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先週に引き続き、お送りした「ニッポンを知ろう!大阪編」
今週は江守徹さんが訪れた先にあわせて、大阪に関するうんちくを紹介します。
知っているようで知らない大阪が・・・・
SmaTIMESを持って大阪に出かけよう!
大阪のシンボル大阪城は1583年、天下統一のチャンスを握った豊臣秀吉の“権力の象徴”として建てられました。回廊には純金の虎が置かれ、屋上には金のシャチが輝き、金城・錦城とも称されたほど豪華でした。ところが秀吉の死後、徳川家との間に大阪冬の陣が起こり、1615年5月に落城。豪華な天守閣は失われました。その後、幾度もの改修を受けたものの、落雷や不審火によりことごとく焼失。現在の天守閣は、昭和6年に再建されたものです。城内に秀吉時代のものは残っていませんが、徳川時代に建立された大手門をはじめ、多聞櫓、金蔵、桜門などは、国の重要文化財に指定されています。
NHK大阪放送会館に隣接する博物館で、通称「なにわ歴博」。古代から、近世の城下町まで大阪に関する歴史や文化を肌で感じることができるスポットです。2階には、大阪の歴史と文化を中心に、広く歴史に関する情報を集めた学習情報センター「なにわ歴史塾」もあります。火曜日(祝日の場合は翌日)、12/28〜1/4を除く毎日開館。開館時間は9:30〜17:00(ただし金曜日は9:30〜20:00)。詳しい情報は公式HP(http://www.mus-his.city.osaka.jp/)にて。
1496年に蓮如が山科本願寺の別院・石山道場として建立した、一向宗(浄土真宗)の大寺院。1532年、山科本願寺の焼失後に本寺となりました。周囲に土塀と深い堀をめぐらして武装し、寺内町を形成。戦国大名に対抗する勢力をもち、各地の一向一揆を指揮しました。織田信長の攻撃に対して10年間抵抗したものの敗れて、1580年に焼失。この跡地に、豊臣秀吉が大阪城を建立しました。現在は、大阪城本丸に推定地を示す碑が残されています。
中之島は文字通り土佐堀川と堂島川にはさまれた中州。江戸時代には流通の中心地として諸藩の米蔵が建てられ、全国各地から年貢米が運ばれるようになった。米以外にもさまざまな物資が運ばれ、売買など商取引が盛んになったことから「天下の台所」と呼ばれるようになった。中之島では現在の先物取引にあたる手続きも行われていた。
現在でも日本銀行や大阪市役所など政治・経済の中心地としてその地位を守りつづける中之島には中之島公会堂をはじめとして明治・大正時代の建物がいまだに数多く残っている。
土佐堀川と堂島川にかかる橋も時代を感じさせるデザインが施されたものが多い。
相撲や芸能人を支える人たちを「タニマチ」と呼びますが、この「タニマチ」、大阪の地名「谷町」に由来します。明治の末頃、谷町にいた医師・薄恕一(すすきじょいち)さんが「タニマチ」の張本人。病院内に土俵を設けるほどの相撲好きでした。ほかにも幕下力士を無料で治療したり、小遣いを与えたことが広まり、病院の所在地「谷町」が後援者の意味へ転 化したという。 恕一は後に大阪府議会議長を務め、1956年に死去。
西の大阪、東の東京エスカレーターでの立ち位置(東京は左、大阪は右)やうなぎのさばき方(東京は背開き、大阪は腹開き)など様々な点で違いがある中、実は、それぞれのシンボルとしている木が同じものだったのです。その木とはイチョウ。大阪では市内の中心部を貫く御堂筋のいちょう並木が大阪を代表する景観であることからイチョウが象徴的な木として認知されている。ちなみに秋には市民が総出でギンナンを拾うのが風物詩となっている。一方東京では、日本と中国の一部にだけ残る古代植物の生き残りであることから、大事にされており、神宮外苑や東京大学構内の並木が有名です。
低い山その1  蘇鉄山  標高6.85m
