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SmaSTATION!! 特別企画 日本の伝統文化を担う若き王子たち
“ハンカチ王子”こと、斉藤佑樹投手、“ハニカミ王子”こと、石川遼選手と、日本は今、空前の王子ブームに沸いています。しかし才能あふれる美しい「王子」が存在するのはなにもスポーツ界だけではありません。日本の誇る伝統芸能の世界でも今、多くの王子たちが華々しい活躍をしているのです。そこで、スマステーションではそんな彼らに完全密着。普段見ることのできないプライベート映像もあわせて大公開します!

尺八奏者 藤原道山さん

木村拓哉さん主演、山田洋次監督の大ヒット映画『武士の一分』。映画の中で印象的に使われている、尺八の音色。『武士の一分』の音楽は、上海国際映画祭で最優秀音楽賞を受賞するなど世界的にも高い評価を受けたのです。この映画の尺八を担当しているのが、藤原道山さん(35歳)です。

「山田監督の映画が好きで、レコーディングのときにいらしてて緊張したんですけど、本当にありがたかった。こうやって映画の全編で尺八の音が聞こえるというのは少ないですから。すばらしい機会を得たなと」(藤原さん)


「和楽器の貴公子」といわれ、甘いマスクで純邦楽の世界に多くの女性ファンを引き込んでいる藤原さん。現在、放送されているシャンプーのCMでもその尺八の音を聞くことができます。そんな藤原さんは、10歳から祖母のすすめで尺八を始めたと言います。「辛いと思ったことはないですね。楽器を吹いているのが一番自分で表現できる」という藤原さんは、この夏には舞台音楽を生演奏で担当するなど、新しい試みに挑戦。そして今年11月にはあのウィーンフィルとの競演も決定するなど活躍の場をますます広げています。

■藤原道山
http://www.dozan.jp/


華道家 笹岡隆甫さん

日本が世界に誇る伝統文化、華道。その世界で今、次代を担う若手として注目を集めている王子がいます。未生流(みしょうりゅう)笹岡次期家元、笹岡隆甫さん(32歳)です。笹岡さんは、華道暦すでに30年。実力だけでなく、美しい容姿も備えているとあって、華道教室にも数多くの女性が詰め掛けるのです。しかも、笹岡さんは京都大学工学部建築学科出身。美しさ、そして華道の才能だけでなく、知性をも兼ね備えているのです。そんな笹岡さんが、今、積極的に行っているのが「いけばなパフォーマンス」。音楽に合わせ、大型の作品を数人で一気に生けていくというものです。先月も南米のペルーでこのパフォーマンスを披露。インカ帝国の太陽神を題材に、ろうそくの明かりの中で次々と生けていく、その幻想的なパフォーマンスは「息をのむ美しさ」と大絶賛されました。

笹岡さんがやがて家元をつとめることになる、未生流笹岡とは、今から遡ること200年、江戸時代の1800年頃、未生斎一甫によって始められた「未生流」がそのルーツです。大正時代にはいり、笹岡竹甫が新しい流派、未生流笹岡を誕生させたのです。弟子の数は世界各国におよそ3000人。そんな笹岡の家に生まれ、3代目家元となるべく幼い頃からいけばなを叩き込まれた笹岡さん。果たして華道の家元はどんな暮らしをしているのでしょう? 京都の自宅にスマステーションのカメラが潜入しました。

王子の自宅があるのは京都大学に程近い、緑の多い住宅街。敷地面積実に550坪。大正時代に立てられた、築100年の美しい日本家屋は、「家の南側に大きな庭を造っております。その前に座敷があって家の一番いい部分を、座敷が占めているというスタイルの家になります」(笹岡さん)というご自宅。そして庭を奥へと進んだところにある「花器庫」には、江戸時代のものなど貴重な花器が数多く収められているほか、茶室も備え付けられています。そして母屋の中には一枚あたり数百万円はくだらないという江戸時代の襖絵、そして家宝という黄金の花器も。笹岡さんは、日本の伝統文化・伝統の品々に囲まれ、美意識を磨いてきた、まさに華道のプリンスなのです。

■笹岡隆甫
『華道界のプリンスが直伝する
 美的生活のヒント』
 1300円(税別)


