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9月20日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


1 品川



品川(安藤広重)  

 現在の品川(隣にいるのはウチの東海道娘)


広重の品川宿の絵は、宿の入口を通り過ぎる大名行列の最後尾を描いています。
手前に傍示杭(木の標識)が立っています。それを再現した、「ここから品川宿」を表示する傍示杭の前で現在の様子を撮影してみました。



これより南 品川宿 地内

京浜急行の踏切を渡って進む道が今も残る旧東海道。ここから当時と同じ道幅の北品川の商店街が続きます。

広重の絵の右側には山が描かれていますが、これが御殿山。もともと将軍が鷹狩りする時の休息所として御殿があったそうです。今は住宅やホテルが建つ、ちょっとした高台で、山と呼べる程の高さはありません。幕末、ペリーの2度目の来航までに品川砲台(台場)を作った時にここの土を削って持って行ってしまったからです。



広重の東都名所 御殿山花見(品川全図)      国立国会図書館ホームページから
桜が咲く御殿山の方から俯瞰で描いています。左側から海沿いに品川宿の町並みが…


広重の絵の左側には、海が広がっていて帆船が浮かんでいますが、現在は天王洲アイル、品川シーサイドや大井埠頭など遠くまで埋め立てられています。かつてこんなに近かった海、今どうしたって想像できません。



のんびりとした商店街
 
歴史を感じさせる町並み整備が…


なんとなく懐かしい雰囲気の商店街を歩くと、地元のおばさまに声をかけられました。息子が「東海道を調べています」と言うと、「じゃあこちらに資料があるからどうぞ」と、地元のまちづくりを進める「NPO 東海道品川宿」 プロデュースのお店に私たちを招き入れました。「歴史に興味を持つと楽しいよね」なんて、品川宿の歴史を語ってくれました。地元の歴史と文化を多くの人たちに伝えて行きたいという熱意が伝わってきました。商店街を進んで行くと途中、本陣(大名や旗本、幕府の役人だけが泊まれる宿泊所)の跡があり、今は公園になっていました。



 


1868年(明治元年)明治天皇が初めて江戸に入った際、休憩の行在所(あんざいしょ)になったことから、聖蹟公園と名付けられています。



 


江戸から明治へ…歴史の転換点を見つめた場所です。

   
 
    
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