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11月30日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


9 小田原



小田原(安藤広重)    
 
酒匂川(小田原市南鴨宮)

広重の小田原は 酒匂川の渡しを描いています。
酒匂川の渡しは五十三次の難所の一つで、古くは船渡しが行われていましたが、
1674年(延宝2年)徒渡(かちわたり)制が施行され、船渡しは禁止されました。幕府が軍事上の理由からそうしたのでしょう。冬の時期は水量が少ないので冬川といい、仮橋が架けられましたが、水量が増す夏の時期は夏川といい、肩車、蓮台(客が乗る台)など川越人足に頼んで渡ったそうです。



小田原宿方向をアップにしてみると…

渡った向こう側には田畑が広がっていて、その先が小田原の宿。右寄りに小田原城が小さく見えます。奥にそびえるのは箱根の外輪山・明神ケ岳。右側には富士山のシルエットも…。 
さあ早速、「天下の険」箱根の山に向かいましょう!



箱根新道 須雲川インター付近

「箱根八里」は 登り4里で下り4里 つまり合計31.4Km。
特に小田原宿から箱根宿までの距離は東海道で最長でした。


旧東海道の坂道を上って行くと、伝統工芸品・寄木細工の店が並ぶ畑宿に着きました。



 寄せ木の里 畑宿    

畑宿 本陣跡バス停付近

本陣茗荷屋跡碑

本陣(大名や旗本、幕府の役人だけが泊まれる宿泊所)があった場所は、今庭園だけが残っています。こんなエピソードが書かれた案内板がありました。


本陣跡

ここ畑宿の本陣は、屋号を茗荷屋と呼ばれた旧名主の本屋敷跡です。…
畑宿は、今から百二、三十年前の江戸時代の中期には本街道の宿場として今より多く栄えた集落です。
安政四年十一月二十六日米国初代総領事伊豆下田に於けるお吉物語で有名なハリスタウンゼントが江戸入りの途中、ここに休息鑑賞


下田から籠で上京したハリスは箱根関所で検査を受けることになった、その際、ハリスと関所側は、検査をめぐってトラブルが起き、下田の副奉行が中に入ってほとほと困り抜いたと云う。
ハリスは「私はアメリカ合衆国の外交官である」と検査を強く拒否したことから副奉行がハリスを馬に乗せて籠だけ検査することで関所側と妥協した。ハリスは怒ったり笑ったりで関所を通った。そして畑宿本陣に着いてから彼がはじめて見る日本式庭園の良さに心なごみ機嫌はすこぶる良好になったといいます。(畑宿本陣跡の案内板から)


「TPP交渉でアメリカに毅然とした態度で臨まないと、顔色をうかがってばっかりだと後で取り返しのつかないことになりますよ」という教訓として、この話を受け止めた私は深読みのし過ぎでしょうか?
歴史は色々なことを教えてくれます。

   
 
    
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