監督、ばんざい! 北野氏とビート氏がタッグを組んだ最強コメディ映画
世界の北野がお茶の間に帰ってきた!
一言で言うとそんな感じの映画である。
スクリーンの中にいるたけしさんに、なぜだか「おかえり」と言いたくなる。
そこにいるのは世界の巨匠となった監督・北野武ではなく、
かつてお茶の間を沸かせたコメディアン・ビートたけしだからである。
鮮やかなブルーの学生服のような衣装をまとったビート氏は、
映画の中で不気味なほどの存在感がある。
違和感といってもいいかもしれない。
主演という形を取りつつも、ビート氏は多くを語らない。
語らずして笑いを取る。
とにかくすごい力なことだけはわかる。
しかし、この映画の監督は北野氏である。
映画は北野氏がいかにしてこの映画を作ろうとしたかという過程をオムニバス形式で描いている。
それをビート氏が演じている。
うむ、これだけでなんだか奇奇怪怪。
マトリューシュカを見ているよう?金太郎飴を切っているよう?
とにかくなんだか落ち着かない。迷宮だ。
この映画は、
ここでつまづいて、やめた。
そして次にこんなジャンルをやってみようと思った。
でもここが理由でやめた、こういった風に映画はどんどんストーリーを変えていく。
オムニバス形式のひとつひとつに結末はない。
見ている私たちは、構想を書きなぐったノートを覗き見しているような気持ちになる。
ここまで見せていいんですか、北野監督!?と聞きたくなってしまうくらい素直に。
次々とストーリーが変わっていくうちに、私たちはこれが最後にたどりついた映画なのか?と不安で仕方がなくなる。
伊武雅刀のナレーションは、不覚にも(!)映画に引き込まれてしまった私たちの気持ちをフッと現実に引き戻す冷静な響きである。
これこそ神の声!天の声!あぁ、イブマサト!我らをどこへ導く?
なかば叫びに近い気持ちを持ちつつ映画は進む。
さて一番印象に残ったのはたけし君人形の存在だろうか。
ビート氏と同じ格好をしたたけし君人形は、
映画の中で非常に効果的に使われている。
これだけ名立たるメンバーが出演しているのにも関わらず、
心に強く刻み込まれるのは人形なのだから面白い。
ある時はビート氏と入れ替わって寡黙な主人公を演じてしまう。
またある時はビート氏の苛立ちや不安のはけ口にもなり、
川や井戸にダイブしたりする。
表情は無いのに、寂しく見えたり、自慢げに見えたりするたけし君人形。
ビート氏と北野氏の命を吹き込まれたこの寵児は、
映画の中で誰にも真似出来ない異様な輝きを放つのである。
この映画の良さはストーリーどうこうではない!
(しかしオムニバス映画の順番や突然来る終わり方には綿密な計算を感じさせる)
映画はこんなに単純に笑っていいものなんだと思い直す。
ビート氏の醸し出すシュールな笑いと、それを見事に組み立てた北野氏のずば抜けたセンスの高さに包まれて鮮やかな100分を飾る!斬るといったほうがいいかな?
いや、もうともかくご覧あれ!
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