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第1話 『カルチョの国』 イタリアと言えば、いつも太陽さんさん。そんな風に思っていた私がバカでした。4月初旬に降り立ったミラノは雨ばかり。寒いったらありゃしない。またイギリスに来たかと思っちゃいました。という訳で、今年はイタリアからクロアチアへの旅を担当することになりました。メンバーは昨年春のイギリス編と一緒。食べこぼしの多い撮影の辻くん。寝癖の甚だしい撮影助手の戸田くんです。 まず撮影はACミランVSエンポリの試合からスタート。イギリスのリバプールでパブ観戦を撮影した時、サッカーというのは国民性が炸裂するゲームだなあと思って予定に入れたのですが。いやあ、リバプールとは対照的ですね。リバプールの人はホームチームを愛する気持ちを素直に表現していたけれど、ミラノの人は腕組みして采配している人が多いです。選手がミスをするとスタンドから一斉に叱咤の声が飛ぶし。まるで監督が5万人いるみたい。もし私がピッチにいたら、確実にへこみますね。打たれ弱いですから。試合はスカっとしない展開の挙げ句に不可解な理由でPKとなり、1対0でミランの勝ち。勝てば満足とでも言いたげに、不敵な表情でスタジアムを去る人々。ミラニスタは負けず嫌いかも。けれど、発煙筒モクモクの応援や、生で聞く『アイーダ』はやっぱりいいもんです。 サッカーの話題は、夜のミラノの街にも持ち越されます。ミーハーなもので、さっそくACミランの赤いマフラーを買ったのですが。マフラーを目にして声をかけてくるのは、なぜかユヴェントスファンのみ。「ユーヴェ、ウーノ(一番)!」などと、皮肉たっぷりに言うのです。ユヴェントスはトリノのチームじゃなかったっけ?聞くところによると、ユヴェントスというのは巨人軍のようなものらしいです。高値安定が人気の秘密。特にミラノは地方出身者が多いので、インテルやミランのファンばかりではないらしい。やはり負けず嫌いだ。 さてイタリア鉄道の印象ですが。駅に警官がやたらといます。チェック厳しいです。スペインで起きた列車テロの影響かもしれません。列車はやたら遅れるという前評判でしたが、そんなことないですね。でも以前のような大らかさも一緒に失われたような印象で、ちょっと寂しいかも。
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第2話 『崩れかけたモノが持つ魅力』 ミラノから地中海沿いに南下し、ローマに着きました。途中で立ち寄ったのは、森進一が『冬のリヴィエラ』と歌った、あのリヴィエラ。ミラノが地方出身者の働く東京のような街とすれば、リヴィエラは伊豆のようなところかもしれません。とっても温暖な海岸リゾート。4月初旬だというのに泳いでいる人も見かけました。それにしても、イタリアの女の子の発育は素晴らしいです。13歳ぐらいで、胸もお尻もパツンパツン。 一方、イタリア男は胸毛がモジャモジャ。ちょっと苦手です。ふと辻智彦を見ると、嬉々として胸毛男ばかりを撮影している。本当に趣味が水と油で…、困ったもんだ。 「甘酸っぱいシーンが撮りたい!」と駄々をこねたら、コーディネーターの駒谷さんが即答。「ごめんなさい。イタリアは甘酸っぱくないです」。陽気なイメージのイタリア人だけど、確かに無邪気に振る舞っているのは子供ぐらいかもしれません。特に女の人は顔に書いてあります。「勝ち気」って。さすがソフィア・ローレンの国。成熟こそ美徳なのかもしれません。列車でも、健気な人がいるなあと思うと外国人。何かに打ち込んでいるぞと思うと外国人。イタリア人は妙に貫禄があって、カメラを向けても「だから、どうしたの?」という感じ。手強いの~。 リヴィエラの次に行ったのは、斜塔で有名なあのピサ。でも斜塔だけがピサじゃないだろうと街をチェックしたのですが…、鳴いていました、閑古鳥が。それに較べて斜塔があるドゥオーモ広場ときたら、世界各国からの観光客で溢れんばかり。 ここは本当に、「ピサの斜塔」「斜塔のピサ」かもしれません。お土産屋さんも軒を連ねていて、黒山の人だかり。浅草の雷門前を思い出しました。斜塔Tシャツ、斜塔キャンドルスタンド、斜塔酒、斜塔バッグ。斜塔がプリントされたヨダレ掛けも売っていた。斜塔まんじゅうが発売されるのも時間の問題かもしれません。 そしてピサの次がローマ。ローマも観光客だらけでしたが、印象に残ったのはコロッセオです。どこから撮影すると絵になるか探るため一周してみたのですが…、やはり崩れかけたところがいいんですよ。崩れつつも踏ん張っているモノには、人の心を掴む「何か」があるんでしょうね。斜塔然り、コロッセオ然り。人間はどうなんでしょう?私もしょっちゅう崩れていますが、あまり関心を呼びません。踏ん張りが足りないせいでしょうか。
