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3月3日   ワールドプロレスリング実況三銃士の闘魂コラム#66
〜ライバル〜

アントニオ猪木が新日本プロレスを興してから34年
新日本プロレスは2006年に新しい時代を迎える


2月5日の札幌、月寒グリーンドーム大会メインイベント
リングには2人の若武者が立っていた。
棚橋弘至29歳
「太陽の天才児」と呼ばれる男
99年にデビュー、30歳以下のチャンピオンシップである
U−30の初代の王者、そして現在も3代目の王者として
ベルトを巻いている。
順調にキャリアを積み重ねているように見える棚橋だが、
後輩の中邑真輔にだけは
唯一コンプレックスを感じていたはずだ。

「選ばれし神の子」と呼ばれる中邑は
棚橋から遅れること3年の02年にデビューした。
しかし棚橋の後輩である中邑は
キャリアの階段を一足飛びに駆け上がり、
デビューからわずか1年4ヶ月でIWGP王者に就いた。
23歳9ヶ月での戴冠は史上最年少記録として
いまだに破られていない。

「天才児」と「神の子」
あっという間に追い抜かれた天才児に
先輩としての意地やプライドを見せ付ける場は
これまでなかった。
二人の初めてのシングルマッチは2005年1月4日
東京ドームのメインイベント
当時タッグチャンピオンとしてベルトを巻いていた二人は
この日初めて対角線のコーナーから相手を見た。
この試合は「新日本の明日を背負う闘い」と言われたが
逆十地固めで先輩の棚橋が敗れ、試合後に棚橋は
人目をはばからず泣いた。
2度目のシングルマッチは2005年8月7日
大阪府立体育会館のG1公式リーグ戦
腰を痛めているハンディはあったがこの時も
棚橋は敗れている。


周りは二人をライバルと見ていたが
対戦成績は中邑の2勝0敗だからなのか、
中邑は棚橋のことを「ライバル」とは呼ばない。
あえて言うならば「戦友」だと言う。

この発言は棚橋の耳にも入っていたはず
中邑の「ライバルではない」と言う言葉は棚橋には
かつてのタッグパートナーの発言として聞こえていたか
それとも、プロレスの先輩として聞いたのか・・・
「先輩だがライバルではない」と

6日前に突如決まった棚橋と中邑の3度目の対戦
試合のゴングが鳴るまで棚橋はどんな思いで
日々を過ごしてきたのか
それは棚橋しか分からない。
しかし我々は彼の思いを試合を透して見ることができる。
それを受け止める中邑の思い
この試合には新日本の新しい時代が詰まっている。
   
 
    
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