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身長
156cm
出身地
富山県高岡市生まれ鎌倉市育ち
出身校
神奈川県立外語短期大学付属高等学校→
早稲田大学第一文学部フランス文学科
入社年月日
1977年4月1日
星座
山羊座

8月14日    青天の霹靂から多くを学ぶ 全柔連暴力根絶プロジェクトメンバーになって

今年の3月下旬、岡山県の美作市での取材中に携帯電話が鳴った。ちょうど休憩中だったこともあり電話に出ると、柔道の山下泰裕氏だった。
「実はお願いがあります・・・」ちょっとかすれたいつもの声だ。

折しも3月12日に暴力に関する第三者委員会からの報告が出たばかりの時期で、全柔連の対応に注目が集まっていた。
「暴力根絶のプロジェクトチームを作ろうと思っています。このメンバーになっていただけないでしょうか。」山下氏の依頼は思いがけないものだった。

これまで三十数年間オリンピック種目を中心に取材してきたとはいえ、柔道は私が専門とするものではない。モスクワオリンピック、ロサンゼルスオリンピックの頃に、山下氏の取材はよく行っていた。また、女子柔道が始まったばかりの頃もよく中継などにも関わり、取材をしていた。中村三兄弟の企画をニュースステーションでディレクターとして作ったこともある。しかし、全体的に見れば、柔道は私の中では取材比率は少ないほうだった。

なぜ?と疑問を抱く私に、山下氏の言葉が続いた。
「今回このプロジェクトは私から上村春樹会長に提案したものです。誰も周囲にいないことを見計らって会長室に行って、会長に直々に申し出ました。この暴力問題を何とかしたいという思いを伝え、上村会長も了承してくれました。」

上村氏が会長に就任してから、山下氏には全柔連の中で重要な役職を与えられることはなかった。上村会長が山下氏を煙たく思っているという噂はスポーツマスコミの間では当たり前のように流布していたことだ。そんな状況下で自ら会長室に赴いて、プロジェクトの立ち上げを申し出た山下氏の決意を思うと胸が熱くなった。

スポーツ界における暴力はいまさら始まったことではない。この三十数年間現場を歩いてきていろんな場面を見聞きしてきた。親にも言えず、竹でたたかれみみずばれになった太ももを隠すようにして風呂場に行ったバレーボール選手の話。高校時代の部活動で拳骨で殴られ今だに片目の視力が低下したままの女性。いじめかトレーニングかわからない指導に耐えかねて、合宿所の塀を乗り越えて逃げ出してきた選手の話。言葉の暴力を毎日受け、二十年たった今でも人を信じられず、精神的な不安さを抱えている女性。性的暴力をコーチから受けて、誰にも言えずリタイアした陸上選手。数えあげればきりがない。こうした話を聞くたびに、このスポーツ界の体質を何とか変えたいと思ってきた。

「会社の了解が取れれば、お手伝いできると思います。」そう答えた。

4月15日に第一回の会議が開かれた。メンバーには柔道に関連するすべてのジャンル、小学、中学、高校、大学、実業団、警察、視覚障がい者、講道館などの代表が集められた。さらに、全柔連法務担当理事、事務局担当、これに外部有識者メンバーとして大学の教授3名と私が入り、これらを副リーダーの全柔連広報担当理事の宇野氏とリーダーの山下氏がまとめていくという形がとられた。

会議は毎週月曜日18時から始まり、熱い議論が戦わされ、時計を見るとすでに3時間経過などということはざらだった。終わると23時を回っていたなどという時もあった、(議事録は全柔連のHPで公開されているので、興味のある方はどうぞ。)とにかく、毎週、毎週行われ、会社での仕事を終えた後で参加する私としても楽なことではなかったが、これまで現場で感じた視点から是非発言せねばならないという思いが常に勝っていたように思う。

私からは、暴力根絶とお題目をただ唱えるだけではなく、なぜ暴力がいけないのかを一人一人に認識してもらう必要性を訴えた。社会で暴力が禁止されているのだからスポーツ界でも暴力が禁止されるのは当たり前のことだ。それだけではなく、暴力を受けた者には生涯にわたって肉体的精神的な大きな傷が残ってしまい、それが、その人の人生をも狂わせてしまう可能性があることを知ってほしかったのだ。

暴力を振るわれた時のSOSシステムの構築、暴力を振るった者への処罰、さらには啓発ポスターの選定など、次々と方策が練られていった。

プロジェクトメンバーの女性は二人だけということもあり、私はセクハラ分科会も担当することとなった。現状把握のためのアンケート調査から行うことを決め、調査用紙の原案作り、調査方法など北田(旧姓持田)典子さんを中心に作業が行われた。7月の高校生の大会、金鷲旗の大会と、8月のインターハイでなんと1200近い女子高校生のサンプルを得ることが出来、これをもとにセクハラガイドラインを作ることとなった。

不思議なもので、意外な効果が出始めていた。アンケート調査はセクハラだけではなく暴力への抑止力も持っていたようだ。インターハイなどでこれまでだと罵声とげんこつが飛んでいたロビー付近に「暴力根絶プロジェクトアンケート実施中」と横断幕を掲げ、そこにテーブルを置いて女性スタッフが座る。さらには北田さんたちが会場をくまなく回ってアンケートの依頼を繰り返す。これだけのことで、大会の雰囲気が全く依然と違っていたというのだ。
「罵声も聞かれませんし、負けた選手が殴られているなんていう光景もありませんでした。いつもと空気が全く違ったんですよ。驚くほどの効果ですね。」と北田さんは可笑しそうに話してくれた。私も初めて知ったが、こうした大会で負けると、拳骨、びんたが指導者から飛んでくるのは当たり前の世界だったらしい。


会場を回っている北田さんが女性理事として全柔連に登用され、暴力セクハラ根絶チームにかかわっているという情報がすでに行き渡っていたこともあるだろう。暴力が露呈した時は、即、指導者をやめてもらうと罰則規定を作ったことも効いているだろう。会場で私自身も、暴力は絶対に行ってはいけないのだという新しい価値観が知られ始めているのを感じ取ることができた。それが隅々まで浸透するかどうかはこれからだ。アンケート調査はこの後、全国中学校大会でも行われる。

全国の柔道の道場に貼ってもらうポスターも出来上がった。
「柔道は人間教育 大人も子供も修行中」
なかなか素敵なポスターだ。

暴力やセクハラ、さらにその後起きた補助金の不正受給問題などコンプライアンスやガバナンスの問題が表ざたになった全柔連。その理事会や評議員会では年功序列や体育会的気質を最重要視する人が多く、下から上にものを言うことがタブー視されていたと聞く。こうした体質は何も柔道だけのものではない。ひやひやしながら全柔連の動向をうかがっている競技団体も少なくないはずだ。この際、柔道が日本のスポーツを変革させる先駆けとなってほしいと強く思う今日この頃だ。

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