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8月11日   ワールドプロレスリング実況三銃士の闘魂コラム#11
〜2003年G1クライマックスにおける高山善廣と吉野真治〜


今回のテーマは「2003年・G1クライマックスにおける高山善廣と吉野真治」です。

 

去年のG1クライマックス、私は高山善廣さんに様々なことを教えられました。
忘れもしない2003年8月10日。
「2003年G1クライマックス」大会初日の神戸ワールド記念ホール。
「高山善廣対安田忠夫」
試合は安田の反則ギロチンチョークと魔界倶楽部の乱入などで、高山が失神させられ、レフリーストップで安田が勝利。高山、まさかの初戦黒星スタート。
試合後のインタビューで、安田忠夫の担当であった私は、急いでインタビュースペースに行くと、そこに安田忠夫の姿はなく、かわりに高山善廣さんがダメージを引きずりながら引き上げてきた。
高山さんの担当は辻アナウンサーであったのだが、辻さんの姿はそこにはなかった。

エベレスト・ジャーマンTシャツを着込み、
気分はすっかり高山善廣だー!
   

一瞬で、私は青ざめた。
「あ、まずい。」
「この状況は俺が高山さんにインタビューしないと。」

通常、試合後のインタビューはテレビ朝日のアナウンサーが代表質問することになっており、今回も、新聞・雑誌の記者が私のインタビューを待っている状況であった。
しかし、私は安田忠夫の担当であり、情けないことにプロレス界の帝王・高山善廣にインタビューすることなど、全く頭になく、何を聞けば良いのか見当もつかず、ただ、ひたすら動揺していた。

さらに、試合に敗れ、恐ろしい形相の高山善廣が私の目を、睨んでいる。
私の頭の中は真っ白になってしまった。

数秒の沈黙を破り、私は質問した。
吉野「あの魔界のやりかたをどう受け止めますか?」
高山「魔界なんて関係ねえ!!」
「オマエ、現場に来てんだから、もっとまともな質問しろ!!」

私は、むなぐらを掴まれながら、壁に叩き付けられてしまった。

そのまま高山さんは控室に行ってしまい、周りを取り囲んでいた記者の人達が私を凝視している。

呆然としている私とマスコミに向かって、スタッフから、高山さんが控室で呼んでいると告げられた。

とんでもない暴挙に出た吉野!なんとアナウンス部で部長席ジャック

私とマスコミで高山さんの控室に行くと、高山さんは椅子に座って我々を待っていた。
高山さんの前で片ひざをつきながら、私は意を決してインタビューを開始した。

吉野「高山さんには珍しく、まさかの失神KOでしたね。」
高山「失神KOなんて珍しくないんだよ!!」
「オマエ、勉強不足。新聞や雑誌の記者の人達に失礼だよ!!」
「出直して来い!!」

高山さんは、腕に巻いていたテーピングを剥がしながら、私の顔にぶつけた。

気まずい沈黙の中、記者の方々が質問を開始した。
私はきっと、泣きそうな顔をしてその後のやりとりを聞いていたのだと思う。
というのも、あまりのショックに、私はその時の記憶が空白になっている。
我に返ると、質問が終わり、マスコミが控室を出て行く頃合になっていた。
しかし、私は最大限の勇気を振り絞って控室に一人残った。

吉野「すいませんでした。アドバイスありがとうございました。」
高山「オマエ、本当にわかってるのか?」
吉野「すいません。頭の中が真っ白になってしまいました。」
高山」「オマエ、アナウンサーだろ。アナウンサーが台風中継で頭が真っ白になって、何も言えなくなって許されるのか?」
吉野「いえ、許されません。」
高山「頭の悪いプロレスラーの俺に、そんなこと言わせるなよ。」
吉野「はい。本当にすいませんでした。今後とも宜しくお願いします。」

私は緊張で震える足を必死に動かし、控室を後にした。
高山さんの言っている事はまさに正論。
私は、自分の不甲斐無さを恥じ、悔しくて、悔しくて、その日は眠れなかった。

あの日から、まもなく1年が経とうとしている。
G1クライマックスはアナウンサーをも育ててくれる。
今年のG1でも私は大いに悔しい思いをしたい。

もう、やりたい放題!お茶まで注がせ、ノーフィアーぶりを発揮
 
 
    
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