前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > エッセイバックナンバー
 
 
10月4日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


3 神奈川



神奈川(安藤広重)   

横浜市神奈川区台町


京浜急行「神奈川駅」から歩いてすぐ、両側にマンションが立ち並ぶ住宅街の坂道が広重の描いた神奈川宿の場所です。
今ここに立ってみると、坂道という共通点しかありません。絵には街道に軒を並べる茶屋、その前で客引きの女が旅人の袖を引いています。左側には海が広がっていて、遠くに帆船、手前に大伝馬船、釣り船が浮かんでいます。遠景は本牧あたりでしょうか?
かつて目の前に広がる青い海は…今、JR、京急の線路が走り横浜駅を中心にしてショッピングビル、デパート、オフィスビルで埋め尽くされています。更に海よりに【みなとみらい地区】があって、絵では帆船が浮かんでいる沖の位置にも今は高層ビルが立ち並んでいます。神奈川湊の様相は180年で全く変わってしまったことがよくわかります。
 

実は絵を細かく見ると、まさにこの場所が広重が描いた場所であることを証明するものがあります。絵の茶屋の看板に注目!小さくて良くわかりませんから、大きくしてみると…


  奥から3軒目が「さくらや」   

坂を上ったあたりに「さくらや」という看板があります。
当時実際にあった二階建ての旅籠の名前。そしてこの旅籠を引き継いだ料亭が現在もこの地で営業をしています。

神奈川宿がにぎわった当時からの唯一の料亭
1863年(文久3年)創業の田中家です。高杉晋作や初代アメリカ駐日公使ハリスも訪れたそうです。




料亭「田中家」の前で…


歴史のある料亭だけに、こちらには実はこんなストーリーもありました。
この「田中家」には 坂本龍馬の妻 おりょうが働いていたそうです。
勝海舟の紹介で働き始めたという説もあります。



田中家でのおりょう伝説
明治八年頃、母と弟に死別して全くな孤独な身となってしまった坂本竜馬の妻であったおりょうは神奈川の田中家(原文は田中屋)という高級料亭の仲居として働いていたが、深酒に溺れるようになっていて、女将も困っていたらしい。当時彼女は三十七歳位であった。
(出典「おりょうさん」追想より/大津観光協会発行)
「おりょうさん」は非常に頭が良く酒を好み、人情深く、客あしらいもうまく、当時無数にいた仲居の中でも飛び抜けて目立つ存在だった。勉強家で英語を喋り海外事情にも詳しく話題も豊富な彼女は別格であっただろう。おりょうはきっぷの良い粋な人であった。泥酔して根っこを生やしてしまったお客様を帰すのにも活躍していたであろうのは想像に難くない。田中家を去った後も彼女を知る贔屓客より「今日はおりょうはどうした?」という声が長い間聞かれ、当時在籍していた多くの仲居が「もういないのにナニヨ!」と嫉妬したという逸話が残っている。
(田中家ホームページより)




ここは東海道五十三次ファン・広重ファンのみならず、幕末おたく・龍馬ファンにも注目の歴史スポットなのでした。

   
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > エッセイバックナンバー