一度は行ってみたかった、12月14日の泉岳寺。 |
今日はちょっとクールに… |
これでピピッときたあなたは歴史好き?時代劇好き!忠臣蔵好き!!
小さい頃から矢島家では、この時期になると忠臣蔵、すなわち赤穂浪士が話題にのぼります。父親が大好きなんです。そういうご家庭って多いんじゃないでしょうか。
年末は必ず忠臣蔵のドラマが放送されますよね。
昨年はテレビ朝日でも開局45周年を記念して松平健さんが主演の「忠臣蔵」が放送されました。
http://www.tv-asahi.co.jp/chushingura/index.html
このドラマが放送されていたときテレビ朝日本社の一階には、松の廊下が再現されていたのですが、当時はまだ大学生だったわたしもドキドキしながら遊びに来た覚えがあります…。
歴史の詳細はドラマ「忠臣蔵」のサイトを見ていただきたいのですが、元禄15年12月14日は大石内蔵助率いる赤穂浪士四十七人(あえて漢数字で表記です)の面々が吉良邸へ討ち入りをした日なんです。
そして見事!主君・浅野内匠頭の仇討ちに成功した赤穂浪士たちのお墓があるのが、東京・高輪にある泉岳寺です。ここには主君とその奥方(瑤泉院)のお墓もあります。
毎年12月14日は「義士祭」と名付けて、盛大な供養がいとなまれます。
泉岳寺周辺は、この日は街をあげての一大イベント。仮装行列のようなものもあるそうです。
露店がたくさん並び、世界各国のことばが飛び交い、老若男女関係無く本当にたくさんの人たちが赤穂浪士のお墓をお参りしようと、泉岳寺を訪れていました。
わたしも早速お墓参りの行列へ並ぶことに…。まずはどんな人たちが来ているのか知りたくて人物観察をすることにしました。
右隣は大きな荷物を抱えたサラリーマンのおじさま。片手には分厚い赤穂浪士の解説書。遠くから来ていたのでしょうか。質問をしたら何でも答えてくれそうです。
左隣には金髪を揺らした3人の外国人観光客。
ガムを噛みながらお墓をバックにピースしている場合ではありません!
…つい口うるさくなるところでした。この日はわたしも念のため…とデジカメを持参していたのですが、お墓参りに来ているのだと思うとどうも撮影する気にもなれませんでした。
後ろにはよく来るらしいおばさまふたり組。免許更新の年にあわせて5年に一度来るそうで次はもう来られないんじゃないかと不安がっていました。いいえ、そんなことありませんヨ!元気を出して!
そしてはるか前方にはお墓が見え始めた…と思ったら!
お墓の前で号泣する若い女性を発見!!これにはさすがに驚きました。
並ぶことおよそ40分…。 |
毛利庭園に咲いていました。 |
ようやくわたしもお墓参りが出来る場所に来ました。
あたり一面お線香の煙で煙っていて前の人が見えません。おまけにみんなが涙目で咳き込んでいます。まるで避難訓練!
さて、ここでまた話は歴史に戻ります。
主君の仇を討った赤穂浪士はその後、四つの大名屋敷…熊本藩細川家、松山藩松平家、長府藩毛利家、岡崎藩水野家にお預けになり、翌年の元禄16年2月4日に切腹の命が下りそれぞれの生涯を閉じることになります。
わがテレビ朝日の社屋の前にある毛利庭園、もう皆さんにもすっかりお馴染みだとは思いますが…ここはかつて毛利家の屋敷でした。
そう、毛利庭園も赤穂浪士ゆかりの地なのです! |
テレ朝の真ん前です |
会社に入って初めてこの事実を知ったわたしは、今回あることを決めて泉岳寺にやってきていました。毛利家にお預けとなった10名の赤穂浪士は、赤穂浪士ファンの間でも特に目立って有名な人物!という人たちではありません。そんなわけで、前回泉岳寺を訪れた際にはきちんとお参りもしませんでしたが、今回はその面々を中心にお参りをしました。 |
よく見ると庭園内には…
ここが屋敷跡だったことを紹介している看板が。 |
その後、赤穂義士会館を覗いて、「討ち入りそば」なるものを食べて帰ってきました。
体中が線香の匂いに包まれてしまい、その日はずっとみんなにおかしな顔をされましたが12月14日当日に泉岳寺へお参りという夢が果たせて大満足の一日でした。 |
これがチケットです。 |
東京には歴史文学の跡が驚くほどたくさんあるようです。
毛利庭園のように、自分と歴史をつなぐちょっとしたキーワードを見つける度に、ドキドキわくわく、新しい(古いと言うべきなのかしら)東京の顔を見ることが出来ます。
こうした小さな旅は、思いのほか心をうるおしてくれる気がしました。 |
そんなわけで、六本木でお待ちしてます。 |