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9月2日 心の琴線に触れまくりの『たまゆらの女』をご紹介

 
今回は、・・・切なくて仕方がない。サブリの心の琴線に触れまくりの
『たまゆらの女』をご紹介〜

中国、雲南省で、白磁の染付け絵師をするチョウユウ。
彼女は、ある日無名の詩人、チェンチンから詩を贈られる。
「君のことだけを想って書いた」
一瞬にして心を奪われたチョウユウは、あくる日から、彼の住む町、重慶へと通う。
汽車で片道数時間の、遠距離恋愛。
彼女は、来る日も来る日も汽車に乗り、彼に会いに行った。
すべてが鮮やかに目に映る、幸せな日々。

彼女はいつも全力で愛をぶつける。
次第にチェンチンは、その強い思いに応えられなくなっていった。
互いのズレに歯がゆさを覚えるチョウユウ。
彼女が求めれば求めるほど、彼は離れていく。
一方で、そんな彼女を、無骨な態度とは裏腹に暖かく見守る獣医、チャンが現れる。

やがてチェンチンは、自分の夢を追いかけるため旅立ってしまう。
彼女を置き去りにして。
それでも彼女は、汽車に乗り、彼のいない町へと通い続けた。
汽車は走り続ける。
彼女の、絶望的に深い愛情を乗せて・・・。

こんなに深く愛しているのに、なぜ、かなわないのだろう。
かなわないと分かっているのに、なぜ想いを止めることができないのだろう。

傷ついた彼女を、チャンはいつもそばで見守ってくれていた。
いつしか彼女は、チャンの静かな深い愛情に気づく。
「君を幸せにできるのは、俺だけだ」
・・・この人ならば、私を心から愛してくれる。
2人の男の間で揺れる、チョウユウの気持ち。
最後に彼女が出した答えは・・・。

時々思う。
人が人に注ぐべき愛には、適量や限界があるのだろうか、と。
(水と肥料とを与えすぎた花がダメになってしまうように。)
それならば神様が、相手に与えて然るべき愛の量を数値化して教えてくれたら、
(例:「コレだけの量を一日3回与えれば安心。」とか。)
誰も傷つかなくて済むのに、とも。

到底、そんな一筋縄ではいかないのが、人の心。

愛は量って注ぐことのできるものじゃない。
ましてや、愛をあげた分だけすくすくと育つ、
そんな理にかなった「苗」を選ぶこともできない。
かなわない、育たないと分かっていながら、
どうにも抑えられない想いにとらわれて、
適量も限界も考えず、気の済むまでどっぷりと愛情を注いでしまう。

悲しいかな、恋愛なんて、非生産的なもの。

チョウユウが自らの情熱に翻弄されるさまは、とてつもなく痛々しい。
が、同時に、潔く、美しくもある。
「愛することは、自分を鏡にうつすこと」
自分の心をまっすぐ見つめて、気持ちに正直に、相手にぶつかる強さ。
傷つこうが、苦しかろうが、かまわない。
その破壊的な情熱は、危ういけれど、憧れるのもまた事実。

・・・いっそ、彼女に倣ってみようか。
そうだ。想いに蓋をする必要などない。
「好きなものは、好き」なのだから。

■作品データ/『玉響の女』
監督:スン・チョウ
原作:ベイ・チュン
脚本:スン・チョウ、ベイ・チュン、チャン・メイ
撮影監督:ワン・ユー
美術:スン・リー
出演:コン・リー、レオン・カーファイ、スン・ホンレイ
配給:日本ヘラルド映画/2003年/中国映画/93分

※9月下旬シネスイッチ銀座ほかにてロードショー

■『たまゆらの女』サイト
http://www.herald-arthouse.com/tamayura/index2.html

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佐分アナの近況
つい先日、週休を利用して帰省してきました。
写真は、実家(小さなきものやを営んでおります)にて、
今年作った浴衣にようやく袖を通してご満悦のようすのワタクシめです。
それにしても、今年は夏を満喫した記憶がほとんどない。
(冷夏のせいだな!ムムッ!!)
浴衣の出番も殆どなくて非常に残念であります。
来年は沢山着るぞ!
イエイ!

   
 
 
    
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