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第3話 『ジルベルトさんの思い出』 ローマから一気に長靴の爪先にあるレッジョ・ディ・カラブリアまでやって来て早々、ハプニングに見舞われました。ロケ車がエンストしてしまったのです。到着してすぐ、目と鼻の先にあるシチリアを撮影したかったのでタクシーに乗ったのですが、これが思いもよらず南イタリア的強烈体験で…。 乗車したのは、ボロボロのベンツ(なぜかローマナンバー)。運転手はマーロン・ブランド似のニヒルなシニョーレ(推定年齢60歳)。しかも首にはシルクのスカーフ。これが走る、走る!ハイウエイとはいえスピードメーターは常に150キロを指し示し、クラクションで前の車を煽りながら、どんどん追い越して行くのです。座席にへばりつきながらふとシニョーレを見たら、余裕しゃくしゃくの表情。噂には聞いていたけれど、南イタリアのドライブテクニックはかなり刺激的です。 無事に夕陽を撮影し、今度はホテルまで送ってもらうことに。ホテルは一方通行の細い道沿いなのに、シニョーレが車を停めたのは道のど真ん中。案の定、渋滞に。クラクションが鳴り響く中、悠々と荷物を運んでくれるシニョーレ。領収書もじっくり書いてくれました。怒号の中で握手をしながら別れる時、シニョーレが名刺をくれました。ジルベルトさんというお名前だったんですね。素敵。幾人の女を泣かせてきたことでしょう。それから連れの男子二人に目をやったのですが、心なしか小さく見えました。むひひ 。 さてレッジョ・ディ・カラブリアといえば、サッカーの中村俊輔選手がいる街です。彼は本当に街の人気者でした。撮影しているとしょっちゅう「ナカム~ラ!」と声をかけられます。わざわざ走っている車を停めて「ナカム~ラ!」と言う人もいます。そしてここは、昼間からオジサンがぶらぶらしている街でもあります。オジサンはみんな『ゴッドファーザー』の脇役みたいに味のある顔をしています。普通の会話をしているんだろうけど、陰謀を企んでいるようにしか見えない。「新聞に穴が開いているかもしれませんよ」と戸田くん。ふむふむ。「悪事を重ねないと、可愛いオジサンになれないんですよ」と辻くん。ホントかいな ? 私にとっては初めてのローマ以南ですが、イタリアは南と北で見事に違います。別の国かと思うほどです。
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第4話 『衝撃のカラブリア鉄道』 お祓いしたいくらい、雨に祟られています。カッパを着る毎日にもいささか辟易。おしゃれは足元からのここイタリアで、我々の靴は日々泥まみれ。人々の白い目に耐えながら、せっせと働いています。 それにしてもカラブリア鉄道は意外でした。「狭軌路線としてはヨーロッパ最高地点を行く」とのうたい文句に釣られプランに入れたのですが。ご体面してビックリ。全身落書き列車だったのです。保存鉄道のようなイメージ、鉄道を愛する人が運営する車両も車窓も素敵な列車を勝手に抱いていただけに、ファンキーなローカル線という現実に腰がくだけました。「誰が落書きするのですか?」と聞いたら、「それが分かったら苦労しません」と鉄道会社のおじさん。すいません、愚問でした。 しかしカラブリア鉄道に限らず、イタリアは落書き列車が多いです。そしてまた、このイタリアの奥地で見る落書きのデザインと、渋谷のガード下で見る落書きのデザインが一緒だから驚きです。落書きシンジケートのような地下組織でもあって、水面下で通じているのでしょうか?ちなみに我々が乗車したのは、生活列車としてのカラブリア鉄道ですが、蒸気機関車で行く「カラブリア特急」を特別運行することもあるそうです。こちらはきっと「ザ・保存鉄道」なのでしょう。 南イタリアに別れを告げた一行は、ローマからアッシジ経由でフィレンツェに向かいました。 