最近、台風などの災害の後に、
大量の流木が、港や湖の水面を多い尽くす光景を目にします。
この流木はいったいどこから来ているのか?
その源を探るのが、今回の取材のテーマでした。
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東京湾に流れ込む江戸川。
台風9号が、関東地方を通過した後、
この河口付近にも、ものすごい数の流木が流れ着いていました。
河口堰を管理する国土交通省の担当者によると、
近年、見たこともないような量だとのこと。
どこから、この流木は来ているのか?
私たちは、小型のモーターボートを借りて、江戸川上流域を目指しました。
途中、あちこちに流木の流れ着いた跡も見られました。
そして、茨城県に入ったところで、利根川との分岐点に差し掛かりました。
このあたりでは、川底も浅いので、
地元でうなぎ漁を営む男性の小型船に乗せていただきました。
そのご主人曰く、
「台風9号のあと、利根川上流から、ものすごい数の流木が流れてきた。
多くは、杉の木で、相当遠くから流れてきたようだ。
途中こすれて削られたのか、幹の皮がむけてつるつるになっていた。
半分は利根川下流に、そして半分は江戸川に流れて行った」
という貴重な証言を得ました。
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実際、この台風9号が関東地方を直撃したとき、
まさに利根川上流域の特に西部で記録的な豪雨を観測していました。
その中でも、群馬県西部に位置する南牧村では、
村のあちらこちらで土石流が発生し、道路が寸断され、
村が一時孤立状態に陥るほどの被害が出ていたのです。
私たちは、その群馬県南牧村に入りました。
村を流れる川では、川原のあちこちにまだ大きな流木が転がっていました。
橋にひっかかったままの巨大な流木も見られました。
さらに山間を目指します。
すると、驚くべき光景が目に飛び込んできました。
山が斜面ごと大きく崩れ、何十本もの杉が川に落ち込んでいまいした。
そして、そんな無残な姿をさらす状態の山が村のあちこちに見られるのです。
この山にいったい何が起きているのか。
私たちは、村の人の案内で、土石流が発生した山を目指しました。
山間の道はそれ自体が土石流の流れた場所となっていたようで、
道の両側にはおびただしい数の巨大な流木が残っていて、
手がつけられないほど無残に破壊されてしまった家も見られました。
そして、森の中に入り、道なき道を登り、土石流の源を目指しました。
このあたりの山はほとんどが人工的に植えられた杉林です。
杉林はうっそうとしていて、日の光があまり入らず、下草は小さいものばかり。
足元の地面は湿っていて、非常に崩れやすい状態でした。
私たちは足元に十分に注意しながら、少しずつゆっくりと斜面を登り、
ようやく土石流の源頭部にたどり着きました。
何本もの杉の木が無残にも山の斜面を大きくえぐりながら崩れ落ちていました。
恐怖感を抱きながらも、体を斜面にへばりつかせるようにして、
その周辺をじっくりと観察してみました。
よく見るとその杉の木は背が高いのですが、幹が細くひょろひょろとしています。
そして崩れ落ちたその地面の土は、
手で触っただけでもぼろぼろと崩れやすい、とてももろい状態になっています。
さらにその土の間から見えた杉の根は、非常に細く短く弱弱しいものでした。
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南牧村は、いまや、全国一の高齢化率の村となり、
過疎の象徴として知られています。
しかし、かつては林業の村として栄えていまいした。
戦後、荒廃した国土をよみがえらせるために全国的に始まった植林事業。
高度成長期に入ると、林業は全盛期を迎え、
国策として全国の山に大量の杉やヒノキなどの針葉樹が植えられました。
南牧村でも、それまであったブナなどの広葉樹をきり倒して、
人が入れるほとんどすべての山に杉などの針葉樹を植林したそうです。
林業が盛んだった当時は、杉はとても高く売れたそうです。
杉を、植林して育て伐採して売る。
その営みで財産を築いたかたも多かったそうで、
当時は、杉御殿、杉大臣という言葉も、村で聞かれたそうです。
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ところが、時代は変わりました。
外国から安い木材が輸入されるようになると、
国内の林業は急速に勢いを失いました。
南牧村でも、林業では食べていけなくなり、後継者はいなくなりました。
若い人は山を去っていってしまったそうです。
杉の木を育てるときには、
間伐といって、定期的に木を間引いてあげなくてはいけません。
そうしないと、集中しすぎた杉の木の枝が、
日光をさえぎり、地面に十分な光が届かなくなくなってしまいます。
すると、杉にも十分な栄養が行き渡らなくなって、
根も細く、幹も細い、弱弱しい杉しか育たなくなってしまうのです。
林業の担い手がいなくなってしまった南牧村でも、
まさにこの現象が起きているのです。
間伐されなくなった山には、ひ弱な杉しかなく、
大量の雨が降ると、斜面と一緒に簡単に崩れ落ちてしまうのです。
日本は、国土の7割が森林です。
そして何とその4割が杉などを植えた人工林。
さらにその内の6割から8割が、
間伐されずに荒れ放題になっていると言われています。
専門家は、その状態を“緑の砂漠”と呼びます。
この問題、過疎化の進んでいる村では、とても対処できません。
南牧村でも、今実際に山の手入れをしているのは、
かつて林業を営んでいた、平均で70歳を超えているお年寄りの方々数人で、
それもほぼボランティアです。
皆さん、自分たちの山が崩れて行ってしまうのを放っておけない、
という思いから活動されているそうです。
当然皆さんの体力にも限界があります。
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ひとたび災害が起きれば、
それは川を通じて下流域の私たちのところまで、被害を及ぼします。
山と都市は、川で一つにつながっています。
下流域の都市部に住む私たちが、この問題を他人事とせず、
上流域の村のこと、山のことを真剣に考えなくてはいけない…。
もう、そこまで来ている深刻な問題なのだと、今回の取材で痛感しました。
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