したルネサンス様式で、竣工時には大正天皇・皇后の行幸啓も行われました。 館内の聖堂はかつての大食堂で、暖炉には島津家の家紋も…。また中央階段にはコンドル自身がデザインしたステンドグラスがはめられ、公爵夫人のプライベー
巨大な岩に、大きく「千尋巌」と 書かれている光景。文字の意味は「とても大きな岩」なのだとか。 この岩があるのは、薩摩藩主・島津家の別邸が残る仙巌園。 江戸時代後期、1814年に27代目当主の島津斉興が3890人の 作業員を動員して約3ヶ月でこの
川家斉に嫁いだ「茂姫」と、13代将軍・家定に嫁いだ「天璋院・篤姫(てんしょういん・あつひめ)」です。ふたりの姫はともに薩摩の島津家という、大名家の娘。茂姫は、家斉が将軍に任命される前に婚約していたため、自動的に御台所の座に着くのです