アントニオ猪木が新日本プロレスを興してから34年
新日本プロレスは2006年に新しい時代を迎える |
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2月5日の札幌、月寒グリーンドーム大会メインイベント
リングには2人の若武者が立っていた。
棚橋弘至29歳
「太陽の天才児」と呼ばれる男
99年にデビュー、30歳以下のチャンピオンシップである
U−30の初代の王者、そして現在も3代目の王者として
ベルトを巻いている。
順調にキャリアを積み重ねているように見える棚橋だが、
後輩の中邑真輔にだけは
唯一コンプレックスを感じていたはずだ。
「選ばれし神の子」と呼ばれる中邑は
棚橋から遅れること3年の02年にデビューした。
しかし棚橋の後輩である中邑は
キャリアの階段を一足飛びに駆け上がり、
デビューからわずか1年4ヶ月でIWGP王者に就いた。
23歳9ヶ月での戴冠は史上最年少記録として
いまだに破られていない。
「天才児」と「神の子」
あっという間に追い抜かれた天才児に
先輩としての意地やプライドを見せ付ける場は
これまでなかった。
二人の初めてのシングルマッチは2005年1月4日
東京ドームのメインイベント
当時タッグチャンピオンとしてベルトを巻いていた二人は
この日初めて対角線のコーナーから相手を見た。
この試合は「新日本の明日を背負う闘い」と言われたが
逆十地固めで先輩の棚橋が敗れ、試合後に棚橋は
人目をはばからず泣いた。
2度目のシングルマッチは2005年8月7日
大阪府立体育会館のG1公式リーグ戦
腰を痛めているハンディはあったがこの時も
棚橋は敗れている。 |
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周りは二人をライバルと見ていたが
対戦成績は中邑の2勝0敗だからなのか、
中邑は棚橋のことを「ライバル」とは呼ばない。
あえて言うならば「戦友」だと言う。
この発言は棚橋の耳にも入っていたはず
中邑の「ライバルではない」と言う言葉は棚橋には
かつてのタッグパートナーの発言として聞こえていたか
それとも、プロレスの先輩として聞いたのか・・・
「先輩だがライバルではない」と
6日前に突如決まった棚橋と中邑の3度目の対戦
試合のゴングが鳴るまで棚橋はどんな思いで
日々を過ごしてきたのか
それは棚橋しか分からない。
しかし我々は彼の思いを試合を透して見ることができる。
それを受け止める中邑の思い
この試合には新日本の新しい時代が詰まっている。 |