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Vol.16 3月30日 『アイデン&ティティ』


「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」

本当にそうだろうか。
世の中、上手く立ち回らなければならないのか?有名になって売れればいいのか?
もしも、自分のやりたいことと違っていたら…。

 1992年に刊行されたみうらじゅんの同名コミックを田口トモロヲが監督し、脚本は宮藤官九郎が手掛けた。全篇に亘って、ボブ・ディランの数々の名曲の歌詞が効果的に登場している。
 ある時代のある年、テレビのオーディション番組がきっかけとなり日本中に一大バンドブームが巻き起こっていた。ロックバンド「SPEED WAY」のメンバーは、ギターの中島(峯田和伸)、ボーカルのジョニー(中村獅童)、ベースのトシ(大森南朋)、ドラムの豆蔵(マギー)の4人。メジャーデビューを果たしたにもかかわらず、彼らの生活は何も変わっていなかった。仲の良さも相変わらずだったが、それぞれが「売れる歌」と「本当に歌いたい歌」の狭間で苦悩し始めていた。
 
「売れ線」という俗語がある。商品として好評を得て、ヒットが見込まれる系統のことだ。増大する売上げに生活は潤い、精神的な余裕は創作意欲を刺激し、延いてはさらなるヒット作へとつながる。結果として大勢に受け入れられるから売れるわけで、そのための戦略を立てることは真っ当であり、大切なことだ。
ただ、自分の表現したいこととの方向性が違う場合は…。

でも、世間が求めているんだ。
世間って誰だ?それによって何が得られる?
お金だ!地位だ!
一体、誰が作品を創っているんだ?
勘違いするな。自分だけだと思うな。たくさんの人たちによって、作品は生まれる。

商業ラインに乗っている以上、様々な思惑で表現の形は変わる。大多数の共通認識や、効率を重視した分析を経て、自分ではなく、もっと大きな、でも実態は見えないものの意見として表現される。本当はそう思っていなくても、疑問を抱いていても、いとも簡単に「NO」は「YES」に変わる。
 
かつて私が、就職活動をしていた頃。
面接で「座右の銘は?」と聞かれると、「素直な気持ちで素直に話せば、誰の心にも素直に響く」と答えていた。素直に全てを表現することが、自分の全て。周りは皆、耳をすまして聞いてくれる。当時はそう信じてやまなかった。
でも、今は違う。誤解されたり曲解されたり。そんな現実に戸惑い、気持ちを閉ざすこともあった。相手を責めるでもなく、ただ、黙る。でも、それでいいだなんて思ってはいなかった。

どうすれば、届くだろう。

気が付いたのは最近のことだ。
スタジオで、会社のスタッフルームで。
この場所で求められていることは何だろう。底にある気持ちに時としてフタをして、でも、決して閉じ込めたままにしないで。受け止めてもらうにはどう伝えたらいいのか、そう考えながら。
だからこそ、真っ直ぐな歌にはっとする。「自分を信じて」とか、「強く生きよう」とか、昔は「何を当たり前のことを」と思っていた。でも、そうでない現実を自分なりに経験し、ささやかながらも頭を打ってきた。伝わらないことなんてたくさんある。でも、伝えたいんだ、信じたいんだ。そう叫べる強さに、言葉を失う。

「君は、何が出来るの?」

新人の頃、ある人に言われたことがある。

「ただ、一生懸命やることしか出来ません」

臆することなくそう答えた。周りの皆は笑っていた。
 本当の気持ちをストレートに言ってしまった自分。歯の浮くようなことを堂々と言えてしまった自分。別の言い方で切り返した方が、場が盛り上がったかもしれない。
けれど…。

「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」

 うまくいくかどうかは分からない。でも、何がやりたいのかを見失いたくはない。色々な価値観の中で生きていること、決して自分だけで生きているわけではないことを、今になって思い知る。
芸術家は、非現実的だ。それでも、現実の生活と折り合いをつけながら、いつまでも自由に生きようとしている。そんな生き方に、私はいつだって胸を打たれる。

「ひゃあ!おはようございます」
「やじうまプラス」のオンエア直後に、松井さんに撮って頂きました。
手にしているのは、「8じの占い」の原稿です。
 
■作品データ/『 アイデン&ティティ』
監督:田口トモロヲ
脚本:宮藤官九郎
出演:峯田和伸、麻生久美子、中村獅堂、大森南朋、マギー
配給:東北新社/2003年/日本/118分
『アイデン&ティティ』公式HP:
http://www.iden-tity.com/

※吉祥寺バウスシアター他にて公開中
   
 
 
    
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