前の記事を読む 次の記事を読む  

 
 
「○○世代」(2012/6/26)

土曜日の午後。
メイク室に、新人のユリちゃんが入ってきた。

「はじめまして」

白い肌に、ふわりとしたシフォンブラウスが良く似合う。

「若いよ〜。いくつやと思う?」

先輩のメイクさん(昭和生まれ)が、
寝ぐせのついた私(昭和生まれ)の頭にブラシをかけながら、ふふっと笑う。
テレビ朝日では、アナウンサーのメイクは自分で行い、
その間、髪のセットをメイクさんにお任せしている。
先輩の真横では、彼女が次に使うであろうドライヤーを抱えて、
ユリちゃんがぴたりと立っている。

「平成生まれだよね?」
「はい」
「というと…?」
「22歳です」
「!」

寝ぐせも逆立つ感嘆符。
鏡越しの会話は続く。

「ゆとり世代やんな!」(先輩)
「はい、そうです」
「円周率、3だった?」(私)
「はい」

学習指導要領に「ゆとり教育」が盛り込まれたのは、平成14年度だった。
台形の面積の求め方を習わず、円周率が3.14でない世代。
完全週休二日制で、小学生の頃から、皆が携帯電話を持っていたという。

「土曜日がお休みかぁ…。その日は何してたの?」
「クラブ活動です。私、バスケ部で、髪型もベリーショートでした」

綺麗に巻かれた栗色のロングヘアからは、想像もつかない。
我々が小学生の頃は、土曜日は午前授業だった。
夏場、放課後のお昼は決まってそうめんで、
それが少し憂鬱だったことを思い出す。
ただいまぁ。
冷たい麦茶と、付け合わせのハムときゅうりと卵焼き。
一方、大阪で生まれ育った先輩のメイクさんは、
「土曜日は、めっちゃ走って帰ってた」。

「だって、新喜劇に間に合わへんやん!」

授業が終わると、生徒たちは全力で家路につき、
お昼を食べながら吉本新喜劇を見た後、再び近所の公園に集まったそうだ。

土曜日の午後。
それぞれが、ランドセルを背負っていた頃の。
もしかしたら、ユリちゃんのランドセルの色は、
赤ではなかったかもしれない。

果たして、大きな鏡の前にいるのは、
午後の定時ニュースに向けてメイクしている自分だった。
チークブラシを持ったまま、身振り手振り。
話に夢中で、一向に進んでいない。
かたや、先輩はとっくにブローを終えて、
短く切り過ぎた前髪を、懸命にセットしてくれている。
ユリちゃんの手元も、
既にドライヤーからヘアスプレーに持ち代えられていた。

これだから自分は…。
慌ててまつ毛にマスカラを乗せながら、どこかで聞いた言葉を思い出す。
これだからゆとりは…。

言葉遣いがなっていない、未来への展望がない―。
若者は、いつの時代もそう言われてきた。
中でも、ゆとり世代と呼ばれる彼らは、
「若者論」の象徴的存在として、総括的に語られている気がする。

先月、金環日食が観察された日のニュースでは、
街中の若い人たちが、こぞって「ヤバい!」と連呼していた。
日食、ヤバい。このパスタ、ヤバい。
美しい、美味しい、といった語彙の簡略化への懸念はあるけれど、
何事も「ヤバい」で済ませる若者を、
「これだからゆとりは」と憂える年長者は、
根底でつながってはいないだろうか。
全てを「これだから…」で済ませることは、思考の簡略化にも通じる。

さて、そろそろスタジオに向かわなければ。
急いで席を立ち、メイクポーチを片づけていると、
鏡を隔てた向こう側から、ドライヤーの音が聞こえてきた。
そっと覗くと、窓際で、
ユリちゃんが美容師練習用のマネキンにブローしている。

西日に、焼けちゃうよ。
夕刻が迫っても、この季節はずいぶんと明るい。



ユリちゃん(中央)と、先輩(右)と一緒に。




(6月8日配信)   

   
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む