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インド撮影日誌1 「苦い思い出を塗り替えるために」 1月22日(Jeudi) 「霧のためニューデリー上空を旋回しながら、着陸許可がおりるのを待ちます」機長のアナウンスが、香辛料とお香が入り混じったような匂いが立ちこめるインディアン・エアー307便の機内に響いた。身体を起こし窓の外を眺める。皮肉にも雲の上は上天気。「やれやれ、いきなりこれでは、この先どうなるのやら…」傾き始めた太陽に目を細め、25年振りとなるインドに思いを馳せた。 『インドは苦手だ!!』これまで僕はことあるごとにそう答えて来た。それには理由がある。25年前、プライベートで出掛けた80日間世界一周の旅のときの事だ。 アメリカ、ヨーロッパを周り、残る滞在国はインドと香港となり、もうアジアだと胸を踊らせて降り立ったのだが…、摂氏46度という猛烈な暑さと、津波のように押し寄せる人の群れ、それにインド独特の生活習慣や料理にあまり馴染めず、大きなカルチャーショックを受け疲れ果ててしまったのだ。おまけに、ヒンズー語を学んでいた友人へのおみやげとして、新聞、雑誌、電話帳を持っていたため、帰りの飛行機に乗る間際、スパイ容疑で調べられるということがあったのだ。その後も、アフリカにロケで出かけた帰り、ニューデリーで乗り継いだ飛行機に爆弾が仕掛けられらしいとの騒動が起り、カルカッタに緊急着陸し、一晩待機させられたこともあった。 そんな訳で、インドに良い印象を持たないまま今日まで来てしまったのだ。しかし、この国の哲学、音楽にはそれなりの興味もあり、今度、行く機会があったら、ちゃんと精神的なウォーミングアップをしてから行きたいと思っていた。そして、今回のロケ。それなりにインドのことも調べたし、タゴールの詩集も読んだ。コオディネーターのカプールさんという心強い味方もいる。苦手意識を消し、インド通になるには絶好の機会だと勇んで出掛けて来たのだが…。 40分程旋回を続けた後、飛行機は無事着陸。まず、空港が新しくなっていることに気付いた。気掛かりだった機材の通関手続きも意外にもスムーズで、ちょっと拍子抜けするくらいだ。おまけに空港の外に出ると寒いくらいの気温。25年前とはすべてが違う…。 夕食後、ホテルの窓から空を仰ぐと霧が流れ三日月が出ていた。これから満月を経て、もう一度欠けるまでの一月間、どんな旅になるのだろう。苦い思い出が良い体験に変わると出来ると良いのだが… 尚、今回のロケの撮影は女性の馬場宏子さんの初登板です。そこで次回からの撮影日記は、彼女の新鮮な視線での報告です。僕が苦い思い出を持つ25年振りのインドで何を感じたかは、ロケが進んだ段階でもう一度書きたいと思っています。
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インド撮影日誌2 今日から私、馬場宏子が撮影日誌を書きます。
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インド撮影日誌3 撮影8日目 アグラ 狩野ディレクターは、いつもアーガイルの靴下を履いている。色はシャツに合わせいる。靴もT.P.Oで3足を履き替える。そういう余裕って素敵だと思う。 撮影9日目 ジャンシ インド人も食べるのが大好きだ。チャイ、豆、オムレツ、サモサ、砂糖菓子など、ひっきりなしに、おやつの売り子が込み合う車内をかき分けて来る。緑色のマサラ豆が美味しい。5mm玉の豆をわずかに発芽させて、みじん切りの玉葱、トマト、塩、スパイス(胡椒・コリアンダー・クミンなど)をぱぱっとリズムよくふり掛け、ライムをジュッ。調理10秒、1つ20rs。生モヤシの様なえぐみとスパイスの辛みとライムの酸味がよい。撮影しながら、見かけては次から次ぎへと色々な味を堪能する。やはり旅は楽しまないとな。インド人コーディネーター・ヴィネー(愛称マリ夫)に勧めても食べない。『今、手が汚いからね。』だって。 あんた本当にインド人か。どの店も包み紙は、丁寧に切った古新聞を使っている。時には、こどもの算数練習帳の切れ端だったりして、かわいらしい数字が並んでいた。モノをちゃんと最後まで使いきっている。 撮影10日目 マホバ 子犬の季節だ。どこに行っても子犬を見かけるのはとても嬉しい。