それは、まさに青天の霹靂でした。
1月4日東京ドーム、IWGPヘビー級選手権「中邑真輔対高山善廣」。
激闘の末に、王者中邑真輔が防衛に成功し、
4万人を超える観客が激闘の余韻にひたる、その瞬間でした。
実況席から何かが動いたのが見えました。
大きな人影が中邑真輔に向かって動くのがわかりました。
中西学でした。
思わず、実況で、
「余韻に浸るまもなく、中西が中邑の前に立ちはだかりました!!」と叫びました。
次期IWGP挑戦者に中西学が名乗り出た瞬間でした。
タイミングといい、場所といい、全てにおいて、意表を突かれました。
まさに、晴天の霹靂でした。
この、中西学の中西学たる野生の暴発を受けて、
2月14日両国国技館、
中邑真輔対中西学のIWGPヘビー級選手権が組まれました。
私は、プロレスラー「中西学」を心から尊敬しています。
だからこそ、私はその凄さを伝えようと数々の形容を試みました。
霊長類最後のゴリラ
進化を忘れた類人猿
筋肉式武装ゴリラ
ゴリラの大運動会
京都のイエティ
ハプニングゴリラ
ヘラクレス原人
黒パンを履いたゴリラ
野人の日本代表
肉体同様、心の広い中西学は、私の形容の全てを赦してくれました。
私は、いつの日か、
IWGP王者中西学の誕生を実況したいと心から願っていました。
そして、2009年5月6日後楽園ホール。
苦節16年、中西学はIWGP王者に輝きました。
ただ、その日はテレビ朝日の収録ではありませんでした。
私の願いは叶いませんでした。
そして2月14日、両国国技館。
今度こそ、
IWGP王者中西学の誕生を実況できるチャンスが与えられたと思いました。
しかし、それは、まさに晴天の霹靂でした。
2010年1月5日、つまり、中西学のIWGP挑戦が決まった、その日に、
私はバンクーバー五輪に派遣されることを伝えられました。
期間は2月8から3月1日まで。
2月14日の両国大会には実況アナウンサーとして参加できないことになります。
もちろん、スポーツアナウンサーにとって五輪は夢の舞台です。
テレビ朝日を代表して五輪に派遣されることは非常に名誉なことであり、
責任も伴います。
私は夢の舞台を取るか、中西学を取るか、10秒だけ悩みました。
中西さん、バンクーバーからIWGP奪取を心から祈念しております。
バンクーバー五輪でも闘魂を胸に暴れてきます。
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