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「ノマドワーカー・オフィスワーカー」(2012/7/5)

とある、平日の午後。
赤坂のスターバックスは、相変わらず混んでいる。
ソファで眠る男性。
書類の上のアイスラテが、円く滲む。
ノートパソコンを広げる女性。
奏でるように、文字を打つ。

いつもながらの日常。
この中に、組織に属さない人たちはどれぐらいいるのだろう。

ノマドワーカーという働き方が、にわかに注目されている。
本来、ノマドとは、遊牧民を意味する言葉だ。
雑駁に言えば、会社組織に所属せず、
カフェなどを転々としながら仕事をするスタイルを指すという。

アナウンサーは、担当番組のスケジュールに合わせてシフトが組まれる。
打合せがあり、取材があり、生放送(収録)があり。
担当番組以外にも、定時ニュース、ナレーション、イベントの司会など。
スタジオや会場を移動する点においては、遊牧民かもしれない。

打合せの前に寄る、いつもの場所。
携帯プレイヤーで音楽を聴きながら、フラペチーノを片手に新聞を広げる。
仕事場所が遍在するとは言え、
我々は、組織に所属する会社員であることには変わりない。

ノマドを名乗る人たちに、直接お会いしたことはない。
そのスタイルからは、「自由」や「解放」が鮮やかに浮かぶ。
しがらみからの解放。
時間的拘束からの解放。
もちろん、それらに伴う自己責任も、直に突きつけられるわけだが…。

片や、組織に所属して12年。
会社員における「安定」は、金言のごとく語られる。
一方で、年数を重ねるほど、組織を背負う上での自覚と責務が求められ、
それゆえのしがらみも担っていく。

かつて、退職したばかりの父と、北新地のクラブに行ったことがある。
娘を連れて来た父に気を遣って、ママさんがカラオケを勧めてくれた。
ふいにマイクを向けられ、咄嗟に選んだのは、スピッツの曲。
「スピッツって何や?」と、別の席にいた若手のサラリーマン。
「犬よ」と、ママさん。
「犬!?俺らが、会社の犬やがな!」
ポップソングが鳴り響く中、最後には、お店の皆が手拍子してくれた。

あれから数年。
自由と不自由は、どこにだって存在する。

政治番組では、「政局よりも政策を」などと、声高に叫ばれる。
無論、政策こそ大切だ。
しかし、政局の論理は、永田町だけに当てはまるものではない。
会社でのあれこれが、政局と重なることもある。

さっきから、新聞記事の同じ場所を、行ったり来たり。
お気に入りの曲たちが、シャッフル機能で八の字を描く。
「次は、スピッツだったりして…」
淡い期待を抱くも、イヤホンから聴こえてきたのは別の歌だった。

さて、そろそろ移動しなければ。
フラペチーノは時として、甘すぎる。








(6月23日配信)   

   
 
    
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