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2月3日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


14 吉原



吉原(安藤広重)    
 
名勝 左富士(富士市依田橋町)

吉原のタイトルは「左富士」
普通、東海道を京に向かえば富士山は右側に見えますが、このあたりの街道の向きから道路左側の松並木の間に富士が見えるとして、「左富士」という名勝となりました。


富士市教育委員会の説明板

広重の道中日記に「原、吉原は富士山容を観る第一の所なり。左富士京師(京)より下れば右に見え、江戸よりすれば反対の方に見ゆ。一町ばかりの間の松の並木を透して見るまことに絶妙の風景なり。ここの写生あり。」と記されています。(富士市教育委員会の説明板から)


現在この場所にはわずかに一本老松が残っていて、名勝として保存されていますが、周りは工場に囲まれています。
晴れていれば、私の後方、工場の屋根の上から少しだけ富士の頭が見えるはずのポイントですが、この日は雲に覆われていました。



景観重要樹木 左富士のマツ   
 
左富士石碑


15 蒲原



蒲原(安藤広重)    
 
蒲原夜之雪 記念碑(静岡市)

蒲原のタイトルは「夜之雪」
雪がしんしんと降り積もる夜に村人が笠を着けて歩いていく。静まり返った中、ギュッギュッと雪を踏みしめる音が聞こえてきそうです。雪の積もり方が静岡というよりは、新潟とか東北地方の雰囲気です。そして実際に蒲原の宿に行ってみると、絵のような急な斜面は宿場周辺にありませんでした。やはり、広重がイメージを大分膨らませて書いた構図なのかもしれません。この絵を描いたと思われる場所にほど近い?という所に記念碑が建っていました。

「蒲原夜之雪」の絵は、歌川(安藤)広重が、天保三年(1832)四月、幕府の朝廷への献上使節の一行に加わって京へ上った折、この地で描いたもので、東海道五十三次シリーズの中でも最高傑作といわれています。(静岡市の説明板より)


広重の「蒲原夜之雪」

宿場自体は当時の雰囲気を残していました。古い建物も現存しています。



宿場町をぶらりと   
 
宿場の様子宿場の様子


本陣跡


旅籠「和泉屋」 
 
和泉屋の看板
当家は、江戸時代「和泉屋」という上旅籠でした。天保年間(1830〜44)の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れました。今に残る二階の櫛形の手すりや看板掛け、柱から突き出た腕木などに江戸時代の上旅籠の面影を見ることができます。…(静岡市の説明板より)
   
 
    
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