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 「原発事故から一年」(2012/3/26)

スタジオは、客席の婦人からの一言で、沈黙した。

「よろしければ、線量が高い地域に住んで頂けたらどうかと思います」

2012年3月11日。
東日本大震災の一年後に放送した『朝まで生テレビ!』では、
細野豪志原発担当・環境大臣と、
福島から避難されている住民の皆さんをお招きした。
原発の再稼働、除染、補償問題等が議論されている最中のことだった。

「お子さんや、お孫さんや、奥さんや…。
そうすれば、放射能の影響や、
これから何をすべきかが見えてくると思うのです」

沈黙を破ったのは、細野大臣だった。

「福島に行く度に、迷ってきました。私にも、家族の生活基盤がある。
今の議論では信じて頂けないかもしれませんが、
作業員の方々も、家族だと思っています」

その後、パネリストの皆さんが、個人の境遇や思いを述べる。
息子が、福島の原発で今も働いている人。
原子力研究を行う中で、基準値以下ではあるが、放射線を浴びた人。
その後、病気を患い、被曝との関連性を思い悩んだこと。

「来られるのと、住まわれるのでは、立場が違います…」

問いかけは、静かに続く。
福島に住んだことがない。親戚もいない。
原子力研究にも携わっていない。
共通項のない自分が、客席にマイクを向けていた。

果たして、後ろめたく思ってはいないか?
いや、そうではない、でも―。
逡巡する中で、議論は続いていく。

当事者にしか分からないことがある。
想像し、歩み寄り、足を運んでも、届かない。
「分かります」とは言えない。
では、何と言う?

議論を重ねるほど、言葉の数は増えていく。
熱を帯び、彷徨いながら、見えない出口に辿り着こうとしている。
もう、何かに頼って済む時代ではなくなった。

瓦礫の安全基準、除染地域、住める場所と、住めなくなる場所。
線引きは、いつか、誰かが行わなければならない。
「最終決断は、政治ですか?」
細野氏に問うと、「政治の責任です」と頷いた。

受け入れる。
受けて立つ。

その相手は、何か。
報道に沈黙は許されない。






(3月17日配信)   

   
 
    
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