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1月20日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


12 沼津



沼津(安藤広重)    
 
 黄瀬川(沼津市大岡)

広重の沼津のタイトルは「黄昏図」
陽が沈み、正面に大きな満月が見えています。


狩野川沿いを歩く、大きな天狗の面を背負った白装束の男性とひしゃくを持った母と娘は金比羅詣り(四国 金比羅宮への参詣)の旅人だそうです。
本来、夕方の西空に満月が浮かんでいることはありませんから、旅人が西へ向かっているとすると、これも広重の想像の構図になります。


絵と似たような場所を探しましたが、現代の沼津は、多くの住宅、マンション、工場などが建ち並び、なかなか雰囲気の似ている場所を探すのは困難。狩野川支流の黄瀬川沿いで撮影ポイントを見つけました。それが冒頭、右側の写真です。
今回は一気に次の宿まで行きましょう!



13 



 原(安藤広重)    
 
沼津市井出

原のタイトルは「朝の富士」 朝焼けの空をバックに、富士の姿が大きく浮かび上がっています。旅人の女性が思わず振り返り、笠を持ち上げて富士山を見ている様子がうかがえます。目の前に広がる原っぱにはつがいの鶴が見えます。

旧東海道(現在の県道163号)沿いの原の宿があった場所は、住宅や商店が建ち並んでいて絵のように景色がひらけていないので、やや北上して国道1号沼津バイパスを越えて田が広がるあたりまで行って撮ったのが上の右の写真。本来なら、広重の絵ほどは大きくないものの、富士山の姿が真正面に見えるポイントです。この日はあいにく雲がかかっていました。


田んぼだけを見れば江戸の頃と同じような風景ですが、現在そこに鶴の姿はなく、先には住宅が、更に先には現代の大動脈・東海道新幹線が…時折、あっという間に白い車両が右に左に駆け抜けていきます。更に奥、赤く見えるのは東名高速の高架橋です。


原の宿場町は東海道線原駅の近くにあったそうですが、今そんな面影は全くありません。旧東海道は、普通の地元の生活道路といった感じです。多くの車はバイパスを通り、こちらの交通量はそれほどでもありません。


しかし、歴史を残すための解説の石碑がいくつも設置されていました。



旧東海道 県道163号
 
「夢舞台・東海道 原宿」の道標


原宿 本陣跡
 
本陣跡 案内板
原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟・義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至ってる。原宿の草分けであり広大な建物を持っていたので、自然に大名・幕吏等の宿所として本陣となり問屋、年寄、名主等を勤めていた。…… 間口は15〜17間で、建坪は235坪、総坪数は山林、畑を含め6600坪の広大な規模であった。  
【本陣跡 案内板より】

わかりやすくすると、間口27m〜31mで、建物面積777u
相当大きな本陣の屋敷がここに建っていたんですね。そんな大きな建物を想像しながら、次へと向かいます!

   
 
    
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