新日本プロレスジュニアの祭典「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」が開幕し
連日の好勝負でお客さんを沸かせている中、
一人のジュニア選手が引退した。 |
何でもやった!垣原のプロレス人生! |
彼の名は垣原賢人、3年前のスーパージュニアでは優勝も果たしている。
34歳と言う年齢はレスラーとしてはまだまだこれから、と思うのだが
頚椎のケガが治らず引退することになってしまった。
垣原のレスラーとしての歴史はプロレスの黎明期に重なる。
第2次、いわゆる新生UWFに入門し、その後Uインター、
キングダムとプロレス界に革命を起こした団体でレスラーの基礎を築いた。
この頃の同門には高山善廣、田村潔司がいることからも
その凄さがわかると思う。
その後、ノアと分裂する前の全日本に所属、
ノアを経て新日本に所属した。
メジャーと呼ばれるほぼ全ての団体に上がり
戦い続けてきた垣原が最後の舞台に選んだのが
新日本のリング。引退試合は5月28日の後楽園。
相手は金本浩二だった。
アントニオ猪木が作り上げた『ストロングスタイル』に
対抗する形で(その始まりには諸説あろうが)始まったUWF
そのU系の流れから最後はストロングスタイルである
新日本のリングでレスラー生活の幕を閉じた垣原。
群雄割拠、栄枯盛衰のプロレス界の中で
垣原が印してきた足跡は決して小さくない。
彼が目指したもの、彼が成し遂げたことを
彼と関わった選手、関係者は受け継いでいかなければならない。
彼が木村健悟から受け継いだ『稲妻』のように。 |
思えば95年にはUインターの垣原が新日本との抗争を繰り広げていた |
また一人、プロレスの魅力を広める伝道師がリングを去った。
これからの垣原の人生に幸多からんことを。 |
UWF戦士に囲まれる最後のリング |
ところで『稲妻』は誰が引き継ぐのだろうか・・・。 |