16 由比
由比の宿のあった場所には古い町並みが今も残り、本陣の跡には由比本陣公園や交流館、広重美術館があります。当時の佇まい、生活文化を体験できるようになっていました。
本陣跡の向かい側には、1651年(慶安4年)幕府転覆を計画した軍学者由井正雪の生家と伝えられている紺屋(染物屋)がありました。 そして由比の町は桜えびの町としても知られています。旧東海道沿いには、桜えびを売る店屋や専門料理店が建ち並んでいました。
更に旧東海道を西に向かうと、どんどん道は細くなり緩い上り坂になっていきます。道路両側に江戸時代の雰囲気を色濃く残しているのは寺尾の集落。 国の登録有形文化財「小池邸」がありました。
更に行くと「間の宿 倉澤」のところで道が二股になっていて、右が急な坂。ここが薩埵峠(さったとうげ)の入口です。そこからは対向車が来てもすれ違うことができないほど細い急勾配の道が続いています。このあたりは両側の斜面がみかん畑で、その間を縫って車でしばらくいくと、急に前が開けました。眼下に駿河湾が広がっています。 広重が描いた絵は、箱根峠・鈴鹿峠と並ぶ東海道三大難所の一つ薩埵峠から富士山の方向を描いたもの。左上の峠の急斜面にある道から旅人がおっかなびっくり身を乗り出して富士を見ている姿が小さく描かれています。
今、薩埵峠の展望台から望む絶景は、広重の視点とほとんど同じように見え、200年の時の流れが一気につながった感動がありました。
17 興津
薩埵峠を下りていくとすぐ、興津川にあたります。そこを越えると興津の市街地。川に架かる興津大橋の上から海の方向を向いて撮影したのが右上の写真。ここも広重の描いた構図と良く似た風景です。左側の斜面の出っ張り具合や川の流れの感じがぴったりです。 広重の絵には、相撲取り二人が一人は馬、もう一人は駕篭に乗って川を渡っている様子が描かれています。駕篭を担ぐ4人がとにかくしんどそうで、可哀想なくらいです。滑稽さを描くことで受けを狙っているんでしょうか?版画という大量に刷ることができるメディアの部数を伸ばす工夫なのかもしれません。 ということは、高視聴率獲得を目指すテレビ番組みたいなことを広重もやっていたのか?とちょっと勝手な親近感も湧いてきました。