アッシジとはイタリアの守護聖人である聖フランチェスコが生涯を送った場所。小鳥にも教えを説いたとの言い伝えが残る、ピュアな聖人です。そのことを連れの二人に教えてあげると、 「僕みたいじゃないですか」と戸田くん。確かに。彼は前回のイギリス以来、わがチームの動物担当。走る列車と一緒に動物がうまく映るよう誘導してくれます。今回は水牛やヤギにも初チャレンジ。今ではイギリスとイタリアの羊の生態の違いもわかるのだとか。うちのフランチェスコもなかなかです。 さてアッシジですが、とても気持ちの良いところでしたよ。残念ながら風景は雨に煙っていたけれど、聖堂は素晴らしかったです。堂内はジオットーやチマブーエの描いた聖画に埋め尽くされていて、まるで美術館のよう。そして何よりアッシジを満たしている空気には穏やかな清らかさがありました。人智を超える現象に出会うと、いつも我が身を悔い改めたくなるのですが、今回もアッシジの夕陽に平謝りでした。
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第5話 『トスカーナは極楽』 どうも旅をすると、都会より田舎に吸い寄せられてしまいます。 「襟裳の春は、何もない春です~♪」と森進一が唄っていたけれど、その気持ちがけっこうわかる。そんな田舎贔屓の私が特に好きなのが、トスカーナの田園です。はじめて訪れた時、「生まれてきて良かった」とさえ思った。ゆるゆるとつづく緑の丘、天高く伸びるイトスギ、春は草原を赤く染める赤いポピー、夏は黄色いヒマワリ畑。乙女のハートをがっちり掴むアイテムに事欠きません。 今回の旅ではフィレンツェからシエナまでのローカル列車に乗車。線路沿いは住宅地も多いので、最初から最後まで田園づくしとはいかないけれど、トスカーナの穏やかな雰囲気を堪能することができました。 さらにトスカーナの田園にどっぷり漬かってみたい方には、アグリツーリズモをお勧めします。アグリツーリズモとは、オリーブやワインなどの生産農家の空き部屋に宿泊できるシステム。一言でいえば農家民宿。 イタリアの中でも特にトスカーナは、アグリツーリズモが充実している地域です。私が泊まったことがあるのは、フィレンツェ近郊のオリーブや葡萄の畑の中にぽつりとある農家の一室、しかもキッチンつきでした。夕食はとれたての野菜やハーブ、自家製のオリーブオイルを使って自炊。庭にテーブルがあって、夕陽の田園を眺めながらワインを飲み、美味しい料理をぱくぱく。まさにスローフードの世界でした。 プライベートな旅ならこうもいきますが、そうはいかないのが仕事の旅。今回も朝早くから、とっぷり日が暮れるまで働く毎日。ランチはほとんど、パニーノやフォカッチャなどをテイクアウトしてむしゃむしゃ。夜は食事を満喫するより、早く寝たいという欲望の大勝利。それなのにイタリアはどんな田舎に行っても、アンティパスト(前菜)プリモ(第1皿)セコンド(第2皿)、そしてデザートとコーヒーの順番をきっちり守らなくてはいけないのです。これをやっていると、2時間はかかってしまう。恥を覚悟で「前菜もパスタをみんな一緒に食べたいです!」と言ってはみたもの、あっけなく却下。イタリアでは色んな料理を一緒に食べて、味を混ぜこぜにしてはいけないのだそうです。以来、夕食は近くて早く済ませられる所を希望し、夜更けにピザを食べたりしていたのですが…。 今回のイタリア編はロケ中にコーディネーターの交代が3回ありました。そしてバトンタッチの度に我々は、「食に興味のない人達」として申し送りされていたのだそうです。確かに辻智彦は味盲です。けれど私にとって美味しいものは、数少ない幸福のひとつ。 悲しい誤解に、涙が出そうになりました。
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第6話 『驚愕の空撮』 トスカーナの後は、およそ我々に似つかわしくないエレガントな水上都市、ヴェネツィア。前に来た時もヴェネツィアの物価の高さには驚いたけれど、ユーロになって更に上がった印象です。駅売りのサンドイッチが最低500円ですよ。それなのに撮影助手の戸田くんは、身銭でゴンドラに乗ると息巻いている。 旅の供である辻&戸田は撮影日誌だけ読むとただのスットコドッコイですが、実は立派な仕事もできる人達。