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Vol.15 1月30日 『涙女』


涙は女の○○である。

愛情?
主張?
武器?

『涙女』と書かれたパンフレットを前に、しばし考える。

『北風と太陽』というイソップ物語がある。通りがかりの旅人のコートを脱がそうと、北風と太陽が力自慢をする話だ。どんなに北風が強く吹き付けても叶わなかったのに、太陽の暖かな日差しに、思わず旅人はコートを脱ぐ。
心の薄着を許された時、私は涙が出る。
こらえ切れないのは苦しい時や悔しい時よりも、人の温かさに触れた時だ。

物議を醸した、こんな発言もあった。
2002年1月。アフガニスタン復興支援国際会議へのNGO参加問題をめぐり、当時外相だった田中真紀子氏が涙ながらに正当性を訴えたことを受けて、小泉首相はこう言った。
「涙は女の最大の武器だからね」

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『涙女』

涙は「流れる」ものだと思っていた。
しかし、時として故意に「流す」場合もある。

葬儀の席で故人を偲び、涙を流すことを職とする「哭き女」。列席者の悲しみを一手に引き受けて泣く、いわば涙の代理人だ。
この職業は古代エジプトに存在したとされ、中国、台湾を始めとするアジア、ヨーロッパ、アフリカと、現在も世界各地に形を変えて根付いている。

北京に不法滞在しているグイは、返すあてのない夫の借金のためにした嘘泣きをきっかけに、故郷に戻って「哭き女」としての生活を送ることになる。
投獄されている夫と、莫大な借金。
泣き方の優劣でギャランティが異なり、それが生計を左右するという現実。
流れる涙と同様に、流す涙にも理由があった。

グイにとって、涙は女のビジネスだ。
泣けば泣くほどお金は手に入る。
生きるための涙に潜んだ、したたかさと逞しさ。
ほんの少しの可笑しさと、言いようのない悲しさ。

極彩色の衣装を纏い、踊り歌う哭き女。
はらはらと頬を伝う涙に、私は分からなくなってくる。
搾り出しているのか、それとも、込み上げてくるのか。
枯れない涙腺。ひたひたと忍び寄る孤独。
その涙は、誰のものだろう。

人間の泣き声は、決して鳴き声にはならない。

 

■作品データ/『涙女』
監督・脚本:リュウ・ビンジェン
脚本:ダン・イエ
出演:リァオ・チン、ウェイ・シンクン
配給:ミラクルヴォイス/2002年/カナダ・フランス・韓国/90分
公式HP:http://www.miraclevoice.co.jp/namida/

※2004年新春よりシブヤ・シネマ・ソサエティにてロードショー

この作品、あまりにも色濃く打ち出された民俗色により中国当局の撮影許可は下りず、韓国の資金提供を受けて製作されたといういわくつき。カンヌ国際映画祭には正式出品され、既存の中国映画のイメージを払拭する異色の作品として、観客の支持を受けたそうです。
   
 
 
    
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