

2011年4月5日
多くの人が亡くなった東日本大震災。その中には、報道ステーションで取材した人もいた。
岩手県釜石市に暮らしたアスリート、下川原孝さん(104)。陸上競技の投てき3種目で100歳以上の世界記録を持つ。かつて体育教師だった下川原さんは、定年退職後、これといった趣味もなく、身も心も弱っていったという。そこで出会ったのが、“詩吟”だった。「詩吟の世界に入って、救われた」と話していた下川原さんは、趣味に生きることの楽しさを知り、98歳で陸上競技にも挑戦。100歳で世界記録を達成し、その後も記録を伸ばし続けた。一緒に暮らす長男夫婦、徹さん(73)と秀子さん(72)と囲む夕食で、晩酌を楽しむ下川原さん。二十歳から晩酌は欠かしたことがないという。『長寿の秘訣は、楽しんで生きる心を持つこと』と話していた。地震の後、下川原さんは、長男夫婦とともに最寄りの避難所へ向かったが、そのわずか手前で3人とも津波に巻き込まれたとみられている。下川原さんの二男・潔さんは、「親父は、好きなこと、楽しいことをやって『今年も頑張っていくぞ』と周りの人に言っていた」と話す。そんな家族とともに下川原さんの遺品を探す男性がいた。下川原さんを陸上の世界に誘い、最も近くで支えてきた釜石マスターズ陸上競技協会の多田慶三会長。「『100歳でもこれだけやれるんだぞ』という生き方に対して市民全体が力をもらった。我々、後輩たちは目標にして、がんばっていかないといけない」と話す。
仙台市若林区。かつて田園地帯だったこの地で農業を営んでいた二瓶幸次さん(60)も津波の犠牲となった。全国組織の代表を務め、“食べていける農家”のモデルを作ろうと挑み続けていた。二瓶さんは、二十歳で田畑を継いだ。しかし、冬は出稼ぎで家をあけることが多かったという。農業だけでは食べられない。後継者がいない。その現状を何とかしたいとたどりついたのが、同じ集落で、農地や機具を共有して農業を営む“集落営農”だった。二瓶さん自らがリーダーとなり、『集落営農組合』を設立。170人が農地を出し合い、麦や大豆の転作も始めた。競争力のある“強い農家”を目指した。後継者作りにも力を注いだ。政権交代による農業政策の転換によって振り回されることになっても、二瓶さんは、「自分が掲げた道を進むより他はない」と、自身が抱いた農業への誇りは変わらなかった。