彼等が撮影した映画が今度のヴェネツィア映画祭で上映されることになり、戸田君は新婚旅行も兼ねて映画祭を見にくることにしているのです。「金に糸目はつけません」と豪語するけれど、赤絨毯を歩く時は寝癖をなおしてね。 さて、ヴェネツィアは街の作りも不思議ですが、光によって表情がよく変わります。晴れると陽気な観光都市、雨だと憂鬱なグレイの街、黄昏時はルキノ・ヴィスコンティ。(?) イタリアのプランをおおよそ消化したところで、恒例の空撮を決行することになりました。あらかじめ景色の良い所をチェックし、そこを列車が通過する時刻を計算。当日はお天気も上々で、しかも今回のパイロットは腕が良いとの評判。なかなかの条件が揃ってのフライトとなりました。 ところが…。目的の列車はすんなりキャッチできたものの、10分ほど追いかけた辺りで、キ、キ、キー!音をたてて、列車が急停車してしまったのです。はて?駅もないのに…。しばらく上空で旋回しながら走り出すのを待ってみたものの、息の根がとまったように列車はピクリとも動かない。やむなく空撮を断念し、現場から退散することに。遠ざかる列車を呆然と見送りながら、頭の中は真っ白。どうして止まっちゃうんだよ~!(絶叫) しかし、後に我々は驚くべき結末を耳にすることになりました。次のような連絡がイタリア国鉄のオフィスに入ったというのです。「大変です!!ヘリコプターが列車をつけ狙っています。テロリストかもしれません。よって急停車します」。つまり我々は、自爆テロかなんかと勘違いされたようなのです。走る列車を前から後ろから追い掛けるヘリ。確かに考えようによっては、きな臭い組み合わせではあるけれど…、空撮の日はテンションが高まるだけに、落胆は甚だしいものでした。私と撮影の辻智彦は、着陸したヴェネツィアにヘナヘナヘナ…。 薄らぐ意識の中で、私は心に誓いました。「次のクロアチアでは、テロリストと勘違いされないよう必ず予防線を張ろう…」
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第7話 『珍・オリエント急行物語』 今回は通常の『車窓』のロケに加え、もうじき発売されるDVDの特典映像の撮影がスケジュールに組み込まれました。その企画というのは、テーマ曲を作った溝口肇さんがチェロを弾きながらイタリアを旅するというもの(股旅物じゃないですよ)。 ナレーションの石丸さんとは折々に顔を会わせますが、溝口さんと会うのは今回がはじめて。印象ですか?濡れた子犬のような瞳を持つ繊細な方ですね。 でも時々、年若いスタッフにガムをくれたり、お兄さんのような振る舞いも見られました。今回は音もステレオで収録することになり、ローマ在住の録音マン、ウンベルトさん(通称ウンちゃん)というマエストロも参加しました。それで、この大所帯を私ひとりで束ねるのは不可能との判断がくだされ(正しい!)、パリ在住の元車窓スタッフ、美女と野獣をひとりで兼務するヤスマツ嬢も駆け付けてくれました。 乗車したのは、豪華列車のオリエント急行。しかもスタッフは正装での撮影が義務。ヘナチョコ3人組は、出発前から衣装計画のことで頭が一杯。特に撮影の辻智彦は軍事演習のような服しか持ってないので、一番うろたえていました。でも当日は総勢7名、ビシっときめて素敵でしたよ。私もスカートに生足サンダル。溝口さんはアルマーニだったかな?撮影部の二人は黒のスーツで、葬式の受け付けみたいだったけど…。でも優雅だったのは、最初だけでした。ヴェネツィアからローマまでの乗車時間は8時間。何かと規制の多い中で、スケジュールは分刻み。出発からてんてこ舞いの忙しさ。そして撮影部の2人は言葉の通じないウンちゃんとのやりとりに悪戦苦闘。戸田くんが「ウノビアンコ ロッソドゥエ(1チャンネルは白、2チャンネルは赤)」と懸命に説明している姿を目にした時には、母さん涙ぐみそうになっちゃったよ。 それからオリエント急行は隅々までぴかぴかの素晴らしい内装なんですが、車両が長いんですよ。全長400メートルあるって聞きました。次は厨房、今度は食事風景とあっちこっち移動している内に、サンダルの足はパンパン。頭の芯まで痛くなっちゃって。でも時おり通路ですれ違う乗務員はみんな美男子で、笑顔で「マダム」を気遣ってくれたのでした。ほくほく。 そして撮影のクライマックスはコンパートメントでの溝口さんの演奏の撮影。クラシカルな舞台で演奏する溝口さんは、まるで貴公子。走る列車の音と奏でるチェロの音色が溶け合い、なかなかロマンチックでした。
