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Vol.51 「ぼくにげちゃうよ」 (2003/11/10) |
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小さい頃から絵本が好きで、今でも開いては読む。
先日、書店で懐かしい絵本を見つけた。
家を出て、どこかに行きたくなった子うさぎの話。
「ぼく、にげちゃうよ」
「おまえがにげたら、かあさんはおいかけますよ。だって、おまえは、
とってもかわいいわたしのぼうやだもの」
「かあさんがおいかけてきたら、ぼくは、小川の魚になって、およいで
いっちゃうよ」
子うさぎは、小川の魚になって、クロッカスになって、ヨットになって
逃げて行く。
すると母さんうさぎは、漁師になって、植木屋さんになって、風になって
追いかける。
最後に子うさぎは人間の子どもになった。
「おまえが人間の子どもになって、おうちににげこんだら、わたしは、
おかあさんになって、その子をつかまえてだきしめますよ」
「ふうん。だったら、うちにいて、かあさんの子どもでいるのとおんなじだね」
当時は、親子の会話の追いかけっこにわくわくしていた。
でも今は少し違う。
子うさぎは逃げることで、愛されていることを確認したい。
そして最後には、安心できる場所に戻りたい。
想像の中でどんなに逃げても、母さんうさぎは納得させる答えで追いかける。
それぞれの愛情を、子は確認するために、母は証明するために。
「さあ、ぼうや。にんじんをおあがり」
そういえば。
毎週金曜日の朝日新聞に掲載されている「あのね 子どものつぶやき」
というコーナーに、こんな投稿があった。
「ママ、早くぼくのこと抱っこしないと、すぐにおとなになっちゃうよ」
4歳の男の子は「抱っこして」と言わず、「抱っこしたくないの?」と
母に問う。
ぼくをどこまで追いかけてきてくれるの。
ぼくをどれぐらい愛してくれているの。
大きくなったら、一人で歩かなければいけない。
そのことを、子どもはどこかで察している。
それなら、母さんうさぎはどこまで子うさぎを追いかけるのだろう。
子どもに自我が芽生えたら、遠くで見つめることも時として必要という。
親の立場でこの話を読み解くと、「子離れ」というもう一つのテーマが
見えてくる。
それは、まだ見ぬ未来のテーマでもある。
私がいつか、母になった時の。
でも、読み聞かせた時に「お母さん、ストーカーだ」とは言って欲しく
ないなあ…。
(出典『ぼくにげちゃうよ』ほるぷ出版 マーガレット=ブラウン・作
/岩田みみ・訳/クレメント=ハード・絵) |
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