狂言師 茂山宗彦さん

今から600年前、室町時代に流行した物まねなどの滑稽な芸「猿楽」から生まれた、能と並ぶ日本最古の芸能「狂言」。その狂言の花形として今、若い女性を中心に、人気を集めているのが、大蔵流狂言師・茂山宗彦さん(32歳)。狂言には大蔵流と和泉流、2つの流派があり、その大蔵流の中でも、宗彦さんは400年の歴史をもち、京都御所への出入りも許されていたという名門中の名門、茂山家の血筋。宗彦さんの祖父は現役最年長の狂言師にして人間国宝の茂山千作さん。宗彦さんはこの祖父を師として、3歳から狂言とともに育ってきたのです。今ではシテ、つまり主役を務めるまでになった宗彦さん。

「600年背負ってきたものの中に入ってきて『狂言やってんねん』というのは、ある意味間違った意味で肩で風切った人になってしまうので。僕はそういう考え方は、一切無いですし、そうしてはいけないと思いますし。僕ひとりでこれから『狂言をこう変えていくぞ!』というと、それは600年続いてきた狂言に対する冒涜だと思うんですよね」(茂山宗彦さん)

狂言界の若き王子を、祖父であり人間国宝の千作さんはどう見ているのでしょうか。
「ただいま気張ってる最中ですな。決して上手なちゃんとした芸をやるところまではいきませんけどもね。しかし、なかなか筋がよろしいので期待しておりますねや」(茂山千作さん)

そんな狂言界の王子はオフをどう過ごしているのでしょうか。公演が休みのこの日、王子は友人の待つ行きつけの店へと向かいました。その友人とは、茶道最大の流派、裏千家家元・千宗室氏の長男にして詩人のChoriさん。実はこのふたりと、笹岡隆甫さんを合わせた3人は「京の御三家」とも呼ばれているのです。

「ひとりでも多くのお客さんに喜んでもらえるように、たぶんこの家に生まれたと思うんですよ。喜んでもらわないかんから、僕こうやらして貰えてると思うので。その使命とここに生まれた以上、どんなにしんどかろうが、どんなに朝早かろうが、どんなに体が疲れていようが、それはもう最大限というか、命を賭けてやっていこうと思うんですね。僕がこの世からいなくなった時に、とある人が『昔な、こんなんがおってんけど、むちゃくちゃたってん。テレビ出たりな、サッカーしたりな。そいつの芸がなんや面白いねん』と、言われるようになりたいですね」(茂山宗彦さん)

■茂山宗彦
http://www.soja.gr.jp/


和太鼓奏者 山部泰嗣さん

岡山県倉敷市、ここに50年に一人の逸材と評される和太鼓のプリンスがいます。山部泰嗣(たいし)さん(18歳)です。今年高校を卒業したばかりの山部さんは、18歳の若さにしてすでに、次代の和太鼓界を背負って立つ人物として注目を浴びているのです。和太鼓奏者でもある父親の影響で、物心つく前から、ひとりで太鼓のバチで遊んでいた山部さん。初舞台は3歳。その後も日本を代表する和太鼓グループ「倉敷天領太鼓」で、ひとり大人に混じって舞台に立ち、腕を磨いていったのです。そんな山部さんの才能を一気に知らしめたのが、16歳のときに出場した「東京国際和太鼓コンテスト」。和太鼓の世界で最大にしてもっとも格式のあるこのコンテストは、海外からの出場も認められ、事実上世界一決定戦とも言われています。その大会で、16歳の山部さんは初出場で最優秀賞を獲得したのです。当然、「若き天才和太鼓奏者」として、大きな話題となったのです。山部さんの太鼓の特徴は、独特のリズム感と、抜群に早いバチ捌き。伝統的な大太鼓のテンポだけでなく、ロックのような速いテンポまで、あらゆるリズムを2本のバチで自由自在に表現するのです。そしてもうひとつ、上半身を大きく反らせる、この独特の打法。168cmと小柄で細身の山部さんが、力強く太鼓を打つために日々の練習で試行錯誤し身につけたものです。山部さんは現在、フランス公演など、海外にも活動の場を広げる一方、プロとして「山部泰嗣とスペシャルユニット」を結成。メインの奏者としてだけでなく、舞台全体の演出、新曲作りと新たな和太鼓の可能性を追求し、弟・哲誠さんのドラムとのセッションなど、他の楽器との新しいコラボレーションを積極的に行っています。

