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7月30日 中越沖地震の被災地を取材して・・・

先日、新潟県中越沖地震で大きな被害を受けた柏崎の街を取材してきました。

地震発生直後の午前10時すぎ、私の携帯電話がなり、すぐに現地にむかってほしいという報道ステーションのデスクからの指示がありました。
大急ぎで支度を済ませ、家から最も近い高速道路のインターで取材クルーと待ち合わせました。
そして関越自動車道を一路北へ車を走らせました。
高速は新潟県の長岡までは通れることがわかっていましたが、その先の柏崎に向かう国道8号線が崩壊しているという情報が入り、長岡の一つ手前の小千谷インターで高速を下りて、そこから峠を越えるコースを選択しました。

高速を下りてすぐ、コンビニエンスストアで食料を確保しようとしましたが、すでに、おにぎりやサンドイッチなどの食料が全てなくなっていました。
まだ柏崎までは大分距離があるところなのですが、このあたりでも地域の方が食料を求めて店に殺到していたのです。
とり合えず、スナック菓子などお腹の足しになるものを買い、柏崎を目指しました。

途中、道路には亀裂が走っている所がいくつもありましたが、午後2時ごろ、無事、柏崎市内に入ることができました。
街に入ってまず目に飛び込んできたのは、非常に多くの倒壊した家屋と、あちらこちらで完全に倒れたブロック塀でした。
また停電のために、信号は市内のほとんどの場所で消えていました。
交差点などで二次災害にも注意しながら、さらに市の中心へと向かいました。

そして最も被害の激しかった市の中心部に到着し、取材していた時のことです。
午後3時半過ぎ、倒壊家屋の中を安否確認のために捜索していた自衛隊員にインタビューしていた最中でした。
下から強烈に突き上げるような揺れが襲ってきたのです。
無我夢中で、実況リポートをしましたが、後になって、これが震度6弱を記録した最大の余震だとわかりました。
私にとっても、これまで経験したことがないような恐怖感を覚える揺れでした。



余震の瞬間

市内のあちこちで信じられないような光景が続いていました。
大きなお寺は本堂がぺしゃんこになり、神社の鳥居は粉々に破壊され、道路はいたるところで巨大な波を打つようにねじまがっていました。





取材をしている私たちのすぐ近くで、瓦礫の中から救出される方もいましたが、残念ながら遺体での搬出になってしまう方も相次ぎました。

大きな傷跡を残した街の各所を取材し、この日は夜9時半から始まった報道ステーションの番組内で、あわせて3回、現場中継をしました。

今回の取材で特に印象に残ったのが、大変な時だからこそ助け合おうとする地域の皆さんの暖かさでした。

自ら被災しながらも、街の方のためにお店を開け続けたコンビニの店主。
テントを持ち寄って駐車場で共同生活をはじめた隣近所の方々。
取材しながら、皆さんの、お互いをいたわり合い、助け合う、人としての優しさに心を打たれました。

これまでも、新潟県中越地震、能登半島地震とそれぞれの被災地を歩いてきましたが、被災地でいつも「はっ」とさせられるのは、その苦難を助け合って乗り越えようとする地域の力、人と人のつながりの強さです。

私が暮らしている大都会・東京でも、いつ大地震があってもおかしくありません。
最後に私たちを災害から救うのは、普段からの地域の方たちとの何気ない交わりであり、地域の力なのかも知れません。

   
 
 
    
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