堺市営大浜公園の中にある人工の丘で、幕末に黒船来航に備えて築かれた台場(砲台)跡だった場所です。一等三角点は、最初は蘇鉄山の南東300mにあった御蔭山に設置されていましたが、御蔭山がある事情で削られた為、昭和14年に移設されたもので、日本で最も低い一等三角点の山といわれています。最寄は南海本線堺駅です。
低い山その2  天保山 標高4.53m
標高わずか4.53メートルと日本一低い山。江戸時代末期の天保年間(1830〜1844)、港づくりに伴う安治川河口の川ざらえ事業によって生じた土砂を積み上げてできた人工の砂山(高さ約20メートル、周囲約200メートル)。当時の山肌には、松やサクラの木が植えられ、江戸期の大坂町人の憩いの場でもあったとされる。明治44年に三角点が設置されたが、その後の山土の削り取りや地盤沈下により、日本で一番小さな山に。現在、近くに「海遊館」「天保山ハーバービレッジ」が設置され、周辺の観光地化が進んでいる。他にももともと古墳だった茶臼山や聖天山(しょうてんやま)、大阪万博の年(70年)に地下鉄工事の土砂などを積み上げてできた昭和山、鶴見新山(大阪市鶴見区)の標高39メートル など大阪には低い山がたくさんある。で、隣の大阪市港区にある日本一低い天保山(標高4・5メートル)とともに「最低山コンビ」に。天保山側はこれを受け、蘇鉄山を含めた府内の7低山を紹介したガイドマップを作製。「"水の都"ならぬ"山の都"大阪の低山登山を売り出そう」と意気込んでいる。
正解:粉モノが多い大阪ですが、なぜか小麦粉の消費量は少なく、1位・長野、2位・大分、3位・那覇市と続き、全国平均の3329gさえも下回り、2959gに過ぎないそう。順位で言うと35位。下から数えた方が早い順位です。しかし粉モノになくてはならないソースの消費量は東京の1.5倍で、1世帯あたりの消費量は年間2.4リットル。関西ではてんぷらや卵焼き、カレーライスにもソースをかける人がいるそうです。
正解:カレーライス。実はカレー粉発祥の地は大阪。カレー粉の国産化は現在有名になっているS&Bよりも大阪の業者の方が早かったのです。大正4年に弘木屋(現メタル食品)が、同12年には浦上商店(現ハウス食品)が発売しました。東京の日賀志屋(現エスビー食品)は大阪勢に遅れ、同15年でした。大阪では最初からご飯とカレーを混ぜ合わせて、生卵を落とした“混ぜカレー”が名物となったそうです。
正解:初代の広告はライオン。歯磨きのチューブがデザインされていました。ちなみに初代通天閣、最後の持ち主は吉本興業だったそう。2代目は地元の人々の熱意で再建されましたが、日立の広告がついたのを見たかの松下幸之助が「なんで東京の会社に取られるんや」と残念がったという逸話も。
正解:ロケーションサービス。大阪には、大阪府・大阪市・大阪商工会議所などが2000年2月に設立した日本初のフィルムコミッション、「大阪ロケーションサービス協議会」があります。ロケ地の紹介、撮影スタッフ・機材、ホテルや車両の手配など大阪でのスムーズな映画制作に協力しているのです。きっかけは松田優作の遺作「ブラックレイン」。
「ブラックレイン」は道頓堀を借り切り、大阪府庁や阪急電車旧コンコース、十三繁華街など大規模なロケを行いましたが、リドリースコット監督が「大阪は撮影に非協力的で少しの撮影の許可申請のためにたらいまわしにされた」と立腹しました。しかしこのことがロケーションサービス実現を早めるひとつのきっかけになったのです。
正解:実はこの屋根、なんと上下に動くんです!そもそも大阪ドームは多目的ホールとして作られたため、コンサートなどを行う時は、音響効果を高めるために屋根が下がり、野球を行う時には、高さを確保するために、屋根が上がる構造なのです。ちなみに、ちなみに屋根を高くした場合、大阪城天守閣がすっぽり入ってしまうとか。
正解:先物取引。
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