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5月10日 大変な火事に遭遇してしまいました

先日、取材中に高田馬場で大変な火事に遭遇してしまいました。
ディスカウントストアの1階から出火し、延々10時間以上も燃え続けニュースになったあの大火災です。

あの日、私は、高田馬場から2キロほどのところにある新宿の百人町の都営団地で、老人の孤独死問題を取材していました。
ロケも終盤に差し掛かり、この場所での取材も5日目になっていました。

夕方の4時を過ぎた時のことです。
団地内での取材が一区切りし、
「後は少し暗くなってからリポートを撮ろう。ちょっと休憩しようか…」、などと
スタッフと話しながらロケ車に戻ろうと歩いていたところでした。

突然、けたたましいサイレンを響かせながら、われわれの横を何台もの消防車が駆け抜けて行きました。
実は、この都営団地のすぐ裏には、新宿消防署がありますので、消防車が出動する光景は珍しいものではありません。

ただこのときは、消防車に乗っている隊員の表情が明らかにいつもと違いました。
とても緊迫しているのです。
さらに車列の中にははしご車の姿も見えました。

これは、ひょっとすると、大きな火事か大変な事故なのではないか?
直感的にそう思った私は、ディレクターにとにかく追いかけようと提案しました。
もし、小さなボヤで無駄足になってしまったとしても、どうせ時間が空いているのだから引き返せばいいだけです。
まだ迷いの見えたスタッフにはそう言い聞かせ、現場の気持ちをまとめました。
そして、もう姿が見えなくなってしまった消防車の行方を、遠くから聞こえてくるサイレンの音を頼りに追いかけ始めました。

方角的には、高田馬場のあたりからサイレンの音は聞こえているような気がしました。その方面に数分走ると、今度は上空をヘリコプターが旋回しているのが見えました。機体の模様からマスコミのヘリコプターではなく、消防の防災ヘリコプターであることもわかりました。
この時点で、なにか大規模な事故がおきていることを確信しました。

ロケ車が、山手線の高架をくぐって明治通りとの交差点の100メートルほど手前にさしかかった時です。
渋滞している車列の先におびただしい数の消防車の赤色灯がみえました。

そこからはもう取材者としての本能での行動でした。
機材を持って車を降り、現場に一目散に走りました。
人垣を掻き分けて目に飛び込んできたのは、ものすごい勢いで真っ黒な煙を上げている火災現場でした。

無我夢中で、とにかくその火災現場に突進しました。
現場ではまだ、消防の消化活動も始まっていませんし、規制線も張られていませんでした。また、私たちのほかには、どのマスコミの姿も見えませんでした。

もうもうと煙を上げる建物に手が届くような距離から、思いつく限りの実況リポートを撮り始めました。
建物から次々と噴出してくる黒煙の勢いは想像を超えていました。
建物の裏手は住宅街で、たちまち周りの民家も煙に包まれ、晴れ渡っていた空は黒煙に覆われ、視界も悪くなってきました。
リポートをしながら私自身も何度も咳き込んでしまうほどです。
この光景は、私がこれまで経験したどの火災現場よりも激しいものでした。



このときの時刻が大体午後4時半前後でした。
後30分弱で夕方のニュース、「スーパーjチャンネル」が始まります。
この状況を何とか、ニュースに間に合わせなければなりません。
私は、撮影の合間を縫って、テレビ朝日の社会部に電話を入れ、火災の状況や、すぐに中継の準備をしたほうが良いこと、素材を送るためのオートバイを手配してほしい旨などを伝えました。

そして午後5時過ぎから、スーパーjチャンネルに電話リポを4回。
中継スタッフが到着した6時過ぎからは、現場中継を2回行いました。
さらに夜の報道ステーションでも、トップニュースとして、リポートと中継を長尺にわたって行いました。

結局、この現場には、火災発生から夜11時過ぎまで計7時間ほど滞在しました。
ただその時間の割には、気持ちが高ぶっていたからか全く疲れはなく、あっという間の出来事に感じました。

現場取材では、瞬時の判断がその後の展開をわけます。
今振り返ってみると、ロケの合間にあの消防の車列を追わなければ、あの現場に肉薄することはありませんでした。

もし少しでも可能性があれば、その可能性にかけてみる。
そして、無駄になることを恐れず、即、行動に移す。
そんなことを改めて強く実感した今回の取材でした。


   
 
 
    
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