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8月4日
北京五輪をより楽しむために Part1
〜体操王子から企業家へ 李寧〜
李寧は、中国で初めて、広東省の佛山に民間のスポーツクラブを作ります。
宮嶋:
「広東省の佛山に李寧体操学校があります。ああ、子供たちがやっていますね。」
ここでは、優秀な子供たちは隣接する合宿所に入り、本格的なトレーニングが受けられるようになっています。
才能がありながら、金銭的に余裕のない家庭の子供のために、トレーニング環境を作ることは、成功したものの努めだというのです。
その考え方の奥にあるものは何なのか聞いてみました。
宮嶋:
「決して裕福な家庭ではなかった、少数民族であったことは影響していますか?」
李寧:
「関係がありますね。家庭環境が貧しかったので、私は早く独り立ちしました。昔、ほかの人から助けてもらったように、今度は、私が助けていきたいんです。」
今年の初夏、李寧は河南省、南陽に向かいました。
地域の経済格差が広まる一方の中国、河南省はその中でももっとも貧しい地域といわれています。
ここに3ヶ月の間、列車の中で白内障の手術が行える移動式の医療施設、健康快車が停車することになりました。李寧はこの活動のための資金を提供したのです。
健康快車
李寧を見つけた患者さんたちが、目に包帯をしたまま口々に叫びます。
「感謝しています、健康快車のみなさんに感謝してます」
この地域では、白内障になっても、貧しさのために手術や治療を受けられない人々が少なくありません。
検査から手術まで費用はすべて無料です。
一日30人の人が手術台に上ります。
患者:
「これがなければ、視力は回復しませんでしたよ。」
患者:
「李寧がいなければ、悪いままでしたよ。」
李寧は自ら病院にも足を運び、患者を見舞います。
李寧:
「明日の手術後、きっときれいに見えますよ。目が治れば、北京オリンピックが見られますよ」
患者:
「それが今一番の願いです。」
みんな:
「一緒にオリンピックを見よう!」
一緒にオリンピックを見ようという言葉が列車にこだまします。
北京オリンピック
順風満帆で来た李寧にとって、それは晴れ舞台になるはずでした。
しかし予想もしなかった試練が待ち構えていたのです。
これまで表彰式に臨む中国選手のウェアーはリーニンが一手に引き受けていました。しかし、今回、北京オリンピック組織委員会が行った入札で、最終的に契約を勝ち取ったのはドイツのアディダスでした。
契約金はおよそ52億円と噂されています。
李寧:
「今回中国代表ウェアの権利を取ることができず、涙を流した社員たちもいます。しかし、国際的にも成功しているアディダスが中国に入ることで、私たちも進歩するスピードが速くなると信じています。」
北京オリンピックで、リーニンは新たな契約をスペイン、アルゼンチン、スウェーデンと結ぶことができました。
北京オリンピックが与えた試練を逆手にとって、
一中国ブランドから国際的ブランドへと大変身を遂げることができるのでしょうか。
李寧:
「私たちがスポーツから得たものは、勝ち負けよりも、一つの目標に向かって、難関を乗り越え目標を達成していく達成感、そして次に新しい目標を立てていく充足感なのです。」
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【編集後記】
現役を引退した後、スポーツマンがどのような道を歩んでいくかが、最近キャリアトランジションという言葉で注目されるようになっています。
李寧さんはインタビューの中で「世界チャンピオンや、金メダリストは次のキャリアに入っていくときにどうしてもまた簡単にナンバーワンになれるだろうと勘違いしてしまいがちだ」と語り、さらに「だからこそ金メダリストが次のキャリアで成功することはとても難しく、そのために人一倍努力しなければいけない」という言葉を続けました。過去の栄光に胡坐をかいてはいけないということなのでしょう。
スポーツは結果を与えてくれますが、結果は単なる結果にすぎません。
事業を始め、35歳になったときに北京大学、さらには北京大学院に進みMBAを取得した李寧の姿に頭が下がります。
李寧が最後に語った言葉をもう一度、今スポーツをする全てに送りたいと思います。
「私たちがスポーツから得たものは、勝ち負けよりも、一つの目標に向かって、
難関を乗り越え目標を達成していく達成感、そして次に新しい目標を立てていく充足感なのです。」
ああ、スポーツって素敵だなって思います。
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