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Vol.62  「柳に春風」  (2004/03/07)

さっきからずっと、母は食卓でスーパーのチラシを見つめている。

「10円安くても、チラシを見比べる労力の方がかえってコストかかってない?
その割に、ケーキも和菓子もどんどん買うよね」
「…部屋の掃除と、買い物、どっちがいい?」

憎まれ口は即座に切り返された。
帰省中の私は、さすがにどちらも嫌だとは言えない。

手渡された買い物メモは、かつての特売広告を小さく切ったもの。
山芋、キャベツ、豚バラ、天かす。
お昼ごはんはお好み焼きだ。

「お母さんのサンダル借りるね」

親水公園の水辺には柳が揺れていた。
かすかな風に、ゆらあり、ゆらあり。
枝はしなり、けれども、決して折れない。

空には雲が、ぽわんと浮かんでいる。
すずめが、ちゅん、ちゅん、ちちちちち、と鳴いている。
こんなちょっとのことに、私の感情も揺れる。

スーパーでは、買い物メモの順にきちんと品物が現れた。
母の記憶の配置通りに、すいすいとカートを滑らせる。

こんもりと積み上げられたアップルグリーンの春キャベツ。
レジ横で特売になっていた、過ぎし日のひなあられ。

帰り道、柳はやっぱり揺れていた。

「お母さん、もう春キャベツが売ってたよ」

ソースの焦げた匂いがベランダ越しに流れた午後。
遅く起きて、買い物に行って、食卓を囲んで。
こんなちょっとのことに、私の感情は揺れる。

「お好み焼き、冷凍して持って帰る?」

柳を揺らした春風は、きっと東京でも吹いている。
日々、揺れに揺れ、それでも、決して折れない強さを持とう。
   
 
 
    
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