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10月28日 現代のヘレン・ケラー キャシー・ウーシェル


小学生の頃、ヘレン・ケラーの物語を読んで、いたく感動したことがあります。
当時はヘレンのことを三重苦の人と呼びました。今では大竹しのぶの舞台「奇跡の人」と言った方が有名なのでしょう。目が見えず、さらに耳が聞こえないために喋ることもできない、暗闇の世界にとじこもり、獣のように、自らの感情だけを他人にぶつける子供がヘレンでした。そんなヘレンを一から教育し、大学を卒業させ、世界中で講演をするまでに成長させたのが、アニー・サリバン先生でした。


キャシー・ウーシェルさん

実は私、シドニーで現代のヘレン・ケラーに会ったのです。アメリカのキャシー・ウーシェルさんがその人です。

キャシーは少女時代に徐々に視力が弱くなり、21歳で完全に光を失いました。
さらに、28歳で全く音が聞こえなくなったのです。
キャシーにインタビューをするチャンスを得たのですが、今もって、なぜこんなことになったか全く原因が分からないと言います。現代の医学でも解明できないことがたくさんあるのですね。


頭に埋め込まれた人口耳

ああ、そうそう、どうやってインタビューをしたかですって?

時代は素晴らしいものを発明してくれるのです。なんと、人工の耳の機能を持ったコンピューターが、頭の後ろに埋め込まれて、キャシーにマイクで話しかけると、ちゃんと音声が届く仕組みになっているのです。

半年ほど前、目の見えない人のために、頭に埋め込む人工眼のことが発表され、大変驚いたのですが、音声に関して言えば、すでに実用化されているのですね。ヘレン・ケラーも今の時代に生きていたら、見ること、聞くことがきっとできたかもしれません。本当にびっくりしました。


自転車のタンデム競技

キャシーはシドニーパラリンピックでは自転車のタンデムに出場しました。タンデム競技は二人で自転車に乗って、タイムを競うものです。ガイドとなる晴眼者が前に乗って、視力障害の選手が後ろに乗ります。キャシーはこの競技で4年前のアトランタ大会で銀メダルを獲得しているのです。

今回、アメリカチームは、ガイドにナショナルチームのオリンピック選手を起用しています。長野の時にユニフォームを五輪選手とパラリンピック選手で一緒にするかしないかで問題となった日本とはずいぶん対応が違いますね。

さて、キャシーにとって自転車競技はどのような意味を持っているのでしょうか。
彼女のコメントをご紹介しましょう。

「自転車に乗ると私は家の外に出ることができるのです。頬をなでる風。町の様々な香りを感じることもできます。私は生き返る感じがするのです。シドニーに入って自転車の競技場で練習していると、チームと私の間にものすごいエネルギーを感じるのです。それはとっても素晴らしい感じです。」


もくもくと準備をするキャシー

キャシーはこのパラリンピックの14ヶ月前に脳卒中を起こし、病院に運ばれています。その時医師から二度と歩けない、自転車に乗ることなど、もってのほかと言われたのです。しかし、キャシーはリハビリを続け、再び自転車に乗って、シドニーにその勇姿を現したのです。
確かにそう言われてみると、彼女の歩き方は少し脚を引きずっていて、まだその後遺症が見て取れます。しかし、キャシーははっきりと力強く断言するのです。

「私は何も見えず、何も聞こえない、当然いらいらし悲しくなってくるときがあります。確かにそのはけ口が自転車だったのかもしれません。人生にはがっかりしたり、悲しくなることがありますけれど、でもあきらめちゃいけないんです。なぜならあきらめたらそこで私の旅は終わってしまいます。目的地に向かう道は果てしなく続くのですから。」

光と音を失ってから、感覚がより鋭くなったと言うキャシー。
みんなの優しさがよりわかるようになったわとほほえみました。

 
スポーツ古今東西
 
モスクワ大会に始まり、ロス、ソウル、さらには冬の大会も経験し、シドニー大会がなんとオリンピック取材10回目になる宮嶋泰子アナウンサー。取材ではその選手の持っている「根」を掘り起こそうと歳甲斐もなく?大声を張り上げて走り回り、スポーツを縦から見たり横から見たりと大忙し!他とは一味違うスポーツ企画をこのコーナーでぜひお楽しみください。
 
 
    
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