それにどの子もフリーランスの様だから、心おきなく遊べる。 抱き上げると暖かくて、柔らかくて、気持ちがいい。 撮影12日目 カジュラホ 深夜11時過ぎにマホバ駅に到着。バスで2時間移動してカジュラホに着いた。途中、峠の茶屋に寄る。 コーディネーターのカプール氏(皆は尊敬を込めて“教授”と呼んでいる。)曰く、ここは“マハラジャレストラン”。薪竈があって三和土にテーブルがあって、裸電球が強烈に明るい。疲労と寒さでボロボロになっていたのに、やっぱり食べてしまった。マサラオムレツ。サイコーに美味しかった。青唐辛子の入ったシンプルな薄焼き卵と、暖かいチャイ。どっちもお代わりした。 撮影13日目 カジュラホ ハーバルボディーマッサージ・デラックスを体験する。アーユルベーダーの国だもの。大いなる期待を胸にヘルスセンターに行くと、そこは以前ヴェトナムで見た助産院風の部屋だった。産婆さんの様な人が現れた。手術台に載せられると、もうおばさんに身を委ねるしかなかった。料金350rs(800円)ちょっと雰囲気怖かったけれど、まずまず気持ちよかった。
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インド撮影日誌4 撮影15日目 夕食の席で、カプール教授から発表があった。『明日は象に乗って、 虎を探しに行きます。』最高!!象ライドって、ずっと憧れていた。 こんな素晴らしい仕事をさせて頂いて、みなさん本当にありがとうございます。 撮影16日目 運転助手のシャシさんが、明日婚約する。21歳という彼も、日本人でいうとまだ高校生みたいな感じ。相手の女性とは、明日初めて会うそうだ。そしていきなり婚約。見合い、ではない。4年後に結婚する予定らしい。婚約者は17歳。両家の親が決めた縁談で、拒否は出来ない。 インドでは、都市部を除いて、親が子供の結婚を決めることが普通なので、恋愛結婚はまだ少ない。「婚約おめでとう。嬉しい?」と聞くと、はにかみながら、「嬉しい。」とシャシさんは答えた。「けれど運転手に昇格するまで、仕事に集中したいので、まだまだ結婚は先に延ばしたい。」とも言った。会ったこともない相手との婚約なのに、その点については、余り不満もない様子だった。自分の結婚を親が決めるのは、彼らにとっては当たり前の事なのだ、きっと。習慣も信じて疑わなければ、幸せの法則なのかもしれない。「お嫁さんに望むことは?」と聞くと、「親を大事にしてほしい。」と一言。勿論、親と同居。 2人だけで家庭を築くというより、2つの家が結ばれて、更にパワーアップ=繁栄するという感じ。列車でも乗り合わせたけれど、結婚式は両家の大イベント。親戚縁者皆で盛大に祝う。披露宴会場は千客万来で、誰でも参加してご馳走に与かれるらしい。カーストや持参金の問題なども既に過去の習慣になりつつある。『彼女がすてきな人だったらいいですね、お幸せに。』とだけシャシさんに言った。 撮影17日目 村の青空市場に出掛けた。新鮮な青物野菜や、様々なスパイス、衣類、などが売られていた。お土産にスパイスをどっさり買った。因に100gの値段はそれぞれ、ブラックペッパー20rs(46円)、クミン20rs、クローブ30rs、シナモン40rs、どれも素晴らしい香り。値段も嬉しい。 撮影19日目 朝、ホテルの無料ヨガクラスに参加した。東京でも“ハリウッド・ヨガ”にはまっているから、機会が有れば是非“本場モノ”を体験したいと思っていた。20分遅れで、故大泉晃さん似の青いトレパン先生が登場。生徒はアタシ1人。『1対1、マジかよ。』と少々怖じ気づいてしまった。先生は、ゆっくりと何やら問いかけておられたが、スパイシーな英語で、殆どわからない。先生のとるポーズをそのまま真似をする。30分程ポーズをこなしていく。先生が『ネクスト ポジッション イズ ロータスフラワー』と言って、ギューっとアタシの体を思い切り絞る。『無理!脇腹が千切れる!』。こっちの言うことも先生には通じなかった。東京でやるヨガと違って、自分でもビックリする程体がスクイーズした。
