日本の女子体操は12年ぶりに北京オリンピックの団体出場権を獲得しました。
その原動力となったのが、小さなエース、15歳の鶴見虹子選手。
彗星のように現れ、世界に通用する逸材として注目を浴びています。
そして鶴見選手をここまで育て上げたのは陶暁敏コーチです。 |

鶴見虹子 (15歳) 陶暁敏コーチ
(32歳) |
朝日生命体操クラブをのぞいてみると、陶さんの元気な声が響き渡っています。
陶さんは中国のトップクラスメンバーの中に入って選手時代を過ごし、さらには指導者としての経験も中国で積んできただけに、体操を見る目は超一流です。 |

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夫の仕事の関係で日本にやってきた陶さんは8歳の鶴見虹子と出会って、体操を教えることを決意します。 |
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陶:「鶴見虹子と会ってから、あっこの子、体操選手としていいところもっているんだと思って、ただ、そのまま日本のコーチが指導すると育たない、私だったらいけると。」
宮嶋:「私だったらいけると思った?」
陶:「そうそうそう。正しい体操、正しい基本で、みんなと違う体操で世界で通用する体操を教えられると思った」
正しい基本で、質のよい体操。陶コーチの指導でめきめきと頭角を現し、鶴見選手は15歳で全日本選手権2連覇を達成。前途は洋々と見えました。 |


全日本選手権 2連覇達成 |
しかしオリンピックを8ヵ月後に控えた去年12月、左手の骨折が彼女を襲います。
「3ヶ月やらなかったら治るって言ってたんだけれど、試合だったからちょこまかやっていたらもう一回折れちゃって」
「ちょっとここ出ちゃって、曲がって、ここはれているんじゃなくて、骨が出ちゃって」 |
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ケガをしようとも、オリンピック代表になるためには、4月の二次選考会を経て、5月の最終選考会で上位にはいらなければなりません。
鶴見選手も陶コーチも死に物狂い。
しかし、内容は散々でした。 |
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陶:「怪我して1ヶ月ちょっとしか練習していないから、これからですね、この子は」
しかし、ケガの影響は陶コーチの予想をはるかに上回るものでした。
練習のブランクから、体力筋力ともに低下し、これまでの正しい基本が崩れてきたのです。 |
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あまりにやる気の見えない鶴見選手に思わず声が大きくなる陶コーチ。
陶:「何で最初からパワー出してやらないの!?それが不思議なの!!」
8年間ともに過ごしてきた時間の中で、最悪の時を迎えていました。
身体も心も不安定なまま、5月6日のオリンピック代表最終選考会を迎えます。 |
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5月6日 泣いても笑ってもこれが最後。北京五輪の代表を決めるための最終選考会が岡山で開かれました。
上位5番目までに入れば自動的にオリンピック代表選手として選ばれます。
2種目めの段違い平行棒で、普段は考えられないような着地ミス。
人目もはばからず号泣する鶴見選手に陶コーチが寄り添います。 |

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残るは平均台と床。
またしても、落下。 |
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1種目を残した段階で、鶴見選手は5位に後退してしまいます。
このまま最後のゆかでも失敗が続けば、北京は絶望的になります。
このとき、鶴見選手には大きな心の変化があったのです。
鶴見:「もうだめかと思ったんですけれど、陶先生がちゃんと守ってるから大丈夫だよって言ってくれたんです。」 |
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陶先生の笑顔に送られて最後のゆかの演技に臨みます。
ゆかは何とか無事切り抜けました。結果は・・・
鶴見選手は4位でオリンピックの切符を手に入れました。 |


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オリンピックまでの残された時間と競争するように、
二人は正しい基本の動きを取り戻そうとしています。 |

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叫ぶ陶コーチ。
陶:「全部腹、胸が締めがたりない!」
懸命に段違い平行棒で踏ん張り車輪をする鶴見選手。ゆったりと動く着地に成功!
陶:「いいよ、いいよ、質がよかったからね、許してあげる」
練習後、そっと鶴見選手に聞いてみました。
宮嶋:「陶先生怖いね、それでも陶先生がいいの?」
鶴見:「ほかの先生は厳しくないから、強くなれないから」
宮嶋:「陶先生じゃなきゃだめ?」
鶴見:「うん」 |

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陶:「日本人性格強いはずなのに、粘り強いなのに、粘りがないのよ。私のほうが日本人じゃないのに、日本のためにがんばっている。はっはっはっは・・・(笑)」 |
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【編集後記】
恐るべし中国パワー。
世界中どこへ行っても華僑の人たちがいることを見てもわかるとおり、人口が多い中国では海外に出ることがちっとも不思議ではないようです。
海外で一端になることがこれまた中国人コーチたちの憧れなのです。
そういえば、北京五輪に出場する米国女子バレーの監督は郎平さん。
往年のバレーボールファンならば、思い出されるでしょう。
「鉄のハンマー」と異名をもった中国ナンバーワンのスパイカーでした。
中国を出てイタリアでプロの監督としてキャリアを積み、この4年間は米国チームを指導してきました。
郎平は中国の元スーパースターだけあって、去年中国国内で米国チームが試合をしたときに、大声援を受けたそうです。米国チームは中国を第二のホームと思っているようです。
意地悪な記者たちは「中国の出身にもかかわらず、米国を指導している心境はどんなものなのか」と聞きます。
郎平はきっぱりと断言しました。
「とても誇りに思っています。なぜなら中国のバレーは優秀な技術を持っていると認められ、だからこそ米国に雇われてコーチなっているのです。中国人としても誇り高いことです。」
職業人としての誇り、中国人としての誇りがそこに見えました。 |
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