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5月15日 事件記者1年生〜嫌がられる取材〜

 
宮城、大阪、埼玉など、殺人事件の取材へ立て続けに出ているうちに、取材日記の更新がすっかり滞ってしまいました。
入社して6年目になりますが、本格的な事件取材は、初めての経験で、たいへん考えさせられる毎日です。

まず、事件の取材では、亡くなった方など、当事者のご家族をはじめ、ほとんどの近所や友人の方は、私たちの取材を歓迎していません。
「迷惑しています」という表情を露骨にされてしまいます。
冷たい視線を感じながら、ことあるごとに、自分自身の取材姿勢やモラルを問われる場面に遭遇します。

そこで、取材へ向かう新幹線や飛行機の中で、そもそも「なぜ取材するのか」を自問自答し、「どうお話し(説得)して、話を聞き出すか」を、頭の中で何度もシミュレートし、現場へ臨みます。

現場では、十中八九、嫌がられ、(ごくまれに「いつもテレビ見てます!」などと気前よく答えてくださる方もいますが、、、)まずは断られます。

しかし、ここからが勝負で、お話ししていただくことの意味を必死に説明し、少しずつ相手の方の懐へ入ろうとします。(もちろん、これが過剰取材である可能性をはらんでいて、難しいところではあります)

ときどき必死になるあまり、「なんで自分はこんなにムキになっているんだろう」などと不思議な感覚にとらわれることもありますが、私たちの意図が次第に伝わり、相手の方が少しずつ話をはじめ、そして、気がついたら、カメラの前で、ものすごい勢いで思いをぶつけているということがあります。

そういうときには、「話したくなかったのではなく、話したいことはいっぱいあるのに、話しづらかったのかな」などと嬉しい気持ちになります。
しかし、この考え方は、取材する側の傲慢な考え方であるかもしれません。

そして、本当に嫌な思いをされている方が多いことも、肌で感じます。

メディア規制の動きが進みつつあり、その背景の一つに過剰な取材による「メディア不信」があることも事実です。

よく言われることではありますが、「いま、自分がやっていることは、『熱心な取材』なのか、それとも、『過剰な取材』なのか」を問いながら、なんとしても、その取材を、「価値ある放送」につなげて、信頼を得ていきたいと意気込んでいます。

   
 
    
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