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インド撮影日誌5 撮影21日目 コーディネーターのハルシは男前だ。口数は少ない。親切でさりげなく優しい。それに世が世なら“王子さまかも”というお家柄らしい。 そう言われれば、ノーブルな顔立ちだなと思う。 列車は時刻通りに来ないから、1本遅れるとその後のスケジュールが総て変わってしまう。なのに毎日これほどスムーズに撮影が出来るのは、彼らが常に先を読んで、手を打っているからだと思う。コーディネーターはスタッフの要だ。 教授曰く「日本の辞書に無いことが、インドでは起こります。」からハルちゃんもたまに本気で怒る。普段無口だから怒鳴るとすごい迫力がある。横で聞いていると、「ハルちゃん、けっこう根性あるなぁ。」と思う。 撮影22日目 菜種畑の中の一本路で列車が通るのを待っていると、村人が集まって来た。初めは2~3人だったのに、どんどん増えて30人位になってしまった。早く列車が来ればいいのに、と思っている時に限って、なかなか列車はやって来ない。 最初は物珍しさもあって、和やかだった村人達だったが、そのうちに長老らしきおじさんが、どんどんいきり立って怒鳴り始めた。何を言っているのかさっぱり解らない。が、おじさんの怒り方は尋常ではない。頭から湯気が立っている。セルフヒートアップしていく。私を指さして、下りろ!(バスの屋根に乗っていた)と言っている様だ。 そんな事言われても、列車を待っているだけなのにコーディネーターのヴィニーも宥めるだけで精一杯。やっとこさ、列車の通過を撮影して、速やかに撤収。 後でわかった事だが、おじさんは私達が彼らの土地を接収する為の事前調査に来た、と思い込んでいたらしい。TVカメラを測量器と間違えて。「お前ら、俺達の土地を取り上げに来たんだろう!」と叫んでいたそうだ。おじさんの早とちりだとしても、あの真剣な怒り方を見ると、彼ら農民の厳しい現実が想像できる。土地を耕して生きていくより他に道がないのかもしれない。土地が命なんだ。 撮影24日目 どこのホテルに行っても、ボーイさんは私に向かって“イエッサー。”と言う。決して“イエス マダム。”とは言わない。皆が余りにもきっぱりとそう言うので、そのまま聞き流している。(最初はちょっとムカついたけど。) 私が女であるとは、認めてもらえないのだ。皮肉じゃなくて、“まさか女のはずないでしょう、そんな格好で。”という感じか。 ところが、観光地にいる物売りの少年達は、「マダム、ヤスイ、カッテ、ミッツ、テンルピー。」と日本語まで駆使して売り込んでくる。 台湾人には中国語、韓国人には韓国語、観察力をフル稼働して販売活動に励む。生活が懸かっているから、必死で相手を見定めようとする。 逞しい。 撮影25日目 STD(有人公衆電話所)に電話を掛けに出た。道々、チャリに乗った高校生が近づいて来て、"おっナンパか?"と思ったが、「どこに行きますか?」「STDです。」「あぁ、この先に有りますよ。」と、礼儀正しく、且つたどたどしい会話が続く。人の良さそうな若者だったから、自転車の後ろに無理矢理乗って、STDまで送ってもらうことにした。 彼は、迷惑じゃないけど、ちょっと引いている様子だった。2人ノリの自転車で、ぎしぎし音をたてて走った。彼は、ただ外国人と歩きながら英会話の練習がしたかっただけなのに、いきなり自転車ジャックしてしまった。
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インド撮影日誌6 撮影26日目
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インド撮影日誌7 『満月の夜』とはよく言うけれど、『満月の朝』というのは、ちょっと変わった言い回しだ。夜明け前、ガンガー(ガンジス河)の河畔に立ち、少しずつ黄色から白へと色を失いつつある月を見ながら独り言を呟く。そういえば、デリーに着いた夜は三日月だった。ロケが始まってから二週間が過ぎたことになる。その間、5本の列車を乗り継ぎ、タージ・マハール、ベンガル虎、カジュラホのミトゥナ(男女の融合を描いたレリーフ)、アラハバードの祭りを撮影して来た。
