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  「レモンの飴」 (2011/06/30)

 

小さくたたんだエコバッグが、デッキの上に丁寧に広げられていく。

「どちらまでですか」

60代ぐらいだろうか。
べっ甲の髪留めをした小柄な女性に、ふいに声をかけられる。

「私は盛岡までだけど、あなたは?」
「その、ひと駅先です」

まだ読み終わらない新聞を二つ折りにして、その隣に腰を下ろす。

6月25日(土)
6時40分東京発 はやて115号

朝早いから座れるという目論みは見事に外れ、3時間30分の、立ち乗りの旅。
むろん、旅ではなかった。
十年前から自然エネルギーを導入している岩手県葛巻町を取材する予定で、
役場の担当者とは、午前中に約束をしている。

1号車、2号車、3号車―。
全席指定の車内には、通路にまで人が溢れていた。
ボランティア団体と思わしき若者たち。
膨らんだリュックサックから真新しいヘルメットがのぞく。
ひとり分のスペースを求めて辿り着いた先頭車両のデッキに、
彼女が座っていた。

「飴、召し上がる?」

ペットボトルやハンドタオルが、ボストンバッグから手品のように出てくる。
東京、上野、大宮。
三角定規の姿勢で見上げた車窓は、届かない場所で空を切り取っている。

彼女の実家は、津波で流された。
ようやく仮設住宅への入居が決まった弟に会いに、
盛岡まで日帰りで向かうという。

「長旅になるから、栄養つけなきゃだめよ」

お礼を言って頬張ると、砂糖がまぶしてあるレモンの飴だった。
目を閉じたまま、膝を大きく抱え込む。腰の痛みが少し和らいだ。

車内アナウンスが、遠くで何かを告げている。

「次は仙台?」
「そうですね。盛岡までは、あと2時間ぐらい…」

あと2時間。
口の中に、まだ残る甘み。
彼女は前を向いたまま、静かに言った。

「これぐらい、なんてことはないわよね」

自分に言い聞かせるような、会いに行く弟に語るような、小さな声だった。
車窓からは、鉛筆のように細い陽がこぼれている。



(「サンフロ・ジャーナル」6月30日配信)

   
 
 
    
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