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第8話 『国境の街、トリエステ』 長靴形の国土をあちこち巡り、遂にイタリア最後の街、トリエステに辿り着きました。ヴェネツィアから列車で東に2時間ほど。 旧ユーゴスラビアのスロベニアとの国境にあり、作家の須賀敦子さんが書いた『トリエステの坂道』の舞台としても知られる街です。トリエステは、妙に居心地のいい街でした。海と山が接している街が好みということもあるけれど、この街が歩んで来た歴史に対するシンパシーが大きいかもしれません。 ずっと小国がひしめく都市国家の集まりにすぎなかったイタリアが、統一国家となったのはほんの1世紀半前。そのイタリア統一からトリエステは取り残され、長い間オーストリアの統治下にありました。そして2度にわたる大戦時には領土問題の焦点となり、ようやくイタリアの領に決定したのは1954年のことなのです。オーストリアの他にも隣の旧ユーゴスラビア諸国の影響や、ユダヤ教徒の居住区があったり、ロシア正教の教会があったり、この街にはいくつもの世界が共存しています。けれど雑然としていない。むしろ芯の強い北の街という印象です。 それから散歩が楽しい。トリエステは冬にヴォーラと呼ばれる台風並みの強風が吹き荒れるらしいのですが、街にも風対策が見られます。坂道に手すりが付いていたり、窓が二重になっていたり。そして迷路のような坂道をちょいと曲がると、ぽっかりアドリア海が見えたりする。賑やかな街が好みの方には向かないかもしれないけれど、私のように北の隅っこの静かな街にグっとくるタイプの方には浸れる街だと思います。 イタリアの次はさらに東へ。スロベニアを経由しクロアチアを目指します。ところで、クロアチアと聞いて皆さんは何をイメージしますか?やはり戦争でしょうか。それともワールドカップのフランス大会で日本が負けた国。K1のミルコ・フィリポヴィッチという人もいるでしょう。すいません。私もそのくらいのイメージでした。クロアチアの旅のプラン立てていた時のこと。アドリア海沿岸のダルマチア地方に驚くほど世界遺産が多いことを知り、ぜひそちら方面の路線をルートのメインにしたいと考えました。けれど願いは叶わなかった。線路が工事中だったのです。それで今回のクロアチアの旅は、内陸のスラヴォニア地方を中心に巡ることになりました。そしてまたイタリアとは対照的に、ここは極端に情報が少ないエリアなのです。でも『車窓』の旅はいつも、行き当たりバッタリ。 謎の国、クロアチアを巡る旅が始まります。
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第9話 『イストラ半島の思い出』 なんだか兄弟で旅しているような毎日です。上から長女の洋子、長男の智彦、次女のマーヤ(コーディネーター)、次男のラティコ(ドライバー)、三男の善久。 ランチのマクドナルド率は一気に高くなるし、プリングルスのサワーオニオン味(ロケ必携!)の消費量もグンと増えました。 さて、クロアチア。トリエステからスロベニア経由でリエカにまずは到着。戦争の匂い?しませんねえ。みんなニコニコのんびりしているし、誰がクロアチア人で、誰がセルビア人なのかも全然わからない。(クロアチア人とセルビア人は内戦時に敵対関係にあったと言われます)建物のニュアンスはちょっと違うけど、イタリアとあまり変わらない印象です。ピザやパスタはどこでも食べられるし。でも駅にコンクリートの巨大な小麦貯蔵庫がドカーンとあったり、お城でもあったら絵になりそうな高台に色気のない団地があったりするのを見ると、共産主義の国だったのね、と思いますが。 リエカのあとはイストラ半島の先端にあるプーラへ足を伸ばしました。乗車したローカル列車はガラガラで、被写体になるのは鉄道関係者ばかり。でも皆さん、とても折り目正しくて親切。ありがたいことです。到着したプーラは巨大な円形闘技場をはじめ、街のあちこちにローマ時代の遺跡がある街でした。そしてプーラの沖にあるのがブリユニ諸島。 我々が行ったヴァンガ島は、なぜかサファリパーク。シマウマ、ラマ、孔雀、鹿、象、ダチョウがウロウロしている。はてな?以下、案内の方のお答え。