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12月8日 「ネバーランド」を観てきました。
 
「ネバーランド」

信じることの尊さを。

10月末に遅めの夏休みを取り、バリに行ってきました。
神秘の島と呼ばれるバリにおいても、観光の波が押し寄せていました。
怪しげな日本語で客引きもあり、ぼったくりもあり・・・。
しかし、しかし。
神々の島と呼ばれる通り、バリ・ヒンドゥーの神々の他にも、木にも石像にも、はては車にも(!これは怪しげなタクシードライバーが言っていたことですが)祈りを捧げる。日本でいうところの、八百万の神と言いましょうか。
現地の人は、色々なものに、場所に、「スピリットがある」という言い方をしていました。
お互いがカタコト英語で話しているので、ズレが生じていたらゴメンナサイ。
日本語で言えば、「精霊がそこかしこにいる」ということ。
それらを敬うために、布を巻いたり、花を供えたり。
精霊とともにある生活がまさに日常であることに、驚きを覚えたとともに敬虔な気持ちになりました。
信じるところに神々はいる。
私に見えないものが、彼らに見える。

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今回ご紹介する映画は「ネバーランド」

世界中の人々から今でも愛されつづける「ピーター・パン」の誕生のきっかけとなったドラマが描かれている。
1903年のロンドン。劇作家のジェームズ・バリは、ある日公園で未亡人のシルヴィアと彼女の4人の息子たちと出会う。幼い子供たちとの触れ合いを通して、バリは“ネバーランド”に住む大人にならない少年“ピーター・パン”の物語を生み出していくのだが、悲しい出来事が待ち受けていた。


お話の中で、こんなことがあった。
ピクニックに出かけたバリと4人の子供たちは凧揚げをする。
風が弱く、なかなかあがらない。
まだ小さい末っ子が「僕にもやらせて」と言うと、お兄ちゃんたちは「無理に決まってるよ!」と言う。
末っ子は走り出すけれど、凧はあがらない。
「やっぱりね!」とお兄ちゃんたちは言う。
バリは小さい彼に言うのだ
「信じるんだ。疑うんじゃない。凧は必ずあがる」
再び力強く走り出すと、凧は高く高くあがっていく。

凧があがった瞬間、通り抜ける風は私の迷っていた心までさらっていった。

無意識に、自分は「やっぱりね」という側にいたような気がする。
小さいから、風がないから、糸が長いから・・・
凧に限らず、いろんなことに“保険”をかけていたのかもしれないと。
ただ、真っ直ぐに信じること、それはとても難しいことだと気付かされる。

小さい頃、誰だって本気で信じていたことがあったはず。
空を飛べると信じて、ベットから飛び上がってみたり。
魔法が使えると信じて、呪文の練習をしたり。
あの頃はバカだった、と今では笑い話になるけれど、
あの時は、真剣に、本当に、信じていたのだ。

ネバーランドは信じる者しか見ることの出来ない世界。
なのに、映画を観ている大の大人が泣いてしまう。
小さい頃は見えていたであろう世界。
涙は、それぞれのネバーランドの記憶を辿るかのように流れていく。
かつて、心のどこかに存在していたもの。
錆付いていた感情が目覚めてくるようだ。
「そこは夢がかなう場所なんだ。信じれば、必ず行ける」

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  もうすぐクリスマスがやってくる。
サンタクロースは、もはや私のところにはやってこないけれど、 夢にあふれた一日だから、 信じることのしあわせを、胸にしっかりとしのばせて。

メリークリスマス!!
テレビ朝日横の毛利庭園も
クリスマスイルミネーション。
   
   
 
    
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