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7月28日 プレイバック・報道ステーション企画その4
『木美帆16歳』

ラスト1周の強さ、その秘密


12月のオリンピック選考会で優勝した1500m。
美帆さんの最後の1周には目を見張るものがありました。

同走の吉井さんとラップタイムを比較してみましょう。

前半、2周目までは吉井さんが早いラップを刻みますが、1100mを過ぎた3周目からは、木さんのラップタイムが上回ってきます。
吉井さんは最後の一周でがくんとペースが落ちてしまいますが、木さんはそれほど落ち込みません。


 


美帆さんの特徴は、この最後の1周で崩れないという点にあります。

「ラスト1周はすばらしかったね」と吉井さんから声をかけられた美帆さん。

つらそうな吉井さんと、平然としていた美帆さんは対照的でした。

実は、ラスト一周、吉井さんの脚には乳酸がたまり、思うように動かせない状態になっていたのです。

ベテラン選手の鍛えられた大きなしっかりとした筋肉は、糖をたくさん使って、大きなパワーを出します。その結果として出てきた乳酸がもとで、脚が燃えるように痛くなり動かせなくなってくるのです。


 


レース直後に計った美帆さんの乳酸検査の結果は、驚くべきものでした。
「1500mが11.73」他の選手とくらべるとかなり低い数値です。


   


美帆さんの乳酸の数値はなぜ低いのでしょう。スケート連盟科学スタッフの前川剛輝さんに伺ってみました。

前川さん:「彼女はまだ15歳。中学生、子供なので、彼女の場合は成長段階にあるので、たくさんの糖を分解して、乳酸を作り出すという能力が備わっていないと考えられます。」

ラスト一周で大崩れしない理由は、美帆さんが成長段階なので、乳酸がそれほどでないことにあったのです。






強さの秘密 スケーティング技術


まだウェイトトレーニングをほとんどやっていない脚。
しかし、そこからこれだけのスピードが生み出せるのは、それ相応の技術があるからです。
日本のスケータとしてオリンピックで初めて金メダルを獲得した清水宏保さんに聞いてみました。

清水宏保さん:「ものすごくいい滑り。きれいなすべりですね。ブレードの使い方がうまいですね、無駄なく、後ろから先端から後ろまでちゃんと使えているっていうのは。」




清水宏保さんも絶賛する美帆さんのスケーティング技術。
木さん自身もかなり意識をしているようです。
木:「無駄な力とか、余分な力、使ったりしないように、」

無駄な力を使わない効率のよいスケーティング、
美帆さんが小学5、6年生の時に、そのスケーティングを伝授した人がいるのです。

島崎京子さんです。

島崎さんは、かつて、岡崎朋美さんとともに、日本の女子スプリント界をリードする存在でした。
決して太ももの筋肉は大きくありませんでしたが、氷を捉えてすべる技術は他の追随を許さぬものがありました。
島崎さんもまた、北海道の十勝っこです。




島崎:「とにかく、小学校卒業するまでは非常に吸収能力が非常に早かったので、基礎だけではなくて、出来るだけ伝えようとは思っていましたよね。一緒に滑ったりとかもたまにしたり。」

美帆さんにとって、島崎さんとの出会いは、大きなターニングポイントとなりました。

木:「小学校ちっちゃい頃ってもう体格よかったんで、常になんか力でいくってみたいな感じだったんですけれど、島崎さんは無駄な力は使うな的な感じだったんで、滑り変えるのはちょっとやっぱ苦労しましたけどね。でも小学生だったらまだ変えやすいんですけどね。」

清水宏保:「スケーティング技術は小学校のころにある程度出来上がってきてしまうですよ。「だからその、小学生のときに島崎さんに技術を教えてもらったというのはものすごく大きいことだと思います。」




そしてもうひとつ、美帆さんの急成長を支えたものがあります。




急成長の秘密 室内リンク


今から12年前、同じ十勝出身の清水宏保選手が、長野オリンピックで金メダルを獲得したことを契機に、帯広に屋内リンクを作ろうという機運が盛り上がり、ついに、去年の夏、完成したのです。



明治北海道十勝オーバル

8月31日オープニングセレモニー


清水宏保:「酷いときはマイナス30度ぐらいで滑っていたので、ものすごく素晴らしい環境ではい、はい、本当にすごいです。」

リンクの完成に合わせるように現れたのが、中学生の高木美帆さんでした。

清水選手の特別レッスンでも貪欲に知識を吸収していきます。

清水宏保:「40センチから50センチの間の刃の中でどこで蹴ったら進むかというのが人それぞれあるとおもうのね。どこでけるかは人それぞれ、バックスケーティングをして、その場所を探ってほしい。」


 


美帆さんは、先頭を切って、バックスケーティングに挑戦。
スケートの刃の、どこで蹴るかを意識しながら進みます。

清水宏保:「質問のある方いますか?」

勢いよく手を上げたのが、木美帆さんでした。

木:「清水選手は、ブレードの押すところはタイミング人それぞれっていっていましたが、清水選手はどの辺で押していますか?」

清水宏保:「ブレードの? ここでかえして、ここで押してる。」

清水さんの答えを木さんは理解できたのでしょうか。

木:「結構、自分は理解できました。わかりやすかったです。こういう風に意識すればいいんだなあ〜みたいな感じでした。」

蹴るポイントを考えながらすべることで、美帆さんの技術は急激に上達していきました。

そしてこの室内リンクの存在が、美帆さんの練習をより充実させたことは言うまでもありません。

北海道とかちの人々のスケートに対する情熱を受け継いで、美帆さんは最年少でバンクーバーに向かいます。



お姉さんと一緒に初詣でお願いしたこと、それが実現する日を、私たちは温かく見守って行きたいと思います。

木:「バンクーバーオリンピックを自分の中で、今までの中で最高のレースを出来る日にした
いです。」





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編集後記

バンクーバーオリンピック、スピードスケート会場となったオーバルで、毎日のようにミックスゾーンで木美帆さんのコメントを聞いていた。初めはもじもじしながら、一言二言しゃべるだけだったのに、どんどんしっかりと喋るようになり、スケート連盟の広報担当をうならせたほどだ。

オリンピックでの成績は振るわなかったけれど、ひとつの大会に向けて調整をしていく難しさを心の中に刻み込んだようだ。押し寄せるマスコミに対する心構えもしっかり作ったことだろう。

出場はかなわなかったけれど、メンバーに選ばれたチームパシュートで銀メダルを獲得できたことは、きっと彼女の心に火をつけたはずだ。チームパシュートの田畑真紀、小平奈緒、穂積雅子の3人が16歳を優しく支えてくれたことも大きかった。

穂積はレース直前に木にこう声をかけた「木、手袋貸して!」。
これまで一緒に練習をしてきた高木の思いを手袋に託して、ともに滑ろうという粋な計らいだった。こんなチームメイトの思いやりはちょっとない。脚を引っ張り合うスポーツ選手が多い中、こんな風に先輩にかわいがられるのも、木の性格の素直さゆえなのだろう。

世界中から集まったバンクーバーオリンピック・スピードスケート代表の中でも最年少だった木選手。4年後のソチではそのタイトルは通用しない。今度は実力勝負だ。


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