「ブリユニにはユーゴスラビア建国の父と呼ばれるチトーの別荘があって、国賓のもてなしや国際会議がしばしば行われていました。そして国賓がお土産として連れてきたのが、この動物達だったのです。チトー存命中は関係者以外の立ち入りは禁止でしたが、1983年に国立公園として公開されるようになりました」。なるほど。それにしても羨ましいなあ、チトー大統領。マイケル・ジャクソンだって猿どまりなのに、別荘に象だもの。 象はいいですよ。だって鼻で何でも出来るんですから。草をちぎって口に運んだり、水を吸い込んだり。もし鼻が長かったら…、スタッフ間で討議がなされました。辻くんは三脚を鼻で持つそうです。私は編集の時、テープの入れ替えを鼻でしようと思う、などとバカなことばかり言ってますが。クロアチアはのんびりした素朴な国、というのが今のところの印象です。
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第10話『世界の蚊』 クロアチアの海辺を味わった後は、山を越えて首都ザグレブへ。この路線は何といっても渓谷の美しさが印象的でした。ヨーロッパの川は意外に泥水の川が多いけれど、ここは清流そのもの。そして川のまわりに広がっているのは素朴な田舎の風景。列車は1000メートル級の山々が連なる間を縫うように走るから、眺めもなかなかでした。 この沿線では、クロアチアの人々の暮らしにちょっぴり触れました。まずはゲネラルスキーストールという駅。駅舎の2階に駅長さん一家の自宅があって、20分ほど拝見。2LDKの清潔で奇麗なお宅でしたよ。駅長さんは朝昼晩の食事、そして休み時間も家に帰るそうです。階段をトコトコ昇って。そして転勤もないのだそうです。ということは、駅長さんの人生は駅舎周辺に凝縮されている訳です。職住一緒の畳屋さんみたい。 それからこちらではトルコ・コーヒー(鍋にコーヒーと砂糖と水を入れフツフツ煮出し、上澄みを飲むコーヒー)をいただきました。はじめて口にしたのですが、ちょっと泥臭い感じが…。すいません、ご馳走になりながら。でも、見るからに仲睦まじいご夫婦、そして幸福そうなご家族でした。 さて、清流に寄り添って列車が走るとなれば、職業柄どうしてもその風景を撮影したくなるもの。ところが、悩ましき問題発生…。蚊がウジャウジャいるのです。この辺りは川が多い上に、畑ではどうも馬や牛のウンチを肥料として使っているらしく、蚊にとっては理想郷のような所なのです。我々がパッチンパッチン手で退治していたら、「コマラツ、恐いの?」とマーヤちゃん。クロアチアでは蚊をコマラツというのですね。また学んでしまった…。 思えば『車窓』のロケに来ると、必ず現地語の「蚊」を収得してしまいます。フィンランドはマカライネン、イタリアはザンザーラ、そしてクロアチアはコマラツ…。コマラツ問題には悩まされたけれど、素敵なこともありました。例によって線路脇の畑で列車を待ちつつパッチンパッチン蚊を退治していたら、近くの家の人が出て来てしまいました。あいにく、そこにいたのは日本人3人組。慌ててクロアチア語で書かれた取材許可証を見せると、途端にニッコリ。 無事に列車の走行シーンを撮影し終えると、今度は家に来いとのジェスチャー。ノコノコお邪魔すると家族総出の歓迎が待っていました。そして手作りのあたたかいアップルパイのようなお菓子(美味しかった!)とお茶のもてなしを受けたのです。クロアチアの人はとっても親切!と確信した夜でした。
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第11話『戦禍の跡を行く』 ザグレブからヴィンコヴツィの乗車は、この上なく気持ち良いものでした。 青い空に白い雲、あたたかい春風、素朴な農家が立ち並ぶ風景。 けれど、クロアチアはのどかな国だなあと浸っていたのも束の間、ヴィンコヴツィで遂に内戦の跡を目にすることになりました。砲弾が打ち込まれた建物があちこちにあるのです。独立してから、もう10年以上経つというのに…。ヴィンコヴツィから東はさらに状況が悪くなりました。野原には地雷注意の看板、焼け落ちたビル、破壊された駅舎…。 そんな中で列車の走行シーンを撮影しようとしたら、コーディネーターのマーヤが何だかソワソワ。地雷には注意して、道路に三脚を立てているにもかかわらず。マーヤの故郷はアドリア海の真珠と呼ばれるドブロヴニク。