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 「テレビの話」  (2011/07/28)

 

一番好きだった頃は、いつですか?

好きな気持ちに変わりはない。もちろん、冷めたわけでもない。
でも―。
時間が経ったり、立場が変わったりすれば、状況は変化する。
手放しに、「好き」なだけではつとまらない。
恋人でも配偶者でもなく、テレビの話だ。

一番好きだった。
それは同時に、「責任」や「自覚」とは無縁の頃のことだ。


1995年。
高校3年間を過ごした寮では、テレビが見られなかった。
お互いを「様づけ」で呼び合い、門限は夜7時。
部屋にはクーラーも扇風機もなく、夏場は常に汗だくだった。
来客用のロビーだけには、テレビが置かれていた。
もちろん、自由に見ることは出来ない。
手編みのレースカバーがかけられた、堂々たるたたずまい。
消灯後、寮監の先生のいびきが聞こえてきたら、
一人、また一人と、ロビーに集まってくる。
金曜日の深夜。
録画した「ミュージックステーション」の、数時間遅れの上映会。
切れ切れのボリュームでも、スタジオの歓声は十分に届いた。
SMAP、Mr.Children、スピッツ―。
かじりつくように見るとは、このことだった。
皆のお気に入りのアーティストが共演した回は、
出演の順番や曲目まで鮮明に覚えている。
擦り切れたVHSテープを、卒業するまで何度も再生した。


2011年。
7月24日の正午をもって、
東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島県を除く44都道府県が、
地上デジタル放送へ完全移行した。
「サンデー・フロントライン」の放送後、スタッフ全員でその瞬間を見守る。

テレビが、新たな一歩を踏み出す。
そう謳われる一方で、メディアの環境は刻々と変わりゆく。
新聞、雑誌、インターネット。
「テレビ離れ」という声も聞こえてくる。その足取りは、「ふらついている」とも。
それでも―。

テレビを好きでいてくれますか?

一番でも、二番でもない。
必要としてもらえるように、届けたい。



(「サンフロ・ジャーナル」7月28日配信)

   
 
 
    
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