去年に引き続き、今年も私は高山さんに多くのことを教えて頂きました。
その一例をここに記します。
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ワールドプロレスリングの看板背負う吉野 |
G1ベストバウトに輝いた大阪での「高山善廣対佐々木健介」の試合後、私は高山さんにインタビューをした。
前回のコラムで触れたが、去年、私は高山さんに強烈な駄目出しをされている。
今年こそ、しっかりとしたインタビューをしようと強い決意で臨んだ。
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高山選手試合後インタビュー |
私は、むなぐらを掴まれ、壁に叩きつけられたあの悪夢を振り払うため、気合十分で質問を開始し、順調にインタビューは始まった。
いつもの高山節も炸裂し、徐々に私の中にも余裕が生まれてきたその時、私はまたしてもやってしまった。
私は、高山さんが普段は使用しない技で、その日の試合で繰り出した「ドラゴンスープレックス」について質問してみると、吉野「今日はドラゴンスープレックスを初めて繰り出しましたが?」
高山「前も使ったことあるよ。お前の勉強不足。オレは何だってやれるんだ!!」
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ドラゴンスープレックス |
その瞬間、私は去年の悪夢が頭をよぎり、心の中では「あーー。またやってしまった。」
と絶句しそうになっていた。
しかし、ここで絶句したら去年と同じだと思い、勇気を振り絞り、私は質問を続けた。
「すいません。勉強不足でした。」とすぐに謝罪し、何でもなかったかのような顔をして(本当はかなりのヤラカシタ気持ちで一杯なのだが)次の質問をしていた。
卑怯で姑息な自分にまたしても腹が立ち、悔しい気持ちで一杯になったが、なんとか質問を続けることに意識を集中させ、インタビューを乗り切った。
そして、インタビューを終えた高山さんが立ち上がり、目の前の控え室に戻ろうとした瞬間、想像を絶する衝撃的な光景が目に飛び込んできた。
高山さんは、手にしていた勝利賞の目録を、立ち上がった拍子に落とし、上半身をかがむようにして拾おうとしていた。
しかし、3秒ぐらいたっても目録を拾えない。
高山「あれ、・・」
明らかに高山さんの様子がおかしい。
私が目録を拾い、高山さんに手渡すと、高山さんは、目の前の控え室に入ろうと上半身を起こして歩こうとしていた。
しかし、控え室の扉を開くこともできず、歩くこともおぼつかない状況であった。
見かねた記者の人が扉を開けると、高山さんは控え室に倒れるように入っていった。
その時、高山さんの表情は普通ではなかった。
私は、大げさでも何でもなく、「本当にこの人は死んでしまうかもしれない」という想いに駆られた。
そして、その後、高山さんは救急車で病院に運ばれ、「脳血栓」と診断され、G1を欠場した。
佐々木健介との試合を終え、若手の肩を借りずに一人で引き上げてきた高山さん。
そこには、「弱みを見せないプロレスラーの誇り」があった。
そして、死線を彷徨うほどのダメージを受けながらも、未熟な私のインタビューに真摯に応えてくれた高山さん。
そこには、「どんな状況でもコメントを残すという、高山さんのプロレスラーとしての意地」があった。
それにひきかえ、怒られないことだけを考えてインタビューしていた自分。
そこにはアナウンサーとしてのプライドはなかった。
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高山さんとノーフィアー |
高山さん、早く元気になって新日本のリングに戻って来て下さい。
そして、私にもう一度、インタビューさせて下さい。
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高山さん、戻って来てください |
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