「やはり、こどなが、一緒になって…」
しまった。
噛んでしまった。
「子どもと大人が、一緒になって…」
そう言いたかったのに、文言どうしが一緒になってしまった。
落ち着き払って、番組進行を続けようとしたものの―。
「こどな!?」
「今、豪快に噛みましたねぇ」
スタジオにいる全員から、突っ込みが入った。
『ニュースの深層』の、この日のテーマは「大人がいない社会」。
言葉の単純化などから窺える社会の幼児化について、
文筆家の平川克美さんと、コラムニストの小田嶋隆さんに語って頂いた。
大人げない?
子どもじみている?
数々の事例を前に、「大人」と「子ども」の吹き出しが、
みるみるスタジオで膨んでいく。
そもそも、大人って何?
子どもは、いつから大人になる?
ぱちんと弾けた吹き出しは、綿毛の速さで着地点を求める。
大人が「子どもじみている」と情けなく、
子どもには「子どもらしさ」が求められる。
大人による「大人の対応」はスマートだが、
子どもの「大人びた」振る舞いは、そうはいかない。
大人は、大人らしく。
子どもは、子どもらしく。
それでも、大人と子どもは、脱水の終わらない洗濯機のように回り続ける。
「年相応」という柔軟剤を注いでも、槽内はねじれてしまう。
数日後。
仙台のクリスマスを描いたドキュメンタリー映画を観た。
監督は、22歳までサンタクロースを信じていて、
枕元には、毎年プレゼントが置かれていたという。
「なんで、20歳過ぎるまで、あんなことしたん?」
久しぶりの帰省で、何の気なしに母に訊ねる。
少し間があり、どこか照れたような言葉が返ってくる。
「哀れだからじゃないの」
監督の友人の娘。
クリスマスの朝、欲しかったプレゼントを、ぎゅうっと抱きしめる。
「サンタさんからもらった!」
「良かったねぇ」と、若い母。
「これ、お母さんが買った?」
軽やかな足取りで、襖の奥に消えていく。
映画のタイトルは、『サンタクロースをつかまえて』。
夜と朝、子どもと大人を、行ったり来たり。
鈴が鳴り、何かが届く、この日だけは―。
「やはり、こどなが、一緒になって…」
寒くて、口が回らなかった?
着地点を求めていた吹き出しは、雪に変わって静かに積もる。
こども。
おとな。
こどな。
…
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