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インド撮影日誌8 撮影27日目 ニューデリーを出発してから、アグラ、ジャンシ、マホバ、カジュラホ、パンナ、アラハバード、バラナシ、ブッダガヤ、パトナ、ラージギル、ナーランダと、我々の列車の旅もほぼ4分の3を進んできた。 けっこう来たなぁ。 撮影は同じことの繰り返し。駅舎やホームの様子を撮りながら、大量の機材と荷物を手分けして列車に載せる。乗り込んだら、総ての客車を廻り車内の様子や車窓からの風景を撮る、途中何度か停車してまた出発。目的地到着。街に出て、遺跡や名所を撮影。ごはんを食べて寝る。そしてまた列車に乗って旅を続ける。毎朝、日の出を見て、毎夕日の入りを見る。東京にいる時とはまるで違うリズム。毎日同じことの繰り返しなのに飽きないんだなぁ、これが。というより、こんなに毎日楽しいのは何故だろう。 インドにいると、“受け入れられている”と実感する。外国の旅に出ると“非情な好奇の目”に晒されたり、騙されたりする事が希にあるし、“よそ者”扱いされたりもする。(よそ者だから当然だけど。)今回はそれがない。おおらかな好奇心と豊かな信仰で、一期一会を共有してくれる。アジアだなぁと思う。 もちろん良いことばっかりでもない。インド人は今も階級意識がはっきりしていると感じるし、バクシーシを求める人の数も半端じゃない。 通りすがりの旅人としても、疑問を感じることは多い。でも、我々を客人として受け止めてくれる。誰も無視しない。“日本人クルーによる撮影という非日常”に参加してくれる。 田舎の風景も抜群に美しい。どこを見てもナショナル・ジオグラフィック。麦や豆やマスタードの畑が見渡す限り広がっていて、水牛がいる土壁の集落がぽつぽつあって、収穫した稲穂が家型に積み上げられていて、色とりどりのサリー姿があって、こども達の目がきらきらしていて、哲学者の様な老人がいて、犬や牛がのんびりしていて、山や河があって、すばらしい寺院があって、夕日が感動的で、、、。何時間でも撮影していたくなる。 更にごはんがどれも美味しい。毎食カレー(日本のものとは違います)だけれど、野菜が野菜らしくてとても美味しいし、味付けもシンプル で、スパイスの塩梅で同じ料理も印象が変わるから飽きない。 毎日同じ事の繰り返しだけれど、全部違うから面白いんだと思う。
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インド撮影日誌9 撮影28日目 デリーを出発してから、一体何人のインド人に出会ったかなぁ。インドは人口約10億人と言われているけれど、印象では15億人はいるような気がする。先々週カジュラホの寺院で壁一面のおおらかなレリーフを見た時、「インドに少子化の不安なし。」と感心した通りだ。 列車が駅に到着すると、こんなに乗ってたのぉーと面食らう。人の波が動く。到着ホームは“阪神vs巨人戦、只今終了しました。荷物もいっぱい持ってます。”という状況。お盆休み最終日状態。バスやトラックにも、“そんなに乗せなくても、、、。”という位、人が乗っている。けれど東京と違って、歪んだ感じがない。老人、中年、青年、子供、幼児と、どの世代もいるから、バランスは優。親は小さい子供の手首をしっかり握っていて、“うちの子は絶対離しません。”という強いメッセージを発している。もしはぐれたら、二度と会えないみたいに。 パトナは都会だ。商業都市らしい。車も多い。今まで訪れた街でもそうだったけれど、大通りには、バス、車、オートリキシャ、バイク、牛車、とあらゆる乗り物が人や荷物をいっぱい載せて、道路に溢れる程走っている。クラクションの嵐が凄まじい。鳴らしっぱなし。信号機はほとんどない。車はスピードを出して、お互いの車間は30cm位しかないのに、不思議と事故に遭わない、目撃もしない、ちょっとした接触もない。運転がもの凄く上手いのと、自分以外の車を信用していないのがいい。前後左右の車の運転者に目で強く訴えて、絶対ぶつけんなよ!光線を出している。バスやトラックには、たいてい運転助手が付いているから、横の車と接触しそうになったら、助手が自分の車を思いっきりバンバン叩いて、危険を知らせる。(自分で叩くのはいいらしい。)また、普通乗用車はサイドミラーをわざわざ取り外してある。車が接触して、取れてしまうのが惜しいからだそうだ。合点承知。
