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6月14日   ワールドプロレスリング実況四銃士の闘魂コラム#79
〜プロレスの伝道師たち〜

新日本プロレスジュニアの祭典「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」が開幕し
連日の好勝負でお客さんを沸かせている中、
一人のジュニア選手が引退した。


何でもやった!垣原のプロレス人生!

彼の名は垣原賢人、3年前のスーパージュニアでは優勝も果たしている。
34歳と言う年齢はレスラーとしてはまだまだこれから、と思うのだが
頚椎のケガが治らず引退することになってしまった。

垣原のレスラーとしての歴史はプロレスの黎明期に重なる。
第2次、いわゆる新生UWFに入門し、その後Uインター、
キングダムとプロレス界に革命を起こした団体でレスラーの基礎を築いた。

この頃の同門には高山善廣、田村潔司がいることからも
その凄さがわかると思う。

その後、ノアと分裂する前の全日本に所属、
ノアを経て新日本に所属した。

メジャーと呼ばれるほぼ全ての団体に上がり
戦い続けてきた垣原が最後の舞台に選んだのが
新日本のリング。引退試合は5月28日の後楽園。
相手は金本浩二だった。

アントニオ猪木が作り上げた『ストロングスタイル』に
対抗する形で(その始まりには諸説あろうが)始まったUWF
そのU系の流れから最後はストロングスタイルである
新日本のリングでレスラー生活の幕を閉じた垣原。

群雄割拠、栄枯盛衰のプロレス界の中で
垣原が印してきた足跡は決して小さくない。
彼が目指したもの、彼が成し遂げたことを
彼と関わった選手、関係者は受け継いでいかなければならない。

彼が木村健悟から受け継いだ『稲妻』のように。


思えば95年にはUインターの垣原が新日本との抗争を繰り広げていた

また一人、プロレスの魅力を広める伝道師がリングを去った。
これからの垣原の人生に幸多からんことを。


UWF戦士に囲まれる最後のリング


ところで『稲妻』は誰が引き継ぐのだろうか・・・。
   
 
    
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