■山部泰嗣
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/2202/index.html


純邦楽ユニット ZAN

今年4月、アメリカ・ニューヨークで開かれた、野外ライブ。ここで、ある純邦楽のユニットがアメリカ人の観客たちを熱狂させました。それが、民謡・尺八演奏家でもある、小湊昭尚さん、そして筝の演奏家、市川慎さんによるZANです。彼らは尺八や筝といった日本の伝統音楽にJ−POPのメロディーを取り入れ、まったく新しい音を開拓、今年7月には全米デビューまで勝ち取ったのです。実は小湊さんは民謡小湊流の家元、市川さんは秋田県生田流筝曲「清絃会」の次期家元という肩書きも持つのです。実力・そして美しさを兼ね備えた王子ユニット。それが、ZANなのです。

■ZAN
http://www.rhythmzone.net/zan/index.html


書道家 武田双雲さん、双龍さん

映画、漫画、そして新聞などの題字の数々。誰もが一度は目にしたことのある、その見事な筆文字。それらを書き上げるのが、書道家・武田双雲さん(32歳)。題字だけでなく、愛・地球博でも見事な書を披露。さらには舞台で狂言師・野村萬斎さんと競演を果たすなど、その活躍は実に多岐にわたっています。そんな双雲さんを一躍メジャーにしたのが、「人生」という作品。生きる、という文字をいくつも重ね、そして余白にも「生きる」という文字を配した作品。この作品で2003年、イタリアのメディチ家の末裔が主催する、「コスタンツァ・メディチ家芸術褒章」受賞。そして書道の本場、中国・上海の「龍華翠褒章(りゅうかすいほうしょう)」を受章するなど、国際レベルでの評価を受けたのです。「ちっちゃい頃から将来の夢、『大物』って書いてたんですよ」という双雲さん。書道家の母によってわずか3歳から書道を叩き込まれました。しかし、幼い頃は書道よりも野球に夢中な少年だったといいます。その後、東京理科大学に進学、卒業後はNTTに就職。営業職として企業を回っていたある日、あることがきっかけで双雲さんの人生は大きく変わることになるのです。会社を辞めて独立する先輩に頼まれ、名刺の文字を書くことになったのです。会社の中でもダントツに字がうまいと評判だった双雲さんは、軽い気持ちで引き受けたところ、周囲からの評判は上々。すると、その先輩が「その名刺でお前、飯食えんじゃない!」と言ったそうです。

「ちょっと気軽に言ったと思うんですけど、その言葉を信じ切っちゃって。で、会社辞めちゃったんですよ」 (武田双雲さん)





こうして双雲さんは、25歳のとき2年半勤めたNTTを退社。そしてまずはじめたのが、路上で書を売る事でした。さらに、自らの作品に絶対の自信を持っていた双雲さんは、作品をインターネットでも披露していきます。すると、看板の文字や題字など、仕事の依頼が次々と舞い込むようになったのです。そんな双雲さんに今回、「香取慎吾」をイメージして書をかいてもらいました。「最初は無邪気、とか考えたんですけど、考えれば考えるほど多面的な人で」と考えること30分。双雲さんが最終的に選んだのが、「快」という文字です。気持ちがいい・愉快・・・・そんな意味を持つ文字、快。「香取さんは心地よさを基準に動いてる気がするんですよね」という双雲さん。そして、本日のゲスト、鶴瓶師匠をイメージした書をお願いしたところできあがったのが…。

「この余白に意味をもたせたんですよ。バーンとしゃべる方だから、何かすごく飛び散ってるようなイメージかと思ったら、たぶんそうじゃなくて。すごく余白がある人なんですよね。たっぷり余白があって、たぶん誰でも絡めるというか。その余白があるからいろんな人が生きてくる。自由でわがままで奔放に見えて、中身は真逆で王道で。繊細で計算された感じがあったっていう、そこらへんの世界観が字とこのレイアウトにでればいいな、って書きました」(武田双雲さん)