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インド撮影日誌10 撮影30日目 もうすぐ旅が終わる。家に帰れる。1ヶ月も離れていたから、すごく嬉しい。そして、ひどく淋しい。祭りが終わってしまう、という淋しさ。行き先も目的も違う者同士が、たまたま同じ列車に乗り合わせてたった数分の出会いだけれど撮影する側とされる側で、話をしたりお茶をご馳走になったり、たとえ会話がなくても目と目で話をした(ような気がした)、熱い祭りの日々が終わる。 毎日撮影し続けたサリー姿の女性は本当に素敵なので、旅の記念に1枚買おうかなと思っていた。豪華な刺繍の入ったものからプリントのものまで種類は豊富で、しかも嬉しいフリーサイズ。友達に着せてもらって、即やめにした。あたしの和な顔には全く合わない。変だ。やっぱり褐色の肌、漆黒の髪、真っ白な歯と大きな目がないとだめ。男性も布の使い方が上手くて、ただ首や頭や腰にルーズ巻いているだけなのに、ばっちり決まっている。完璧。 パンナに行った時も、ダイヤを買おうかと思ったが、根性が座わらず断念した。結局土産はスパイスとか紅茶とか食べ物ばかり。まあ、どの国に行ってもいつものことだけれど。 しかし、インドはつくづく濃い国だったなぁ、こんな国は初めてだった。大方のインド人はシャイなくせに撮影されるのが大好きだからカメラの前で、最高の笑顔を見せてくれたのは、車窓デビュー戦の私には有り難かった。 また、ヒンドゥー教徒の彼らが、聖なるガンジス河で沐浴し一心不乱に祈る姿には、信仰心の薄い私でさえ、敬虔な気持ちになった。コブラを首に巻き付けているシヴァ神や象の頭をもつガネーシャなど、神様たちも濃いなぁと思うが、生活の支えとして、こんなにも強く信じるものがあるのは幸せだろうと思う。カッコつけのお体裁なんか構わず、精一杯生きている。動物も人間も、命あるものが魂のエネルギーを出しまくって、逞しく毎日を生き抜いている。 多様で濃くて、深くて、美しくて、優しくて、そんなお祭り列車の旅だった。 乗客の皆さんと共に列車という劇場で車窓から見た物語もそろそろ終わりです。インドの皆さん本当にありがとうございました。また是非お会いしたいです。
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インド撮影日誌11 夜明け前、ベッドから起きだしテラスに出て、インド特産の煙草に火をつけた。独特の甘さを含んだいがらっぽい味が口の中に広がる。ひんやりとした風と共に潮騒が耳に心地良く響く。空にかかった三日月の光が何故か目に滲みる。デリーで旅が始まった時も、三日月だった。 月が満ち、そして再び欠けるまでの丸ひと月、インドの大地を駆け巡った撮影も、いよいよ終わりを迎えつつある。「旅が終わるという安堵感と、旅が終わってしまうという寂しさ」いつもながらの言い様のない感情が胸に沸き上がってくる。 仏陀の足跡を辿る列車では、インドの男たちの哲学的な表情を見た。 大都市コルカタには様々な階層の人々が、ひしめくように暮らしていた。オリッサ州の長閉な風景からは、何故か懐かしさを感じた。ブバネシュワールの寺院で祈る人たちの表情からは、神の存在を考えさせられた。ベンガル湾の漁村で魚を運ぶ女たちの姿は、生きていくことへの強烈なベクトルを感じさせられた・・・。 25年前に感じたこの国に対する感情は、日々戸惑いを含みながらも、薄皮を一枚ずつ剥がすように消えていった。今、インドに惹かれている自分に気づく。 独り、海岸に散歩に出掛けた。昨日撮影したサンドアートの女性像が、その輪郭だけをわずかに残した砂の固まりに変わっていた。昇り始めた朝日が、ベンガル湾に力強い光を投げかける。ジョギングをする若者、散歩のカップル、海に飛び込む子供たち・・・。光の中を、幾つもの人影が動いていく。そんな中、波打ち際に印象深い二つのシルエットを見つけた。海を見つめる痩せた背の高い老人とその周りを飛び跳ねながら走り回る男の子。「一人の人生はもう残り少なく、もう一人の人生は始まったばかり・・・。」逆光の中で二人の姿は、波が寄せては返す砂の上に影絵のような模様を描いていた。 全てを受け入れ、日々を生きるインドの人々・・・。階級制度、多民族、貧富の格差等、多くの問題を抱えてはいるけれど、この国に絶望は存在していないのではないか・・、という想いに捕われる。それでは希望は・・、それは、人々の胸の底にきっと存在しているはずだ。 今回の旅は、鉄道王国インドのほんの一部を走っただけだ。列車は今日も、大勢の人々を乗せて走って行く。 再びこの国を訪れるのも、そう遠い日の事ではないだろう・・・。
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