今回、香取編集長が訪れたのは、太平洋上最大の空母キティホークの母港であり、極東司令本部が置かれているアメリカ海軍横須賀基地。横須賀基地の歴史は第2次世界大戦が終了した1945年に始まり、これまでアメリカの占領下での朝鮮戦争、そしてベトナム戦争、さらに湾岸戦争、昨年のアフガニスタンへの派兵など、アメリカが関係した戦争のほとんどに使われてきました。ここに駐留するのは第七艦隊。アメリカ海軍には空母を中心とした艦隊が5つありますが、その中で最強の部隊と言われるのが、空母キティホークを擁するこの第七艦隊なのです。それだけに、基地内に入るには厳しいチェック体制がしかれていました。一昨年の9月11日以降、その警備体制は更に強化され、今回、香取編集長がゲートをくぐるところは撮影を許されませんでした。
基地内に入って、まず編集長が向かったのは、基地で働く人なら誰でも利用できる食堂。
ここは、わずか3ドル25セント、400円弱で食べ放題です。もしイラクとの戦争が始まれば、この基地からも多くの兵士達が前線へと出兵していきます。しかし、そんな緊張感とは裏腹に彼らの表情はとても明るいものでした。横須賀基地にはこうした食堂だけでなく、マクドナルドをはじめとする20軒以上の飲食店、銀行、病院、学校、映画館、更にはスポーツ施設まで揃っています。通りにはアメリカの地名が名づけられ、まさに日本の中にあるアメリカといった様子でした。そんな横須賀基地で、この日、香取が目の当たりにした空母、キティホーク。実はこの5日後の今週木曜日、行き先を明かさずにキティホークは出航しています。出航直前だったためか、この日キティホークの内部は取材NG。
代わりに、空母を護衛する駆逐艦を見せてもらえることになりました。当然、ここでも厳しいチェックが…。目的の船に乗り込む前、編集長は基地内で働く日本人の多さに気づきました。基地内で働く2万6000人のうち、実に5000人以上が日本人なのです。今回、乗船を許されたのは、駆逐艦「クッシング」。全長267メートル、乗員355名。空母キティホークを護衛し、駆逐――つまり敵を追い払う役割を担う船です。ここでは、艦長自らが艦内を案内してくれました。
甲板へと出た香取編集長が見たのは、トマホークの発射口。トマホークとは、自ら位置を測定しながら飛ぶハイテク巡航ミサイルで、1300キロもの射程距離があり、その命中誤差は、10メートルから数十メートル以内。1991年の湾岸戦争で初めて使われたものです。続いて編集長は、船の底部へと案内されました。
一度に食事できるのは70名であるため、時間で何回かに分けて使われる乗員のための食堂、一般兵士に唯一与えられる狭いベッドとロッカー…。さらに編集長は、船の上部にある操縦室や、艦長の部屋などを見て回りました。そんな中、編集長は、艦長にとても気になっていたことを聞きました。「もし日本が攻撃されたら、アメリカ軍は日本を守ってくれますか?」という編集長の問いに、「自分の責任はこの艦だけなので、アメリカを代表する意見ではないが…」と前置きしながら、「いま日米はとても良い関係にある。前向きに対応できると思う」と、艦長は答えました。北朝鮮との関係が緊迫し、イラクとの戦争が避けられない状況にあるいま、横須賀基地地の人々はどんな表情をし、何を考えているのか…そんな疑問から始まった今回の訪問。次週は、香取編集長が、この駆逐艦クッシングで働く同年代の兵士に話を聞きます。お楽しみに。
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