そして、この双雲さんと並び今、書道の世界で注目を集めるもう一人の王子が、武田双龍さん(23歳)。武田双雲さんの弟なのです。




「僕はどちらかと言うと、自分から伝えるにはまだまだ。もちろん若いですし、未熟だと思っているんで、自分がやっている姿を見て何かを感じてもらったらいいな、というスタイルなので。今のところは自分がやりたい事をやって、そしてそれで何かを感じていただければな、というふうには思ってます」(武田双龍さん)

兄に負けず劣らず数多くの女性ファンをもつ双龍さん。書道という一見地味な世界で脚光を浴びる若きふたりの王子。

「僕ひとりの夢としてはそこまで大きな夢とは思わないんですけど、僕がその夢に向かって頑張る事で、色んな人の夢が膨らんで行けばいいな、という気持ちで書いてみました。いずれ、みんなにこのような大きな夢を抱かせるくらいな人物になりたいな、というような思いを込めました」(武田双龍さん)

「自分がやりたいことをやって、それで何かを感じていただければなって。一番、かっこいい人生を思い浮かべたときに、多くの人に影響を与えたいなって思います。世界中の人間を仲良くさせたっていう人って言われたら嬉しい」(武田双雲さん)

■武田双雲
『たのしか』ダイヤモンド社

■武田双龍
『夢』徳間書店


女形 早乙女太一さん

日本の誇る伝統文化、、大衆演劇で100年にひとりの天才女形といわれ、さらに今最も客を集める役者として注目を集めている15歳の若き王子がいます。大衆演劇の特徴の一つである「お花」と呼ばれるご祝儀。彼の胸元には、常に大輪が咲き乱れると言います。彼こそが、流し目王子こと、早乙女太一さん(15歳)です。この春、中学を卒業したばかり、という若さにして妖艶な花魁、人生の機微まで見事に演じきる実力の持ち主。現在、早乙女さんは、父親が座長を務める、「劇団朱雀(すじゃく)」の看板役者を務めています。舞台はいつも超満員ですが、特に、最近は若い女性ファンの激増が目立つように。そもそも、早乙女太一という役者が全国に知れ渡るきっかけとなったのは、北野武監督作品『座頭市』から。一目見てその才能にほれ込んだ北野監督は、当時11歳であった早乙女さんを起用。存在感たっぷりの演技で早乙女太一の名前は一躍脚光を浴びることになります。その後「TAKESHIS‘」にも早乙女太一役で登場。こうしてアイドル雑誌のグラビアも飾る存在となった早乙女さん。写真集のサイン会となれば、ファンの女性が長蛇の列を作るほどに。早乙女さんが生まれたのは、1991年、福岡県。劇団一家の子として生まれた早乙女さんが、初舞台にあがったのはわずか4歳のとき。連日の舞台のために、学校もまともに通うことができなかったと言います。

「学校生活はぜんぜん楽しく無かったですね。2時間目か3時間目まで出て、学校から帰るとすぐに舞台。そして、夜の部までこなし、終わった後には父の厳しい稽古が待っていました」(早乙女太一さん)



そんな太一さんが頭角を現したのは、10歳のとき、女形をはじめたのがきっかけでした。子供とは思えない流し目に、美しい舞…。さなぎが蝶になるように、瞬く間に早乙女さんは「最も客の呼べる役者」にまで成長したのです。白塗りの化粧を施せば、15歳とは思えない妖艶さをかもし出す早乙女さんも、素顔はさわやかな15歳の青年。しかし、早乙女さんの人気は、決して見た目のものだけではありません。一番の人気の理由は、他の出演者をも圧倒する、踊りのうまさにあるのです。そんな早乙女さんは、今月、いつもの3倍以上と言う大舞台での公演を初めて経験。ここでも美しさで観客を魅了しました。まもなく、16歳となる若き天才役者、その夢は?

「自分を持ちつつ、悪いところを直して、役者として人間として認められる人になりたい」(早乙女太一さん)

■早乙女太一
『早乙女太一写真集』
 小学館


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