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Vol.56 「テレビ」(2007/10/29)

高校時代は、“テレビ禁止”の寮で過ごしました。
大学に進んでも、しばらくはテレビなしの生活。

一番古いテレビの記憶は、幼稚園の頃。
「テレビの中にテレビがあって、またその中にテレビが…」なんてことを考えていました。
頭の中で、マトリョーシカのように、だんだんと小さくなっていく画面。
豆粒ほどの大きさの。これが、テレビの種?

種や、芯。本質。
遠い記憶は、今につながっている気がしました。

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入社してすぐに、先輩から言われた言葉。

「とにかく、テレビを見なさい」
 
ジャンルに囚われず、様々な情報に触れなければならない。
帰宅して、まずはテレビの電源を入れる。
買ったばかりの液晶テレビが、ぴかっと光って色を湛える。

7年後。今に至る。
帰宅して、やはりテレビの電源を入れる。
だが、最初、音はつけない。
 
テレビ局には、各所にテレビが5〜6台ずつ設置されている。
2、4、6、8、10、12ch…。
ずらりと並んだモニターに、同時刻に放映されている番組が目に入る。
横並びでニュースが始まると、同時進行で各局をチェック。
それぞれのトップニュースは何か?映像は、どの局が一番鮮明に撮れているか、など。



地上波だけでなく、BS放送、CNNも


視聴は、分析。もちろん、仕事の一環として。
視聴は、娯楽。帰宅後は、そうあって然るべきなのだが…。
 
例えば、自宅で情報番組を見ていた時のこと。
一世を風靡した人気スターへのコメントを求められた、あるアナウンサーの咄嗟の一言。
 
「ごめんなさい!私、流行に乗り損ねちゃって…」

そこで「タイプではない」「知らない」といったニュアンスを微塵も出さずに切り返す。
「さすが…」 
思わず息を呑む。実は以前、自分も全く同じ状況で感想を求められたことがあった。
だが、間があった挙句、口をついた言葉は―「メガネが素敵ですねぇ」
メガネ「が」???
猛省だった。
 
コメントの間合い、内容。
自分だったら、どう切り返す?
どんな番組でも、まず目に入るのは司会者やアナウンサーたち。
リモコンを押すや、咄嗟に分析に入る自分に、ふと我に返る。
一種の職業病だろうか。


「ただいま」

まずは、リモコンを手にとって、無言の液晶にご挨拶。
メイクを落として、部屋着に着替えて。
そこでようやく、音量を上げていく。
気持ちの切り替えは、少しずつ、少しずつ。
大げさかもしれないが、私の小さな儀式だ。



(「日刊ゲンダイ 週末版」10月29日発刊)
   
 
 
    
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