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Vol.75  「おかあさん」  (2004/11/16)

先日、「全国童謡歌唱コンクール」グランプリ大会の司会を担当した。
久しぶりに聴いた懐かしい童謡には、家族、特に母親を歌った内容が多かった。

笑うといずみのように溢れるかあさんのえくぼ。
ごはんだよォ…と呼ぶ、夕方のおかあさん。

童謡が大好きだった幼少時。
その頃の母に、謝りたいことがある。

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母が妹を産んだのは、私が2歳の誕生日を迎える前だった。
当時、我が家は出産や父の入院の準備に忙殺されていて、
私は父方の実家に預けられた。
福岡から、瀬戸内海に浮かぶ小さな島へ。
女の子のいなかった伯母は、私をとてもかわいがってくれたらしい。
毎日必ず一番風呂に入れてもらい、三日に一度は前髪を切り揃えてもらう。
突然の訪問者によるあからさまな風向きの変化に、1歳年上の従兄はへそを曲げてしまった。
無理もなかったと思う。

数週間後。
産後間もない母が無理をして迎えに来てくれた時、帰り際のプラットホームで私は号泣した。
手を振る伯母に向かって「おかあさーん!」と泣きじゃくり、
電車内でもずっと「おかあさんのところに帰る!」と訴え続けたという。
手に抱くわが子が、自分ではなく、伯母を「おかあさん」と呼ぶ。
まるで自分が引き離したかのように。
泣きたいのは、母の方だったと思う。

タクシーから降りて、私は一人でたたたたっと走り出したそうだ。
我が家の場所も、部屋で待っていた父のことも、
母方の叔母の名前まできちんと覚えていたという。

「おとうさん、ただいま」
「鈴子おばちゃん、ただいま」
ただ、母だけには「おかあさん」と呼ばなかったらしい。

おかあさん、寂しかったよ。
どうして知らない場所に連れて行ったの。
たぶん、忘れてはいなかったと思う。
無言の抵抗だったのだろうか。

その日以来、母は妹を叔母たちに任せて、
私をデパートや公園に毎日連れて行ったそうだ。
おもちゃを買い与え、手をつないで散歩をして、一日中私に話しかけたという。
そして、1ヶ月後。
やっと私は、母を「おかあさん」と呼んだらしい。

この話を聞いたのは、随分と大人になってからだ。
「なんて頑固な子なの!て思ったわ」と、母は笑った。
これは、小さな反抗だったのだろうか。
それとも、母の存在そのものを否定してしまったのだろうか。
今となっては思い出すことは出来ない。
 
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コンクールの舞台上では、子どもたちが「おかあさん」「おかあさん」と歌っている。
あの時、母はどんな気持ちだったのだろう。
そんなことを思い出して、少しだけ涙ぐんでしまった。
   
 
 
    
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