単に行ける。そしてそこからの景観にはもう感嘆するしかない。今日は曇天だが、それでも充分に美しい。これが晴れていたら一体どんな風景になるのやら?。

「神よ、我々にほんの僅かばかりで構いませんので、陽光と青空をお与え下さい」思わず、背後のキリストに祈ってしまった。ところで、展望台までのエレベーターとエスカレーターだが、最初は何とも味気ないものだと思ったが、聞けばこれはハンデキャッパーに対するバリアフリーとして昨年完成したものだという。確かにこの景観をハンデキャッパーの人たちが簡単に見られるようになったというのは素晴らしいことだと思い直した。

ディレクター狩野喜彦

リオ・デ・ジャネイロを見守るコルコヴァードの丘に立つキリスト像
リオ・デ・ジャネイロを見守る
コルコヴァードの丘に立つキリスト像
『大地のサウダージ(郷愁)』

(6)28/Janvier (Mardi)
「無念!!」せっかく窓からコルコヴァードの丘が見えるようにと、リーナ嬢がホテルの部屋を山側にとってくれたのに、起き抜けで見上げたコルコヴァードは鉛色の空の下だった。

 朝食後、9時からの空撮のヘリコプターをキャンセルし、晴れ間が現れたらすぐにフライト可能なように手配し、リオ名物の路面電車の撮影に向かう。木製のカナリア色の車両は、どこか遊園地の乗り物を思わせる。そういえば少年時代に見た加山雄三主演の映画『リオの若大将』や、大学時代見た『黒いオルフェ』にも今と変わらない姿で登場していたのを思い出す。『黒いオルフェ』の主人公はこの電車の運転手だった。

中心街のカリオカ駅から電車に乗り込む。動き出す同時にその揺れにビックリだ。まさに旧式のジェットコースターという感じ。観光客の女性がキャーッと嬌声をあげていた。カメラを手持ちにした橋添君が顔と身体を歪ませながら、何とかそんな車内の様子を撮影していく。しばらく走ったところで急停車。何事かと思い外に出てみると、サスペンションのネジが抜けてしまっていた。これは大事かと思ったが、運転手は慣れたもので、針金でそれを直しすぐに出発。急なカーブが続く坂道をカダピシと車体を揺らしながら走り続ける。周りの建物はすぐ近くに迫り、自動車もギリギリのところを走って行く。おまけに途中からは下校途中の少年たちが次々に飛び乗り車体にぶら下がる(このぶら下がり乗車は料金が無料だという)。なかなかスリルに満ちた走りだ。

車掌さんも、車体の外側を手摺に掴まりながら移動する。『これがうまく出来ない奴は、本当のカリオカ(リオっ子)とは言えないんだ』車掌さんが目を細め笑った。一往復半電車に乗り込み、様々なカットを撮る。よくしたもので、後半には橋添君も身体を揺れる車体から外に乗り出し見事にバランスを取り撮影していく。こと、この電車に限っては、彼も立派なカリオカになったようだ。

昼食後、空を見上げるが、雲はどんどん厚くなり、雨も降り始めた。空撮をキャンセルし午後は休む。21時、夕食を済ませ、大雨の中を一月後に迫ったカーニバルの練習の撮影に向かう。体育館のような場所に300人程の楽団、ダンスのメンバーが集まり、熱気溢れる練習を繰り広げている。ここには観客席もあって、入場料を払って住民たちが応援に来ている。鼓膜はおろか、身体全体をも震わせる強烈なリズム、弾け飛ぶダンサーたちの肢体?。

スティルカメラを手に彼女たちに迫って行くと何とも形容しがたい官能的な気分になる。まさに“ほとばしる生のエナジー”だ。0時30分、撮影に区切りがついたところで終ることにする。何故なら彼等はこの後2時過ぎまで踊り続けるというのだから?。それにしても今日は平日、彼等はこれで明日仕事が出来るのだろうかと心配になってしまうが、それは大丈夫とのこと。もう、カーニバルは始まっているのかもしれない。

ディレクター狩野喜彦

リオデジャネイロの市街地を走る市電
リオデジャネイロの市街地を走る市電
無料乗車のカリオカ(リオっ子)たち
無料乗車のカリオカ(リオっ子)たち
カーニバルのリハーサル
カーニバルのリハーサル
『大地のサウダージ(郷愁)』

(7)29/Janvier (Mercrdi)
熱狂的な踊りを目の当たりにした高揚感と大音響の耳鳴りのせいでまったく寝つけない。夜明け前ベッドに横たわりながら外を眺める。コルコヴァードの上に、雲に覆われてぼんやりと月明かりが見える。雨は上がったのだろうか?。しかしよく見ると、それはキリスト像を照らす明かりだった。結局夜が明けてもコルコヴァードは雲の中、今日も空撮とコルコヴァード鉄道は撮影不可能だ。

午前中はもしや晴れ間が現れたらと待機したが奇跡は起きない。仕方がないのでスラム街の撮影に向かう。丘の斜面にびっしりと建てられた蟻の巣のような住居と迷路のような狭い路地。大都市リオ・デ・ジャネイロのもう一つの顔だ。最初は治安の問題からやや緊張したが、奥に入っていくと、そこには人々の陽気な笑顔が待っており、庶民の飾らない生活がかい間見られた。住居は間取りも広く結構快適な暮らしが出来そうだ。スラム街の治安が悪いというのは、ここの人々と触れあうことのない階級の思い込みなのではないだろか?。

空を見上げると沢山の凧が舞っているのに気付いた。糸を辿ると、楽しそうにテラスで凧上げをしている親子や子供たちの姿があった。『凧は、ここに暮らす人々にとって“自由のシンボル”、いつかここから抜け出し、空の高みから街を見下ろす日が来ること夢見ている』という話を聞いたことがある。確かに凧は風に舞い自由に見える。でも糸はしっかりとこの街に繋がっている。何とも言えない気分だ。

14時、市街地に戻り遅い昼食をとる。入ったのはセルフサービスのレストラン。ここのシステムが面白い。前菜、メインの肉料理、魚料理(何と寿司もある)、デザートと並んでおり、好きなものを自分の皿にとればいいのだが、値段は皿を秤に乗せて重さで決まるのだ。肉と魚それぞれグラム単価は違うのでは、などと余計なことを考えてしまった。

昼食後、今後の作戦を練り直す。最新の天気予報は曇りときどき雨だ。といっていつまでも“太陽待ち”をしている余裕はない。もし明日天気が良くなったら、午前中に空撮とコルコヴァードを撮影し、午後の飛行機で次の撮影地ポルト・アレグロに移動する。もし晴れなかったら、朝の飛行機で移動し、ここの撮影は日曜日に日帰りで行う。それでも駄目ならスケジュールを切り詰め、何とか時間をつくる。ということに決める。夜、重い気分を吹き飛ばすためボサノバを聴きに行く。まだデヴュウしたてのバンドだというが中々良い音を出す。浮遊感漂う旋律とヴォーカル女性のウィスパーヴォイスが、悪天候に翻弄されて沈む気分を優しく慰めてくれた。

ディレクター狩野喜彦

リオのスラム街
リオのスラム街
スラム街の子供たち
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