そこで彼女は爆撃を体験しました。だから今も戦争の爪痕が残るこの地域に、体の中から恐れを感じると言います。私には美しく見える草原が、彼女には地雷原に見えるのです。「私、お母さんみたいに心配」としきりにマーヤは言いました。 車窓から見たドナウ川沿いのボロボ地区は、特に悲惨でした。ここはセルビア人とクロアチア人が激しく対立し、戦闘を繰り広げた場所なのです。なぜ二つの民族は対立してしまったのか?その問いに答えてくれる人はいませんでした。 駅舎の瓦礫を撮影している時に出会ったおじいさんは言いました。「昔はセルビア人もクロアチア人も一緒に働いて、一緒に食事をして、仲のいい友達同士だったんだ」。けれど二つの民族はある時から敵対しはじめ、クロアチア人とセルビア人の夫婦は離婚し、友人同士は決別するようになったと言います。 マーヤはお父さんがセルビア人、お母さんがクロアチア人です。なぜ離婚しなかったの?と聞くと、「離婚する方が変でしょ。だって結婚はLOVEだもの」。全くその通り。当たり前なことが、当たり前でなくなるのが戦争なのかもしれません。 取材している限り、このクロアチアで嫌な人や暴力的な場面に出会ったことは一度もありません。むしろ、みんな親切で実直。だから私には、この内戦の最中に起きた人間模様が、自分とは無関係に思えないのです。なぜなら人は置かれた状況や立場、その時の他者との関係の中で、ある時は善意を、ある時は悪意を露出させてしまう不確かで危うい存在のように思うから。 異質なものと共存することの大切さを感じた東スラヴォニアの旅でした。
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第12話『謎の検閲を終えて』 「イタリアの二の舞いはゴメンさ」と鼻息荒く臨んだのが空撮。けれどお天気が不順で、結局ロケの最終日前日に決行することになりました。ヘリとパイロットはクロアチア警察。粘った甲斐あって、空は抜けるような青空。「ヘリで列車を追いかけまわすけど、止まっちゃダメよ」とクロアチア国鉄にも釘をさし、いざフライト。 まずは素朴な農村地帯が広がるスラヴォニア地方から。上空から見て思ったのですが、クロアチアは未開発地域だらけというか、美しい田園や湿原がいっぱいの国ですね。ザグレブの市街地を離れるとすぐ、見渡す限りの牧歌的風景になりました。スラヴォニア地方の次はムレジニツァ川流域方面を攻略。これまた美しい!そして空撮で際立っていたのがパイロットの腕。ギリギリ好きみたいです。川の水面ギリギリを飛んだ時には、列車を見上げてしまいまいました。空撮なのに。地表もギリギリを飛び、まるでダチョウになった気分でした。 バタバタ。無事に空撮を終えたのはいいけれど、最後に待っていたのが検閲です。空撮で軍事上の機密に触れる場所を撮影していないかチェックされるのです。「検閲」という言葉が何せ重いから、だいぶ緊張して臨んだのですが…。これがアットホームというか何というか。まずは笑顔でジュースとコーヒーが振る舞われ、雑談混じりに上映開始。4人の検閲官のうち、ちゃんと見ているのは二人だけ。しかも厳しい眼差しでチェックしているというより、ニコニコ映像を堪能しているように見えました。最後に主任らしき女性から検閲結果の発表がありました。「私達の国をこんなに美しく撮影していだたき、たいへん嬉しく思います。どうもありがとう。」緊張して臨んだにもかかわらず、ホンワカ楽しいお茶会のような「検閲」でした。 さて、イタリアからスロベニア経由でクロアチアを巡った旅もそろそろ終わりです。旅は一日一日が作品のようで、導かれているかのように順調に事が運ぶ時もあれば、何をやっても裏目に出てしまうダメな日もあります。そして、その積み重ねを共有する出演者やスタッフも、私の目に映る旅の風景の大切な要素です。今回は溝口さん、パリから駆け付けてくれたヤスマツ、イタリアのコーディネーター三人衆、マエストロのウンベルトさん、クロアチアのマーヤさんなど、いつもより多くの人々が『車窓』のロケに加わりました。思い出すと、まるで万華鏡のようにカラフルです。カラフルすぎて、ちびっと疲れました。でも半年もたつと、『車窓』のロケが恋しくなるから不思議です。
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